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映画『ヘヴンズ ストーリー』感想

2011-10-27(Thu)
278分あってあの『愛のむきだし』より長いことで定評のある『ヘヴンズ・ストーリー』を「川崎しんゆり映画祭」で見てきました。



この映画は父母姉を殺された少女、妻娘を殺された夫、その犯人、復讐を生業とする復讐屋、若年性アルツハイマーを宣告された人形師、そうした人たちがいくつもの殺人を介して繋がりっていくお話です。

最初、父母姉を殺された少女サトが妻娘を殺された夫が復讐を誓ってTVに向けて復讐を誓うシーンをみて失禁する章から始まります。この印象的な始まりはtwitter「おもらしクラスタ」の人には是非見ていただきたい……長いから勧めづらいですが。

それはともかくPVみてもこうした始まりをみても最初は「理不尽な暴力」に人間にどう立ち向かっていくか、を描いているのかなと思っていました。こうしたモチーフはここのところ頻繁に描かれているような気がします。最近だと園子温の『冷たい熱帯魚』がそうですし、『ノーカントリー』とかもそうでしょうし。古くから不条理劇はあるわけですけど、こうした理不尽な暴力を描いた作品に個人的には違和感は覚えたりもしてました。

こうした作品において、理不尽な暴力を行使する主体として「理解不可能な他者」(この場合は殺人鬼)が鮮明に描かれ恐怖を覚える。でもそれは本当に理解不可能な他者なのか。こうした当然の疑問に『ハンニバル』シリーズなんかはトラウマ・幼少期の体験である意味合理的に説明してしまいした。が、単純にこうした手法は理解可能なレベルにおろしてしまうっていう点で余り感心しなかったります……。90年代のミステリも同様の手法をとることが多かったように記憶しています。

いわゆる犯人のトラウマなどに原因を帰着させる作品を直線的というならば、『ヘヴンズ・ストーリー』は「殺人」を多面的に立体的に描いていると言えると思います。この作品において担う女性と赤ちゃんを殺してしまった男性が後半において重要な登場人物として描かれています。前半ではこの「殺人鬼」への復讐というのが物語を形成する軸となるのですが、この犯人は後半部において刑務所での手紙と面会で出会った女性(後に若年性アルツハイマーとなる)を支える「人」として出てきます。

この作品は群像劇になってて、終了後の監督のトークショーでも「阿部和重の『シンセミア』のような作品を意識したか」などの質問が出てました。それに対しての監督の回答は「中上の紀州サーガのようなものを目指した」とのことだったように記憶してます( 間違えてたらすみません)。もっともサーガとしてみるには4時間あったとしても広がりは足らないと思いますし、個人的には中上のサーガよりは『シンセミア』的の方に近いような気もしますが……。
その群像劇なのを生かして、複数の人間を複数の文脈、複数の方面から描き出すことに成功しているわけですが、では、それを用いて何を描きたかったのか。

「母と子」を殺した彼は「理解不可能な他者」であったはずなのに、この映画では彼の「生」「愛」といった「人」としての側面も描かれる。でも、結局何故その「母と子」を殺したのかははっきり描かれないんですよね。成長した環境が問題だったとは匂わされますが、それも裁判のときに問題になる程度。本当に「魔」が差したとしか言いようがない。「理解不可能な他者」である彼をトラウマなどに還元して解体するのではなく、「闇」の部分はそのままにしつつも、愛することも愛されることも知った「人間」として描くことに成功している、この描き方が本当に面白かった。

この作品は「理不尽な暴力」を描いているわけですが、その「理不尽な暴力」を受ける側がイノセンスなものとして描かれているかというとそうではない。同時に「理不尽な感情」も何重にも描いている。実際、作中の電話をかけるシーンで「理不尽だとはわかっています。だけど私はあなたが憎い」との趣旨の台詞があったと思います。
4時間半という尺を使って、俗っぽい言葉でいえば「心の闇」を心理主義的に解体するのではく、作中の登場人物が「人間」と「怪物」の両方を兼ね備えていることを群像劇を用いて描いていく。この丁寧さは「理不尽な暴力」を描いた作品の中でも群を抜いて素晴らしいのではないでしょうか。
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映画『アヒルの子』感想

2011-08-04(Thu)
twitter映画クラスタの人に誘われるがまま渋谷のミニシアターに「アヒルの子」と「家族ケチャップ」という作品を見に行ってきました。
二つともセルフドキュメンタリーという自分(主演)の人の人生をドキュメンタリーにするという手法の作品。日本映画学校と聞いて阿部和重しか連想しないぐらい映画に疎い僕としては「そんな手法があるのかー」だったりもするのですが、とにかく強烈に考えさせられました(二作とも日本映画学校の卒制として作られたものだそうです)。

5歳時に1年間親元から離れてヤマギシ幼年部に一年間預けられた『アヒルの子』の主演兼監督の小野さやかはその経験が「両親に捨てられた」という感覚強く持っていたと語り、二度と捨てられないために「いい子」の演技をして生き続けたとナレーションで語る。続けてそうした態度が自分を苦しめ「死にたい」と思うまでになる。そうした強烈に自意識をベタ塗りした内容が語られ、家族一人ひとりにカメラのまえで小野さん本人が過去受けた傷について問いただすといった内容です。

この映画はカメラという暴力が家族にも当然本人にも牙を向き、特に本人の自意識をまるで切り刻むかのごとくの印象を与えます。実際、その上映のあとに行われたトークショーでもこうしたカメラの暴力性にスポットをあてた質問を司会者の方がされていましたが、自意識については非常に他者は語りづらいので「映画」として何か語ろうとしたときに手法といった話になりがちなのだと思います。

しかし、この映画においては「カメラ」の暴力といった側面にはほとんど注目していないように見えます。何故ならカメラが向けられたときの反応といったものをほとんどカットしてあって、登場する人(監督と長兄の1シーンをのぞき)はカメラがないかの如く振舞ってる。「映画的」にどうこうというよりも、徹底的に「私」と「家族」の問題を描きたかったということなのだと思います。
途中、ヤマギシ幼年部について追求しようとする方向性にも行きましたが(社会性、公共性を獲得しようとする方向)、最終的には回帰し本人と家族の問題に踏みとどまってる。

この映画において「カメラの持つ暴力性」がほとんど自覚的には振り返られないのと同時に実はこの映画中で語られなかったことがもうひとつあるような気がします。「いい子」を演じていたという「さやか」がいつその「いい子」のレールから外れたのか、何故外れようとしたのか。少なくともこの「映画」を撮ろうとしている時点で「いい子」のレールから外れているはずで、そうしたところはほとんど描かれませんでした。

この二つが欠けているということは内省的なことをほとんど描いてないんですよね。「撮影」するということへの内省の無さがますます「カメラ」の暴力性に寄与し、家族も本人も傷つけているように見えました。個人的には見た直後、己の自意識だけを特権的に扱おうとしたこの作品に非常に嫌な印象も持ったのですが、こういったところに起因しているのかなと思いました。ただ、そうした内省を欠くということは、客観性を欠くということでもあると思います。ただ、そうした客観性を欠いてまでも迫りたいことがあった、その歪さがこの作品の凄さでもあるのかな、と今改めて思います。

(この文章は3月3日に書かれたもので、途中まで書いたものが下書きで放置されていたので若干書き足して、というか無理に文章を終わらせて公開したものです)。

ドラマ『野ブタ。をプロデュース』&コメント返信

2009-06-07(Sun)
こんばんは、最近澪からあずにゃんに乗り換えました。僕は昔からドジっ子より、出来る子の方が好きな傾向があるみたいです。自分が出来ないからかな(笑)。
そういえば、4月ごろにベースをやるとかいう話があったんですが、未だにはじめてません。

野ブタ。をプロデュース DVD-BOX野ブタ。をプロデュース DVD-BOX
(2006/04/05)
亀梨和也山下智久

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ゼロ年代の想像力ゼロ年代の想像力
(2008/07/24)
宇野常寛

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『ゼロ年代の想像力』の連載をやっていた当時から気にはなっていたんですが、やっと見たました
このドラマ、2005だったんですね。もっと最近と思ってました。ちょうど、受験期にやってたせいかな。

主人公の修二はクラスの中心的存在であり、それをかなり自覚的にやってる。いわゆるクラス内のキャラ戦争に対して自覚的なプレーヤーである、と。そこに転向初日からイジメを受ける「信子」(野ブタ)を人気者にプロデュースしよう、としている。そこによくわからない孤高の存在・彰が加わり、3人でチームを組むところから話は始まる。

…まあ、亀梨和也に山下智久に堀北真希にと、美男美女勢ぞろいでこんなスクールカースト話をやりやがって!とか思わないでもないですが(笑)。

それはともかく(笑)、その後、修二はある事件をきっかけにクラスの人気者の座から転落していく。そして、クラス内の信頼を失った修二を救ったのはその3人の「チーム」だった、と。宇野常寛の表現を借りれば、クラス内での修二の地位は「キャラクターへの承認」であり、それ自体は「入れ替え可能のもの」だと。それに対して、「チーム」は本来はキャラ戦争のための共同体に過ぎなかったわけですが、チームで行動した結果、それ自体が「入れ替え不可能」なものになっていた、と。
(宇野常寛はその「入れ替え不可能性」を担保するものとして、「終わり」と「誤配」を重要視する。だからこそ、死という「終わり」の入った『木更津キャッツアイ』を重要視する。その理由が今の僕には今一つ理解できない。どうも、過去にコミュニティで泥沼の体験をしているのがトラウマ化しているらしい。「誤配」はわからないでもないんだけど、「終わり」ね…)

この作品の原作は文藝賞を受賞した白岩玄の同名小説ですが、そちらではキャラ戦争に敗れて破滅的な結末を迎えているらしい(読んでないけど、宇野常寛曰く)。それを「入れ替え不可能な共同体」を導入することによって、新たな希望を導入したのがドラマ版ということらしい。
作品設定自体は面白かったし、正直その解決法はそんなに新しいとは思わないけれど、有効。

ただ、この作品見てて思ったことは、この登場人物たち妙に強いなー、ってこと。たとえば、主人公の友達というポジションの彰。
彰は完璧な強度を備えてる。彰はクラスの中でクラス内のスクールカーストの上でも下でもなくて「横」、というかややはみ出たポジション、いわば「変なキャラ」というポジションをゲットしている。このポジションにいたからこそ、「入れ替え不可能なコミュニティ」というものの意味を理解していたともいえる。
ひそかに「キャラ戦争」を横目で見ながら、「キャラ戦争」から逃れることが出来るポジションってのは一番お得なポジションなんだけど、そのキャラをやっていくのは本当に難しいし、かなりの強度をもってないとならない(もちろん、「変なキャラ」というポジションをゲットしてるわけだから、決して「逃れられている」わけではないが、バトルロワイヤル状況から逃れることが出来ている)。

それに比べて言うまでもなく、信子は弱い。弱いんだけど、自分の弱さを認める強さを持っている。こういう形で同級生に「救われる」なんて、結構プライドがズタズタになってもおかしくないんじゃないか、って思っちゃう。僕が進学校出身でプライドが制服着て歩いてるような奴らの中で生きてきたからかもしれないけど。

この作品自体は面白かったし、興味深かったけれども、どうしても僕から見ると引っかかる点があるんだよなぁ。
田中ロミオ『AURA』って「普通のやり方教えて」が確か最後の台詞だったんだけど、何で野ブタ。は「普通」っていう単語を口に出さなかったんだろう。

この辺の気になる話をいつかまとめてエントリに書きたい…って言って書いた試しがないんだよなぁ(笑)。

…あと、どうでもいいけど、これ典型的なセジウィックの「男同士の絆」の図式だよね…ジェンダー論のレポートこれで書けば手っ取り早く終わっただろうなー(笑)。

コメント返信

>Eiじさん

>ええと…難しいエントリですな。 うかつに何か言うとヤケドしそうな…。

全く同感です(笑)。この辺、うかつに触るとやけどしそうです…。こんな最果てのブログだったら何かいても問題ないかなー、と思って書いてしまいました(笑)。

>フェミ的批判についてですが、ロジックこねて批判するよりはストレートに「オタクキモイ」って言うほうがまだいいんじゃないかと…言われる側の意見。

それは思いますね。オタク批判するためにロジックを立てている人が多すぎるのが何とも…。

>Keiさんのおっしゃるように面白いフェミニズム批評もあるので『全部やめてくれ』とは言えませんが。面白ければいいのか?って言われると…う?ん僕はいいんだけど…w

フェミニズムが社会的に影響力を持って実際の政策とかに反映されるとなるとまた難しい問題になるとは思います。っていうか、丁度陵辱ゲー規制の話が本格的になってきた頃にエントリを書いてしまったという(笑)。時期が何気に最悪でした(笑)。

>そんな圧力がw 今の学生さんもいろいろ大変ですね。

本当にそうなのかはわかりませんけどね(笑)。ただ、結構そういう「まわりにオタク多すぎてオタクが嫌だ」的な話は結構聞きます。もう、こっちにくればいいじゃない。
というか、オタクネタがある程度コミュニケーションツール化している側面もあったりしますしね…今や。

コメントありがとうございました。

けいおん!がランキング上位に入る時代の音楽消費

2009-05-03(Sun)
噂にはきいてましたが、実際見てみると先週のオリコンの週間ランキングすごいですね。

東方神起1位ってのも何だかなぁ、って感じですが、2位、3位がけいおん!8位の林原めぐみ、10位にヘタリアが入ってます。ついに、デイリー1位もとっちゃたりして、『ハルヒ』『らき☆すた』で味を占めたランティスが京アニと組んで、わざと音楽モノを選んだようにしか見えない(笑)。今の今までLantisと思っていたら、ポニーキャニオンでした。すみません。

Twitterにも書いたんですけど、テレビを見なくなったと言われる時代に、みんなはどうやって新しい音楽と出会っているんだろう。

Youtubeやブログって音楽に対して能動的に情報を収拾しようとする人にとっては機能すると思うし、そういう人は音楽番組もちゃんと見てると思う。でも、音楽を受動的に――ようするにそれほど興味ないけどiPodとかで何となく聴いてる――消費している人ってどうやって新しい音楽と出会っているんだろう。そんな人は音楽を聴かなくなった説を考えてみたけど、音楽はみんな聴いているんだよなぁ…。

やっぱり、ドラマやアニメとのタイアップなんでしょうか。90年代からドラマとのタイアップがランキング上位をとるようになったと言われていたような気もしますが…。
リア充の世界ではカラオケというコミュニケーションツールを通して広まっているらしいですが、僕はリア充ではないので知りません。まあ、カラオケってオタクの間でも重要なコミュツールだったりはしますが(歌っている曲は違うけど・笑)。

何だかんだ言っても、テレビを見なくなったと言われるけど、やっぱりテレビ文化圏の影響力大きいですよね…。共通言語として。

そういえば、昔家庭教師のバイトで小学6年生の男の子を教えてた時に、その子がKAT-TUNの話ばっかりしててさっぱりついていけなかった。小学6年生の頃に教室を覆っていたJ-POP(というかランキング)への憧れみたいなものは僕たちの時にもあったし、そういうのが日本の音楽文化を支えていて、大きな影響を持っているのかなー。

世代が違う人とカラオケに行くとくっきり差が出たりするし、みんなそんなに(時代的に)「新しい音楽」を消費しているわけでもなく、勝手に興味あるジャンルの音楽を消費していると言った感じなんでしょうか。

…って、あれ途中で論旨が変わって、すごい当たり前な結論に落ち着いちゃった…。

ライブ行ってきた。&コメント返信

2009-02-15(Sun)
フレンズフレンズ
(2008/01/30)
ステファニー

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ステファニーのライブから帰ってきました(昨日書いた奴はネタじゃないので・念のため)。なんか、超リア充なことをしてしまった感で一杯です(笑)。僕なんかが行って良かったんでしょうか(笑)。

ステファニーってそもそも誰だ(ガンダム00一期の後半とかキスダムのEDを歌っていた人って言えば…わからないか…)、とか、なんで僕がステファニーのライブに行くことになったのか、とかいう話は横におきまして、ライブはすごい良かったです。

ステファニーは高音と声量が素晴らしい歌手なんですが(『君がいる限り』の冒頭の高音とかすごい)、生で聴くと本当に迫力が凄いです。生ですごいというのはあらゆる歌手(声優含む)にいえることですが、その中でも群を抜いて。
あと、『Winter Gold』が冬のライブしか聞けないとは知らなかった(笑)。いい時に行きました。

実を言うと、熱心なファンでも何でもなかったので(普通のファンぐらい)、わからない曲もあったりもしたんですが(笑)。でも、『フレンズ』とか『because of you』とかいいですよ、本当に(宣伝)。

あと、会場が予想していたよりも全然小さかった(…ホント、ライブ中の話に出てきていた単独武道館は遠い…)のも、距離が近くて良かったです。
テレビを見ないのでどれぐらい人気あるのか全然知らなかったんですが、Mステとかにも出ているらしいし、もっとデカい会場かと思ってました…。

5000円とって、あの会場(シーティング構成でwikipediaに書いてあったキャパシティ曰く350…)を埋めるって、ものすごく大変なことなことなんだ、とか会場を見て思ってました。あと、会場のどこかに金子修介いたらしい(笑)。

これからも、単独武道館目指して頑張って欲しいです。今日の会場見てると、武道館は本当に遠いなぁ…と思いますが、本当に歌に魅力がある人だと思います。音楽に詳しくない僕が言ってあんまり説得力ないですが(笑)。

でも、これで(公称年齢が正しければ)僕の1日年上なんだからなー、すごいなー。あんなに輝いている21歳は素敵。僕がステファニーを最初に知ったのは『ガンダム00』のEDの『フレンズ』ですが、興味持ったのは生年月日が1日違いだったってのもあったりするので(笑)。

というわけで、僕は今日の『ガンダム00』を見逃していたりするんですが、楽しかったです。

コメント返信

>職業ニートさん

>Keiさんはやはりハル(ry

まあ、ハルキストなのは間違いないかと思います(笑)。改めてみたら本当に返信長かったですね…わざわざ読んでくださって、ありがとうございます。

>これは一般論なんですが、作家にしろ何にしろ有名人って一発当てちゃうとそのイメージで固定しちゃうことが多いじゃないですか?で、ファンはいつまでもそのイメージで寄ってくるんだけど、本人は型にはめられるのが嫌だからつれない態度をとる

そうですよね…。
村上春樹って結構それが顕著な人じゃないかと思います。たしか、はてなのブコメで『海辺のカフカ』は別のライターが書いているのかと思った、というのを見たんですが、そういう人は結構おおいじゃないでしょうかね…。
東浩紀が最近書いてた「批評の書き方」とかそのまま春樹に使えそうですしねー(笑)。

>「愛と平和」とか「教育」とか言い出したら確実老害な気がする(笑)

かつては時代の最先端にいたのに、気付いたら何かやっているんだけど、誰も注目してない人とかいますよね…。浅d(ry・・・・なんでもないです。

本ブログはXP+IE7、Firefox3、Safariで一応確認しています。
リンクについては貼るなり外すなりお好きにどうぞ。

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Kei

Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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