『ザ☆ネットスター!』にまさかのほんこーんさん出演(笑)。NHKすげええ、そして歌うまい…。
…ネットスターでもドナルドはさすがに出来なかったらしいですが、いさじ兄貴の歌声がテレビで聞ける日が来るとは思いませんでした。…さすがに、「バラライカ」は映像だけで音楽はなしでしたが(笑)。
あと、神主出てましたね。白田先生の努力のおかげで東方の人気の理由がわかった気がします。
ただ、今回は詰め込みすぎな感もありましたね…。

ぼくらの 1 (1) (IKKI COMICS)ぼくらの 1 (1) (IKKI COMICS)
(2004/06/30)
鬼頭 莫宏

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すごい今更だけど、『ぼくらの』を7巻まで読んだ。あーにそーんあにそーん。
そういえば最近、石川智晶(歌手)と石原千秋(文芸評論家)を言い間違えました。すみません。こうして名前だけ見ると、どっちが男でどっちが女かわかんねー。

で、それはともかく、面白かった。もちろん、設定的にはセカイ系なんだけど、『エヴァ』と全く違うところは、自分のためには戦えないこと。『エヴァ』は中盤あたりのシンジくんやアスカに見られるように、他者から承認してもらうために戦う、なんていうことも可能だったのですが、『ぼくらの』では戦闘後すぐ死んでしまうので、自分のためには戦えない。
なので、結果的に戦うためには、自分以外に守りたいものが明確にある必要がある。家族であり、友人であり…いやあ、シンジくんには無理だなぁ。実際、それで任務に失敗した奴もいるし。
まあ、中には、自分以外の誰かを殺したいがために戦おうとするチズみたいな奴もいるわけですが…、結局姉を守るために戦っているし。
ちなみに、一番好きなエピソードはナカマです。

『ぼくらの』を読んでふと思い出したのは永井豪の『デビルマン』で、『デビルマン』だと魔女狩りというかデーモン狩りで、家族と美樹を失い、主人公が人間を守る意味をなくす。
『ぼくらの』も7巻ではマスコミなんやかんやで彼らが守りたい日常はすでに奪われているわけですが、『デビルマン』と同じ道をいかないことを願いたいです。ただ、これで人類愛とか謳いだしたら失望するけど(笑)。8巻はまだ読んでません。

でも、昨日観てきた『スカイ・クロラ』にせよ、『ぼくらの』にせよ、結構みんな淡々と運命を甘受しますね。「他人のために戦う〜」彼らは戦うことの意味なんて求めてないのかもしれません。
戦う意味を問うて自分を見失う−−まあ『スカイ・クロラ』ではミツヤ、『ぼくらの』では切江がその役割を担っていたのかもしれませんが、−−はどうやら流行らないらしい。切江も最終的に戦うしね。
成熟が様々あった可能性を否定して、現在の自分を認めることなら、彼ら(『スカイ・クロラ』も『ぼくらの』も)は大人だよね…。

…ホントは『ぼくらの』は前書きで別の本のレビューをするつもりで記事書き始めたんですが、眠いのでねとすたと『ぼくらの』だけで。
しつこく、PCの自動更新のポップアップが出るので、クリックしてみたらWindowsXP SP3でした。…今更そんなもの出てるんだ…当初はVista発売後2年間までしか保障しないとか言ってたのに(笑)。
というわけで、最近ネットの知り合いにmixiが見つかりまくりのKeiです。mixiと分けている意味あんまり無くなって来た…。

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ケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たちケータイ小説的。――“再ヤンキー化”時代の少女たち
(2008/06/09)
速水健朗

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今ネットで話題の『ケータイ小説的』読んだ。話題って言っても、東浩紀が推薦しているのを見ただけだけど(笑)。
それにしても、速水さんの文章読みやすいですね。ジャーナリストだからでしょうが、人文系の学者特有のまどろっこしい言い方がなくて、読みやすい(笑)。

*概要
簡単に概要をまとめると
第1章はケータイ小説の起源を浜崎あゆみに見出す。尾崎的な反抗から浜崎的な内面対峙(トラウマ)へ。

第2章はケータイ小説の「リアルさ」を保障しているのはノンフィクションである(実話をもとにしている)、ということだけ、という事実。もちろん、ケータイ小説の大半はフィクションであるのはよく指摘されることですが、重要なのは「事実」として読者に受容されているということ。
そして、不良少女の変遷が語られる。ヤンキー→コギャル→再ヤンキー

第3章では現代ではヤンキーが東京への憧れのない世界、郊外で地域共同体を形成して生きていることが語られる。

第4章ではAC系とケータイ小説の関係が指摘される。

というわけで、簡単に言えば秀逸な現代ヤンキー論です。
2ちゃんねる的なラベリングで言ってしまえば、リア充とかオタクとかじゃなくて、DQNの話です。どうでもいいですが、ネットコミュニティでは若者をリア充/オタク・非モテの二項対立で語りがちだけど、ネットで言われているイメージを見る限りリア充≠ヤンキー(DQN)なので、ネット住人的にはヤンキーはアウトオブ眼中って感じなんでしょうねー。というか、リア充なんてオタクが生み出した理想の生き物じゃね?
正直、自分も全然若者論において地元ヤンキーは眼中になかったので反省。

でも、改めて考えたら僕は新興住宅地の小学校だし、中学は中高一貫だし、しかも学校が遠かったから、地元のつながりは疎遠だったし…というわけで、さっぱり地場ヤンキーとは縁のない人生を送ってきたせいで、読んでいても実感は今ひとつ。

*リアル系しか読めない若者

2章で出てきている赤木かん子氏によれば、「今の子供たちは『リアル系』しか読めない。ぎりぎり読める『空想系』が『ズッコケ』」と述べています。ちなみに、「リアル系」とは「リアリティのあるなしは関係なく、『事実』『ほんとうの話』を謳った作品」と定義されています。

…うーん、やっぱりピンと来ない。実は僕もバリバリのファンタジーってのは結構ダメで、ある程度のリアリティがないとダメな人なんですが(だからSFはOK)、そういう問題でもないらしい。
ネット界で言えば、『電車男』がこの作品にくるわけですが、僕自身『電車男』のまとめスレなんて読んだことすらない。ただ、『電車男』に限らず2ちゃんねるのスレ(特にVIP)は、この系に近いのかもしれません。
実話だと思ってケータイ小説を読んでいる女子高生って、VIPの「ちょっと俺の話を聞いてくれ」みたいなスレを読んでいるのと感覚的にはかわらないのかもしれません。

ただ、それが今の若者の現実だとするならば、「文学」はおろか「作品」「フィクション」っていうものが成立するのは相当厳しいですね。
まあ、古い芸人とかが最近の芸能人を称して、「最近の芸能人は芸が出来なくて、自分自身をさらして勝負している。そして、そのキャラが飽きられたら捨てられている。その繰り返し」とか言っているのを見たことがありますが、それに近い状況かもしれません。あー、麒麟の田村ね
「フィクション」であることを受け入れないなら、「リアルさ」を調達するために作家一人に対して、作品は一つしか出来ないわけで、実際『Deep Love』のYoshiが書いた二作目は売れなかったらしい。『恋空』の作者も、他の作品は『恋空』の関連作品である『君空』しか書いてないですしね。
昔から、「どんな人でも一つは小説は書ける」っていう名フレーズがありますが、まさにそんな状態なのかもしれません。

…なので、クリエイターになるなら残っている道はオタク路線だけなのかもしれません。オタク作品は欲望という原動力があるから、フィクションを作り受容できるのな…?

*ファスト風土の物語

この本のp.156に地域別の売り上げ統計が載っているのですが、見てびっくりしました。このグラフを信じるならば、今や、文芸書が売れるのは首都圏だけで、逆に首都圏ではケータイ小説は驚くほど売れてない。この統計ではケータイ小説の東京都の売り上げを、愛知県、兵庫県、福岡県、北海道が上回っています。

ケータイ小説が売れているのは、地方のTSUTAYAとかそのあたりみたいですね。実際、ケータイ小説の多くはファスト風土化された地方が舞台になっていて、さらに言えば地域の固有名詞などはほとんど出てこない。
そういった素地で売れているみたいですが…、ますます意外。

これは余談ですが、文学作品を書く上で地方出身っては意外と有利で、何でかというと上京小説が書けてしまうから。古くは『三四郎』とか。最近では佐藤友哉も古臭く上京小説書いてましたねー(『世界の終わりの終わり』)。

実際、佐藤友哉を見ていても、明らかに北海道出身ってのは創作上の糧になっていて、佐藤友哉の代表作「鏡家サーガ」は「こんなTSUTAYAしかない田舎なんていやだ、東京いきてー!」とか思っていた佐藤友哉の高校時代が見え透けます(笑)。ルサンチマンやコンプレックスは文学書く上で大事でしょうし。…でも、評論家になるには地方出身っては不利な気がする…。

で、佐藤友哉(←オタク代表)がそんなことを考えている間に、確実にファスト風土の中で地域共同体を作って、生きていっている人たちがいる。そして、そういう人たちに『恋空』は受けている…のかなぁ…。
何度も繰り返すようですが、僕自身地域共同体なるものを忌み嫌っていたので(笑)、実感がさっぱりありません。ゲゼルシャフト万歳だぜ!(←カタカナを使ってみたかっただけ)

*AC系

あと、前から気になっていたんですが、「AC系」という用語。これ、言い出したの宮台さん?だと思うんですが、「AC系」という用語がよくわからない。まあ、そのあたりの文脈を押さえてないからでしょうが…。
そりゃ、「アダルト・チルドレン」の意味ぐらいは辞書ひけば載ってますが、明らかに「AC系」っていう用語は狭義の「アダルト・チルドレン」の意味からははるかに拡散しているし、その原義的な意味「親がアルコール依存症で〜」に引っ張られるせいで、さっぱり理解出来ません。
とりあえず、「碇シンジ」系ってことで理解に僕の中ではなってますが…このあたりがこの本読んでいてもよくわからなかった。原義的には「浜崎あゆみ」系といった方が近いのかもしれませんが…。
宮台真司とか知らない人はもっとわからない気がするんですが…。

「やさしい関係」=「他人と積極的に関わることで自分が傷つけられてしまうかもしれないことを危惧する《やさしさ》」(大平健『やさしさの精神病理』)



やっぱり碇シンジじゃん(笑)。あれ、ゼロ年代は「決断主義」の時代じゃなかったの、宇野さん?

*届かない手紙

ちなみに、本書のラストは携帯やネットで常時つながることに疲れた若者たちが、『届かないかもしれない」ことを前提にしたメディアが持ち出されているのだ』で終わります(『恋空』自体、「届かない手紙」という形式をとっています)。
…もろ東浩紀ですが、これは当たっているでしょうね。
ニコ動が出てきた今、「つながりの社会性」(繋がることを重視したコミュニケーション)なんて論じるまでも無く当たり前のものになっているわけですが、「つながり」を欲望しつつも、「つながり」続けることでの緊張感への疲労。このアンビバレントな感情が今の若者の実態(ヤンキー、オタク問わず)なのでしょうか。

って、ちょっとのつもりで書き始めたら無駄に感想長くなってしまった!


コメント返信


>しーびーうぇっじさん

>レッドブルはエンジンよりもシャークフィンをマネされたことが大きいかと。

なんたって、シャークフィンですか。今や当たり前になりましたね…。スタビリティを向上させるとは言われてますが…。

>第4戦スペインGPでルノーが導入
>第6戦モナコGPでトロロッソが導入
>第9戦イギリスGPでフォースインディアが導入

そういわれれば、スペインGPからルノーは格段に速くなりましたし、モナコGPでは確かベッテルが入賞しましたね…まあ、モナコからSTR3(RB4)が投入されたので単純にシャークフィンのおかげかはわかりませんが…。

>第11戦ハンガリーGPでこの3チームがシャークフィンを導入します。

確かに、ハンガリーのフェラーリとトヨタは好調でしたし、バレンシアでも好調でしたね。…まあ、Hondaは…現状では何をやってもあんなものでしょう(笑)。

マクラーレンはテストはしたものの大差ないということで導入を見送った気がしますが、スパでどうなるか見たいですね。あとはBMWだけですかね、導入してないのは…。確かに、バレンシアのクビサは久々の表彰台でここのところ今ひとつですね…特にハイドフェルド…。

コメありがとうございます。
*近況報告
この間まで、東京に遊びに来ていた高校時代の友人と東京のアチコチを回っていました…っていうほど回ってないのはご愛嬌。結局、秋葉原と神保町にしか行ってないような気がします。あれ、同じような行程をどこかで見たな…。

ちなみに、昨日は今更アニメ『みなみけ』見てたら一日潰れました。『みなみけ』いいですね、癒されます。次女かわいいよ次女、保坂気持ち悪いよ保坂。おかわり?なにそれ?

というわけで、そろそろ通常更新に戻ると思います。休みなのに圧倒的に更新率が低いという…。

*オリンピック
その代わり、ほとんどオリンピック見てません。ソフトボール見たかったのになぁ…金おめでとうございます。テレビ欄をチェックする習慣がないと、見たいと思ったものも見逃してしまうものです。

星野ジャパンは残念でしたね。といっても、結局予選リーグのキューバ戦と韓国戦しか見てないんですが(笑)。
でも、正直僕は今回の星野ジャパンのメンバーが特に悪かったとは思わないですし、伝え聞くところに寄れば作戦が悪かったとは思わないんですけどね。岩瀬続投が批判されていたみたいですが、あそこで岩瀬の代わりに出せるピッチャーいないでしょうしね…(上原?冗談じゃない)。

でも、今回の日本代表見てて思ったのは救援陣が手薄な気がします。近年のプロ野球の投高打低のせいで先発完投の試合が増えて、救援陣が育ってないんでしょうか。加藤大輔連れて行けばよかったのに…。

*『ファウストvol.7』

まあそういうわけで、忙しかったりアニメ見てたりの理由で、『ファウスト』があまり読めてません。とりあえず、読んだところ感想。

ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社MOOK)ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社MOOK)
(2008/08/08)
不明

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筒井康隆×いとうのいぢ『ビアンカオーバースタディ』

やっぱり、筒井先生あなたは最高です(笑)。ハルヒも時かけも軽やかにパロディにする筒井先生格好よすぎます。しかも、明らかなネタとしてのパロ(『らき☆すた』的な)じゃなくて、登場人物が大真面目にハルヒっぽい台詞とか言っているあたり最高です。ただ、筒井先生でないと出来ない大技って感じですが…(新人がやったらパロディじゃなくて「パクリ」扱いされかねない・笑)。

ただ、今のところそれだけの作品。筒井康隆の本領発揮ってほどでもないし、正直ラノベにはなってない(ラノベにしてはキャラ立ちが弱い)。
今後の展開は気になりますが、現状ではそんなところでしょうか。ところで、塩崎哲也って名前が気になっているのは僕だけですか…?

佐藤友哉『青酸クリームソーダ 鏡家サーガ<入門編>』

やばい、やっぱり佐藤友哉は最高。久しぶりにいかにも佐藤友哉って感じの小説を読んだ気がする。『世界の終わりの終わり』は超つまらなかったし、『1000の小説とバッグベアード』はお利巧さん小説って節があったので、佐藤友哉でいかにも!って読んだのは本当に久しぶり。
…まあ、その結果として原点回帰といえば聞こえがいいけど、実際は「またこのネタかよ!」っていうオチだったりするわけですが(笑)。

最近ようやく自覚して来ましたが(遅っ)、佐藤友哉を僕が好きなのは、単純に僕の特殊な趣向の問題なんだと思う。
佐藤友哉の小説のラストって毎回毎回馬鹿げたラストだし、馬鹿げた世界で、そこが多分賛否が分かれるんだろうけど、僕はその馬鹿げた世界が大好きです、はい。
まあ、佐藤友哉の話はいつかじっくり考えたいと思います。

…しかし、この作品をまだミステリと言い張るか佐藤友哉(笑)。これは確か西尾維新がインタビューで言っていたことですが、作品をどう終わらせ方で、ミステリの構造を使うと起承転結が出来るし、終わらせやすいそうです(謎が解明すれば終わらせることが出来るので)。
で、佐藤友哉も今やミステリの構造に則って書いているだけで、内容は全く持ってミステリとは程遠いと思うんですけどねー…まあ、そんなことは佐藤友哉のデビュー以来わかっていたわけですが。

東浩紀特集

全部読んだ。『動物化するポストモダン』はアメリカではカルチュラルスタディーズの文脈、フランスではポストモダン思想やアカデミズムの文脈、韓国ではサブカルジャーナリズムの文脈で出版されたとのこと。
『動物化するポストモダン』はオタク論というよりは、日本社会論、ポストモダン社会論ですし、多様な読解は出来る本ですよね。そして、これを超える著作を東先生はここ数年間に書いただろうか、とか思ってしまったのは内緒(『動ポモ2』はいい著作だけど、作品論、オタク論に寄っているし)。

竜騎士07インタビュー

なんていうか、竜騎士のインタビュー読んでいると不思議な創作意欲がわきます(笑)。「僕でもクリエイターに成れるんじゃね?」みたいな意味で(笑)。
いやー、クリエイターってもっと色々なこと考えているのかなー、とか思っていたら、インタビュー読んでても意外と大したこと言ってないんですよねー、竜騎士って(笑)。

『ファウスト』という雑誌は出自をたどれば80年代後半〜90年代前半に「新本格ミステリ」を牽引した講談社ノベルスの編集部なわけで、『ファウスト』の編集長である太田克史もミステリ雑誌『メフィスト』の出身。
なのに、「かつて誰もが期待した『孤島の洋館もの』っていう題材は何十年も昔に閉ざされて以来、全く書かれてない時代だと思うんです。」とかあっさり言ってしまう竜騎士萌え。綾辻行人や有栖川有栖涙目だよ、これ(笑)。
でも、これが言ってしまえるのが竜騎士の強さなんだと思う。

中学〜高校の頃に随分ミステリ読んだ人から言わせて貰えば、ゼロ年代に現代ミステリを読むというのは、綾辻行人→京極夏彦→清涼院流水→西尾維新という「新本格ミステリ」変節の歴史を読むということです。しかし、それは同時に「新本格ミステリ」の理念「古典的ミステリの復興」の敗北の歴史を読むということでもあります。

その歴史を読んできたきた世代が古典ミステリを書こうと思うかというと間違いなく否なわけで、その結果が佐藤友哉や西尾維新の作品群なんだと思う。
そんな時代なのに、(パロディ以外で)ベタに古典ミステリの世界観を持ってくるなんて、それこそ新本格ミステリなんて存在すら知らない竜騎士07だからこそ出来る技だと思います。

ただ、『ひぐらしのなく頃に』は本格ミステリとしては破綻しているし(「綿流し」→「目明し」は見事ですが)、『ひぐらし』が売れたのはやっぱりサスペンス要素、ホラー要素、キャラ萌えラブコメ要素だと思うんですけど、それでもインタビューでミステリにこだわる竜騎士がやっぱりわからない(笑)。

あと、これは完全に余談ですけど、作者が「作品のテーマは?」って聞かれて、一単語で答えられる作品ってのはまずいと思うのは僕だけでしょうか…。っていうか、一言で言語化できるような概念ごときを語るのに物語を使うな、と思ってしまう(笑)。
作者がテーマ性を過剰に意識しすぎると、結局作者の言いたいことに向かうだけの予定調和の物語にしかならないと思うんですけどね…。なんていうか、もっと物語やキャラクターの持つ力を信じて欲しい。そして、竜騎士はそれが出来るだけの実力がありながら、結局わかりやすいテーマ性に回収されてしまった感があるのが残念なんですよね…って、毎回「ひぐらし」関連に関しては同じこと言ってますが(笑)。

まあ、こんなこと思ってしまうのは、僕が物語に神聖さとかを過剰に求めているからかもしれませんが…。
そもそも、そんな偉そうなこと語るなら自分で書いてみろって話ですが(笑)。

そして、竜騎士のインタビューに対する感想が一番長いという…。ある意味、刺激的なインタビューなのかもしれません(笑)。

そのほかもちょこちょこ読んだのですが、感想書くのが面倒なのでまた次回。

コメント返信

>双城さん

指名しておいて、返信遅れてすみません。しかも、まさかこんなに長くつけてくれるとは…。

>私の言うファム・ファタルというのは、大雑把に言って、「主人公(男)にとっ
て魅力的でありながら、同時に幾多の障害の原因にもなる女」です。

そうですね。C.C.はファム・ファタルということは可能かもしれません。ただ、僕のイメージではファム・ファタルが不幸をもたらす原因は女性としての魅力という印象が強いので、ギアスによって不幸がもたらされたC.C.はまた微妙かと…思ったりもするのですが…。

>彼女には最早、不幸の原因としての過去(ギアス能力の契約)は無く、ただの人間の女としての過去だけが再起した、時に適切な助言をすらしてくれる、可愛い、ただ純粋に魅力的な女性です。

はい、そのとおりですね(←16話以降C.C.派に乗り換えた奴)。


>それに、不死になってからの記憶は、幸せだったとは言いがたいものでしょうから、その記憶を復活させることが完全に良いことかというとそうではない気がする。かと言って、ルルーシュとC.C.との共犯時代の記憶まで無くしてしまったのは不幸なのではないかとも思う。
>ルルーシュにはその判断が出来ない。でもまぁ、たとえ不死になってからの記憶が不幸にまみれていても、その記憶が消えても、過去の事実は消えないのですから、あらゆる過去を踏まえた上での現在を生きることこそ100%のC.C.であると個人的には思うので、やはり記憶は取り戻して欲しいですね。

まあ、でもどうなんでしょう。僕的には今のC.C.の方が色々抱え込んでいるときよりも、幸せそうなのでどちらかというと記憶を取り戻して欲しくない派です。
記憶喪失が出てくると、ラストで記憶を取り戻してハッピーエンドという物語はよくありますが、一から関係を作り上げていくというのもいいのではないかと思うわけです…。

>そこら辺すべてを解決させて尚、C.C.が天使としてあるのは……谷口悟朗監督の腕に期待するしかないですね。

そうですね。でも、ここのところC.C.は空気ですが…。

>カレンは、見ていてただの女の子ですね。

あれがただの女の子なのか…。まあ、典型的な戦闘美少女って感じはしますが。
前回の放送でカレンもルルーシュの元を離れたわけですし、どうなるんでしょうね…。というか、艦内に残されたC.C.はどうなるんだ…事情を知っているのはカレンだけですし。

長いコメントありがとうございました。
*テンプレについて
コメント欄のステータス(投稿者、日時)の表示が白っぽい背景に白文字設定だったので、黒文字に変更。
コメントは管理ページ上で見ていることが多かったので今の今まで気づきませんでした…すみません。
テンプレのCSSはいじりまくっているので、おかしいところがありましたら、指摘してくれると助かります。テンプレの配布者のソースとはかなり変えてしまっているので、それは明らかに僕の責任です…。
多分、配布者テンプレの方が格好いいんですが、長い文章を書くときに黒背景に白文字って読みづらいと思うんですよね…僕だけでしょうか(笑)。あとは文字サイズ大きくしたり、行間を広くしたりと…そんないじり方をしてます。

*昨日の秋葉原通り魔事件の記事の続き。

何故か、昨日はアクセス数が半端ないことになりました。アクセス解析見ると、宮台しんじ新聞から来てる人が多すぎてビビった(←平仮名なのは検索よけ)。あれ見ている人いるんだね…正直ネタサイトかと思ってた…まあ宮台さん本人がブログで宣伝していたが。

あのあとネットに違法うpしてあった『サンデープロジェクト』見た。
東浩紀、随分と頑張って喋っていたが、案の定誰も聞いてなかった。というか、あんなこと言ってもなぁ…サンプロ見ているようなオヤジたちには誰一人理解して貰えないだろうに。論点提示すら理解して貰えない。そもそも、何の断りもなくパネルにスレッドって言葉使ってたけど、誰にも理解して貰えなかったと思うよ(笑)。
田原にあずまんが「あなたは若いからわかってない」言われてて笑った…いや、若者問題について論じているのに「若いからわかってない」って(笑)。
カンサンジュンのダンディボイスは久々に聞いたが、いいねー、これぞ主婦殺し。喋っている内容は碌に聞いてなかったけけど。
桜井よしこ女史は…もう何も語るまい。

*『ひぐらしのなく頃に』論

今日で大学の集中講義終わりです。
レポート式のテストでなんか「ゴシック文化」について書け、とか言われたので、『ひぐらしのなく頃に』論書いてました。
…いや直前に、先生から「当たり前過ぎて面白くないから『ひぐらし』とか書くなよ」って言われたのですが、敢えて書きました。すみません。
「『ひぐらしのなく頃に』はゴシック性を解体していく物語である」とかそんな要旨。まあ、逆ならいいかなぁ…と(笑)。

実際、『ひぐらしのなく頃に』の後半(『皆殺し』編以降は)ミステリ的に言えば謎解きされていくわけですが*1、言い換えれば同時に超越性とかゴシック・ホラー的和風ホラー的要素を近代科学とかで解体していく話なわけです。
また、「仲間」意識の崩壊(その結果としての殺人)の原因を徹底的に外部に求めていく話でもあります。その結果として、「仲間」が結束して、「敵」(見えない「敵」→「見える」敵に変化している)を倒そうとするのはまあ必然でしょう。
そんなわけで、『School Days』好きの趣味の悪い僕的には、後半部分はあまり好きじゃなかったりするわけですが果て…。

とかいいつつ、『ひぐらしのなく頃に』はアニメしか見てないんですけどね(おい)。ちなみに、原作は体験版第一話しかやってません。コミックは『目明し編』だけ持ってます。BOXは持ってません。

*1…本格ミステリとしては破綻してますが、物語のつくりとして。ミステリファン対策の注釈。

*『ファウストvol.7』

さてさて、世間では厚すぎて凶器になるとか、厚すぎて持ちにくいから凶器にすらならないとか、様々な評判がある『ファウストvol.7』買ってきましたー。でも、正直デカさに関して言えば『パンドラ』の方がインパクトあった。

ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社MOOK)ファウスト Vol.7 (2008 SUMMER) (7) (講談社MOOK) (講談社MOOK)
(2008/08/08)
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『ファウスト』は俺の青春!
…すいません「〜は俺の青春!」ってフレーズを一回使ってみたかっただけです。ちなみに、『ファウスト』が青春なんて、どんなしょぼい高校時代送ってきたんだって話ですが、しょぼい高校時代だったのは確かです…当時は「これが新しい文芸だ」とか半ば本気で言ってました。

それにしても、今回の『ファウスト』は面白い企画が多いですね。まあ、二年もあればそれぐらいのものはたまるわな…。ただ、僕の中では『ファウスト』ってのは創刊号、vol2ぐらいで終わってたりしますが…すでに5年ぐらい?前になるんですよね。
その5年の間に僕の環境とか立場とか関心とかが丸きり変わってしまっているし、『ファウスト』をめぐる環境も変わったし(講談社BOXとか)、現実社会やネット社会をめぐる環境も代わったわけで、正直何ともいえない隔世の感すらあったりします。

・対談 佐藤友哉×西尾維新
最初に読んだ。同世代のほのぼのトーク。ただ、やっぱり引き出す人欲しいよね…正直、この二人だけだとほのぼのトークで終わってる(笑)。
でも、本人たちも言及しいているとおり、二人をめぐる環境は本当にここ数年で変わりましたね。正直、『ファウストvol.1』の頃には並んでいることに特に違和感は無かったんですが(どっちかというと舞城の方が違和感あった)、今や佐藤友哉は純文の人だし、西尾維新はアニメ化原作の人。ポジションは島本理生(佐藤夫人)と日日日(アニメ化原作でも思い出しただけ)ぐらい離れている(笑)。
それと、西尾維新も自身の変化に自覚的なんですねー。随分前の東×西尾対談のせいで、もっと天然かと思ってた(笑)。『ゼロ年代の想像力』ひょっとして読んでる??

以後、読む予定のものピックアップ(全部読むのは面倒なので)

・筒井康隆×いとうのいぢ
…のいぢ絵いいよのいぢ絵。かの筒井先生がラノベに挑戦したという意欲作。これは期待できる。そして、挿絵はいとうのいぢ。どっちも期待。…それにしても、この作品ののいぢ絵は少女漫画っぽい絵ですね。
・佐藤友哉2作品
…まあ、宇野常寛に古いと何といわれようと、メフィスト系で最も好きな作家であることは変わりないので。頑張れ、なんか三島賞取った後ネタがなくなった感があるけど。
・東浩紀インタビュー
…そりゃ、読みますよ。
・福嶋亮大の評論
…今回、やたらと福嶋さん頑張ってる。なのに、表紙の文字は東浩紀より小さい。これは可哀相。『思想地図』でもいいこと書いていたんだけど、扱っているトピックがトピックだけにね…。オタクはあまり海外のことには興味ないんだよね、多分…興味あるのはどっちかというとビジネス関連の人で。
・竜騎士07インタビュー
…『うみねこのなく頃に』(体験版)落としてきました。プレイしてから読むかも…?
・幻影城特集
…読むかも。確かに、『ファウスト』って既存文学関係者の対談を必ず入れていたような気がしますが、正直「何故、今更『幻影城』?」って感じもする。新伝奇関係?

ちなみに、森川嘉一郎さんが3ページだけのエッセイはもう読みました。サブカルのアカデミズムによる権威付けは児ポ法対策に使える!ってか、使えよ!って話(違うかもしれない)。
こんなとこですかね、はい。

コメント返信

>もてる男さん

>やっぱブログって時間かかって更新とか面倒臭い時もあるけど楽しいですよね

応援ありがとうございます。

>双城真也さん

>コードギアス効果というよりxxxHOLiC効果では?

でもxxxHOLiCはそもそもCLAMP原作ですしね…。
何の関係もない作品にキャラクターデザインとして参加するというのは、やっぱりコードギアスの影響って印象ですが…。

って、どうでもいい反論ですが(笑)。

コメントありがとうございます。
ちょっと話が変わりますが、地味ながらもブログをここまで続けてこれたのは、本当に見ている人コメントくれる人のおかげだと思います。
ここのところ、更新頻度が下がっていて(モチベーション低下で)、痛切に思いました。
このブログのおかげで、僕自身も助かっているところも多いです。
この場を借りて見てくれる人コメントくれる人すべてにお礼を申し上げます。そして、これからもこんなブログでよければよろしくお願います。

あと、面倒くさがり屋なのでコメントあまり書き込みませんが、ここでコメントくれた人のブログはちゃんと読んでますよ。RSSリーダ上で見ていることが多いので、アクセス数すら貢献してないこともありますが(笑)。
unocchi

これは買わざるを得ないですね、いろんな意味で。というわけで、ニヤニヤしながら生協で買ってきました(きめえw)。宮台さんの推薦がついているあたり、もう笑いが止まりませぬ。これはどうみてもポジショントーk(ry
しかし、生協に売ってるもんだなぁ…こんな本。『ケータイ小説的。』も入荷してくれないかなぁ…あとついでにコミケのカタログも
この後、飲み会だったり、読む本がたまっていたりするので、読むのは後回しになりそうですが。
せめて、『木更津キャッツアイ』ぐらいは見て読もう、うん。
しかし、この本がこれから開拓すべき読者層は、東浩紀なんて読んでいる人たちじゃなくて、もっと広い層でしょう。その意味でちょっと期待。ただねー、版元、早川だし、この表紙でしょう…「文芸評論」の棚の限界小説研究会とかの隣におかれてもねー、読者層は広がりそうもない…。
宮台さんのダヴィンチの連載を収録した本(タイトル忘れた)の隣ぐらいに置いてあげると面白くなるかもしれない。

ついでに今読んでいる本。

経済学という教養 増補 (ちくま文庫 い 66-1)経済学という教養 増補 (ちくま文庫 い 66-1)
(2008/07/09)
稲葉 振一郎

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人文系人間の人文系人間による人文系人間のための経済学入門。
これは面白い。
そもそも縦書きだったり(経済学の教科書は基本的に横書きが多い)、「序」でソーカル事件について触れていたり、ミクロ経済学の説明が10ページで終わってたり(絶対優位、比較優位の話しかしてない)、と結構経済学入門としてはぶっ飛んでいる本。ミクロの説明はそれだけなのに、その何倍ものページ数を幾種類ものケインジアンの説明に費やしてます(笑)。あれ、フリードマンは!?
人文系読者とならんで、経済について学びたいビジネスマン・経済経営系の学生に向けて書かれている、と稲葉さんはおっしゃってますが、後者の人は序章の「ソーカル事件云々」の話で読むのやめると思いますよ!?
でも、書き方が数式が出てこなかったりと大変人文チックなので、親しみやすく面白い。何故か、人文系の読者は近代経済学よりもマルクス経済学の方が詳しかったりするという変な現象があるので(笑)、人文系の読者には向いているのではないでしょうか。

…まだ読み終わってないけど。飲み会でも行ってきます。
  
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