『ザ☆ネットスター!』にまさかのほんこーんさん出演(笑)。NHKすげええ、そして歌うまい…。
…ネットスターでもドナルドはさすがに出来なかったらしいですが、いさじ兄貴の歌声がテレビで聞ける日が来るとは思いませんでした。…さすがに、「バラライカ」は映像だけで音楽はなしでしたが(笑)。
あと、神主出てましたね。白田先生の努力のおかげで東方の人気の理由がわかった気がします。
ただ、今回は詰め込みすぎな感もありましたね…。
すごい今更だけど、『ぼくらの』を7巻まで読んだ。あーにそーんあにそーん。
そういえば最近、石川智晶(歌手)と石原千秋(文芸評論家)を言い間違えました。すみません。こうして名前だけ見ると、どっちが男でどっちが女かわかんねー。
で、それはともかく、面白かった。もちろん、設定的にはセカイ系なんだけど、『エヴァ』と全く違うところは、自分のためには戦えないこと。『エヴァ』は中盤あたりのシンジくんやアスカに見られるように、他者から承認してもらうために戦う、なんていうことも可能だったのですが、『ぼくらの』では戦闘後すぐ死んでしまうので、自分のためには戦えない。
なので、結果的に戦うためには、自分以外に守りたいものが明確にある必要がある。家族であり、友人であり…いやあ、シンジくんには無理だなぁ。実際、それで任務に失敗した奴もいるし。
まあ、中には、自分以外の誰かを殺したいがために戦おうとするチズみたいな奴もいるわけですが…、結局姉を守るために戦っているし。
ちなみに、一番好きなエピソードはナカマです。
『ぼくらの』を読んでふと思い出したのは永井豪の『デビルマン』で、『デビルマン』だと魔女狩りというかデーモン狩りで、家族と美樹を失い、主人公が人間を守る意味をなくす。
『ぼくらの』も7巻ではマスコミなんやかんやで彼らが守りたい日常はすでに奪われているわけですが、『デビルマン』と同じ道をいかないことを願いたいです。ただ、これで人類愛とか謳いだしたら失望するけど(笑)。8巻はまだ読んでません。
でも、昨日観てきた『スカイ・クロラ』にせよ、『ぼくらの』にせよ、結構みんな淡々と運命を甘受しますね。「他人のために戦う〜」彼らは戦うことの意味なんて求めてないのかもしれません。
戦う意味を問うて自分を見失う−−まあ『スカイ・クロラ』ではミツヤ、『ぼくらの』では切江がその役割を担っていたのかもしれませんが、−−はどうやら流行らないらしい。切江も最終的に戦うしね。
成熟が様々あった可能性を否定して、現在の自分を認めることなら、彼ら(『スカイ・クロラ』も『ぼくらの』も)は大人だよね…。
…ホントは『ぼくらの』は前書きで別の本のレビューをするつもりで記事書き始めたんですが、眠いのでねとすたと『ぼくらの』だけで。
…ネットスターでもドナルドはさすがに出来なかったらしいですが、いさじ兄貴の歌声がテレビで聞ける日が来るとは思いませんでした。…さすがに、「バラライカ」は映像だけで音楽はなしでしたが(笑)。
あと、神主出てましたね。白田先生の努力のおかげで東方の人気の理由がわかった気がします。
ただ、今回は詰め込みすぎな感もありましたね…。
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すごい今更だけど、『ぼくらの』を7巻まで読んだ。あーにそーんあにそーん。
そういえば最近、石川智晶(歌手)と石原千秋(文芸評論家)を言い間違えました。すみません。こうして名前だけ見ると、どっちが男でどっちが女かわかんねー。
で、それはともかく、面白かった。もちろん、設定的にはセカイ系なんだけど、『エヴァ』と全く違うところは、自分のためには戦えないこと。『エヴァ』は中盤あたりのシンジくんやアスカに見られるように、他者から承認してもらうために戦う、なんていうことも可能だったのですが、『ぼくらの』では戦闘後すぐ死んでしまうので、自分のためには戦えない。
なので、結果的に戦うためには、自分以外に守りたいものが明確にある必要がある。家族であり、友人であり…いやあ、シンジくんには無理だなぁ。実際、それで任務に失敗した奴もいるし。
まあ、中には、自分以外の誰かを殺したいがために戦おうとするチズみたいな奴もいるわけですが…、結局姉を守るために戦っているし。
ちなみに、一番好きなエピソードはナカマです。
『ぼくらの』を読んでふと思い出したのは永井豪の『デビルマン』で、『デビルマン』だと魔女狩りというかデーモン狩りで、家族と美樹を失い、主人公が人間を守る意味をなくす。
『ぼくらの』も7巻ではマスコミなんやかんやで彼らが守りたい日常はすでに奪われているわけですが、『デビルマン』と同じ道をいかないことを願いたいです。ただ、これで人類愛とか謳いだしたら失望するけど(笑)。8巻はまだ読んでません。
でも、昨日観てきた『スカイ・クロラ』にせよ、『ぼくらの』にせよ、結構みんな淡々と運命を甘受しますね。「他人のために戦う〜」彼らは戦うことの意味なんて求めてないのかもしれません。
戦う意味を問うて自分を見失う−−まあ『スカイ・クロラ』ではミツヤ、『ぼくらの』では切江がその役割を担っていたのかもしれませんが、−−はどうやら流行らないらしい。切江も最終的に戦うしね。
成熟が様々あった可能性を否定して、現在の自分を認めることなら、彼ら(『スカイ・クロラ』も『ぼくらの』も)は大人だよね…。
…ホントは『ぼくらの』は前書きで別の本のレビューをするつもりで記事書き始めたんですが、眠いのでねとすたと『ぼくらの』だけで。













