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不可逆で残酷な時間と希望――ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q感想【ネタバレ有り】

2012-11-26(Mon)
公開から一週間、噂のヱヴァQ観てきました。

公開直後から「僕達のエヴァが帰ってきた」「旧エヴァファン歓喜」みたいな噂は漏れ聞いてて、破のエンタメ、グレンラガン路線とはずれたのかなーとは薄々思ってたんですけど、いやーまいりましたね。これは……。観てて辛くて辛い。でもラストの希望は本当に素晴らしい。

新劇場版という作品を観る時に独立したテクストとして見ることは僕の場合ほとんど不可能で、TV版、旧劇場版と否応なく対比してしまう。新劇場版とTV版のズレに僕たちは反応してしまうし、TV版エヴァに自分の色々なものをかけていた僕たちは自分語りとセットになった「僕達が大好きなエヴァンゲリオン」の話をしてしまいがちだし、それは余りにも気持ち悪い。そうした気持ち悪い文章が以下の感想となります。

というわけで以下ネタバレ注意

*同一性への安心感と絶望感

僕たちは否応なく新劇場版と旧TV版と対比してしまう。序の頃は大筋の線は同じでまだこの頃はズレが注目されていたと思います(シンジくんのわずかな変化とか)。破になるとその2つの線は大きく乖離し始める。その結果、破はいろいろ物議を醸す作品になったわけです。

そして、QまでくるとあまりにもTV版と話が違うので、どうしても逆に旧TV版との同じ所を探そうとしてしまう。14年ぶりに目覚めたシンジくんが「葛城ミサト」や「赤木リツコ」らしき人物に一生懸命14年前の面影を探そうとしたように。ずっと「碇シンジくん」と呼んでいたミサトさんが「シンジくん」と呼んだときの三石琴乃の声に、シンジくんのDSSチョーカーを押せなかった葛城大佐に、14年前の「ミサトさん」との同一性をやっと見いだせる。そのやっと見つけた同一性にわずかな安心感と14年経ってしまったことの絶望感を味あわせる冒頭であったと思います。

*シンジくんと視聴者を襲う不可逆な14年という時間

新劇場版がループ世界であるのではないかという話は序が公開された頃から散々言われてきたことですが、エヴァをもう一度やるという時点で作中設定以前にある意味視聴者にとってループでしかない。でも、このループに14年という不可逆な時間軸を入れたことがQのすごさであり、辛さであったと思います。

14年という時間はあまりにも辛かった。言うまでもなく、旧エヴァ視聴者は夏エヴァが公開された1998年からQが公開された2012年の間の14年をどうしても連想させる仕掛けになっている。その間にいろいろなものが変わってしまった。98年思春期直撃だった世代は旧TV版のミサトさんたちの年代になっている。その間の人生はやり直しは聞かない。一見可逆的な時間軸であるループでありながらも、そこに暴力的に不可逆な14年を入れてくることによって、僕たちの人生が不可逆な時間軸であることを思い起こさせる構造になっているわけです。エヴァに人生をかけた人であればあるほど辛いのではないかと思います。

14年経っていざもう一度エヴァと向き合ってみたら、僕たちが学園エヴァで熱をあげて好きで好きでたまらなかった第3新東京市は見事に跡形もなく崩壊してしまっていたことの絶望感。エヴァのアイコンとして機能していたエヴァ初号機は無残にも解体され船体の一部となっている。僕たちが好きだったエヴァは見事なまでに解体されている。とにかく二重三重にも不可逆な14年間の重さ、シンジくんの辛さがエヴァにかけてきた視聴者を殴る構造になっていたと思います。

閑話休題、その14年間の象徴として登場してくるのこそあのかわいい鈴原サクラなわけです。サクラちゃん可愛いという思えば思うほど、僕たちはその不可逆な14年間を受け止めないといけない仕掛けになっている。それはそうと本当にサクラちゃんかわいいですよね。新劇場版は破で他キャラと違いトラウマを持たない「マリ」というキャラを投入したのも上手かったし、今回のサクラといい新キャラは本当に素晴らしいです。

*設定のいびつさ

14年間たって変わってないものも、いくつかあります。
それの筆頭がシンジくん、レイ、アスカの外見でしょう。アスカは外見が変わってないことを「エヴァの呪縛よ」と説明するのですが、あまりにもいびつな後付け設定としか言いようがありません。『2061年宇宙の旅』でハレー彗星接近に合わせるために主人公の年齢を無理やり若返らせたのを唐突に思い出しました。エヴァは旧版から訳の分からない設定なんて大量にありますが(それの穴埋めは考察系の人にお任せします)、これこそ歪さを覚える設定はないでしょう。
このいびつさはどうしても「14年間エヴァに囚われている視聴者」「14年間成長してない視聴者」を想起せざるをえないですけど、同時に商業的にミサトさんやリツコさんと違ってエヴァのアイコンである「綾波とアスカ」は年を取らせることが出来ないことからもたされたものでもあると思います。『ひぐらし』の梨花ようなループでキーになるキャラがそうであるように、設定上の年齢は増やせても、外見は商業的に変えられない。
オタクの欲望が「萌えキャラ」としてキャラクターが独り歩きした結果(作品消費としても、商業的にも)が、このいびつさな設定をもたらしたように私には見えました。

逆にレイとアスカの時を14年すすめることが出来なかったがゆえに、サクラは必要とされたキャラだったかもしれません。

*「破」の意味が反転されいく鮮やかさ

14年の眠りから醒め、その辛い現実で殴られたシンジくんを唯一支えたのが「綾波を救った」という一点のみとなっていきます。しかし、それすらも裏切られてしまう。
破でまるで普通の格好いいSFものかのように音楽を流しながら未来都市感を演出していた第3新東京市は、綺麗な夜空が見える街になってしまっている。破でポカポカしていた綾波は消え去っている。
そして、破は「熱血で女の子を救う話」ではなく、「女の子を救おうとした結果、世界を滅ぼしてしまったうえに、女の子も救えなかった」物語に反転する。世界や社会を横におき徹底的に「綾波を救おう」とした破は「きみとぼく」の物語であり、「きみとぼく」の物語にひきこもりこだわり続けた結果、世界が滅びてしまった。破のシンジくんの覚醒は成長でもなんでもなかったことが明らかにされる皮肉さ、破のもつ意味の反転させ方は本当に鮮やかだと思います。

*カヲルくんと巻き戻そうとする14年間

シンジくんにとってこの「不可逆な14年」、「破でやったことに意味が反転される」、この2つはあまりにも辛い。変わってしまったミサトさんやその14年の象徴であるサクラの制止を振りきって、一見成長していないアヤナミレイに導かれ、ネルフ本部に戻る。外見が変わらない綾波と交流を持とうとするもポカポカする綾波はすでにおらず絶望したシンジくんはカヲルくんと出会う。
そして、二人は交流を深めていくわけだけれども、ロンギヌスの槍を前にしてシンジくんは「カヲルくん」よりも「14年を必死に巻き戻す」に拘る。あれだけ仲良くしていたカヲルくんが「シンジくん、嫌な予感がする。やめよう」と言っているにも関わらず、「14年を巻き戻す」ことに拘る。シンジくんはカヲルと二人で14年後の世界を生きるという選択肢を選ばなかったわけです。そこから言ってもQは単純なカオシンの話ではない。
それにもかかわらず、14年を巻き戻すことが不可能であることを知り、フォースインパクトをおこしたシンジくんを、自分を犠牲にしてカヲルくんは救う。これがシンジくんにどういう影響を与えるのか次回作までわかりませんが、旧TV版と同じく少なからぬ影響を与えることでしょう。

*アスカと生きる希望

破では「綾波を助ける」ことを、Qでは「14年間を巻き戻すこと」を選択したシンジくんだったけれども、その2つはいずれも達成されない。
そして、ラストシーンでシンジをプラグから引きずり出したのがアスカだったわけです。旧TV版で危機に陥ったシンジをプラグが引きずり出すのは、16話や20話でそうであったようにミサトさんだったわけです。いつも目を開けたら、抱きしめてくれるミサトさんがいたはずだった。ところが、今回はアスカだった。助けたのが、保護者的な存在であったミサトさんは遠くに行き、むきだしの他者であるアスカであった事実はシンジくんにとっておそらく辛いけれども、それはたぶん希望でもある。

アスカはシンジを助けた後に「私のことは助けてくれないのね」といいます。シンジくんは破ではアスカを助けられず、レイは超人パワーで助けようとする。そしてQでも起きた後に「綾波は?」と聞くし、Q途中まで「綾波を助けた」ということに執着している。新劇場版のシンジくんってもうアスカ派としては泣きたいぐらいに(実際泣いたぐらいに)、レイしか眼中しかない。
正直、式波アスカは惣流アスカと色々設定変わっているけれども、旧劇の惣流アスカのシンジへの病的な執着はものすごく引きずっています。それがヴィレでの冒頭の面会シーンに現れているし、マリに度々からかい含みに指摘されている。
そのシンジに対して、言い放った「私のことは助けてくれないのね」。アスカ派として22話で、旧劇で、破で、シンジくんに言いたかった一言をここで言ってくれたことになんかもう泣きそうだし、アスカが14年間の間で(そして惣流と式波の間で)色々変わってしまっていても、シンジくんへの執着は旧劇のアスカが新劇のアスカに仮託したことであったと思います。

旧劇場版で二人残ったアスカとシンジは首絞め、気持ち悪いといってその場から動かない(もちろんあれは完全なる拒絶ではないけれども)。でも、Qでは赤い何もない大地でアスカとシンジ、そして若干距離をおいてレイのクローンは確実に前に歩いていく。あの三人の後ろ姿は確実に希望であるといえると思います。





公開直後の衝撃でつい色々書いてしまったけど、話飛びすぎでこの文章何が言いたかったんだろう……。本当にいつまでエヴァに囚われないといけないんだろう。まあそろそろエヴァからは抜け出したいし、Qをそのまま破の路線で突っ切っててくれたらよかったのに(ボソ
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まとめ【不可逆で残酷な時間と】

公開から一週間、噂のヱヴァQ観てきました。公開直後から「僕達のエヴァが帰ってきた」「旧エヴァファン歓

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お見事!

はじめまして、きょうこさんと申します。旧作エヴァリアルタイム世代です。

Keiさんの考察、拝見しました。14年後というのが、この2012年がエヴァ旧劇から14年経ってるという時点で、これが旧劇からのエヴァファンに対するメッセージを含んでいることは明白です。私たちの世代が好きだった「エヴァの世界」から反転・急(Q)展開させつつ、旧劇と同じように様々な謎(Q)を残す、それがこの「エヴァンゲリヲン・Q」の目的ではないでしょうか。

最後の3人の歩くシーンと、次回予告であった「辿り着いた場所が、彼に希望を教える(確かこんな感じだったような)」のフレーズが、現実を生きていく希望となるような気がします。

よくわからない感想、すみません。

参考になりました。

初めまして。自分もブログ主の言うとうり「Q」は「破」のような展開であってほしかった・・・。まあ、今作の「Q」は絶望の割合がとても大きかったので、次作はきっと「希望」を持てる終わり方になると思っています。なので、今から早く次作が観たいと思っています。あと、14年の歳月が流れていたというのは、いろいろな意味が込められているのだろうな、と、ここの考察をみて思いました。

あと、これは宣伝(?)なのですが、自分なりに書いた考察を「忘備録その2.01」の感想コメント欄に載せて戴いております。主なものは、

「Qでのゲンドウのシンジへの隠された想い、意図、愛情、その他」、

「アスカ、ミサトの変わらぬシンジへの想い」、

等です。一生懸命書いたので、ブログ主だけでなく、興味を持たれた方は一度でも見て戴ければ幸いです。なので、よければよろしくお願いします。
最後に長文失礼しました。

なるほどね。次回がどうなるかだね。参考になりました

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