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佐藤優『国家の罠』

2009-05-18(Mon)
ここのところ、あまりにもスパムコメがうざいので、コメントに数字認証を導入しました。お手数ですが、コメントを書き込まれる際には、数字認証の入力をお願いします。

*東のエデン

ここ2週間で『東のエデン』がぐっと面白くなってきましたね。さあ、初っ端からふられまくりの大杉君、死亡フラグを回避できるのか、ってのはどうでもいいとしても(おい)、大杉君の描き方といい咲の描き方といい、若者描写が面白い。神山さんだって若くないと思うんだけど、どうやったらこういうアニメが作れるんだろう。

にしても、先週、大杉君が「社会にコミット出来ない奴がどうこう」というのを咲に語ってて、「そんなうざいこと言っているから咲にふられるんだよ」とか思ったけど、自分もリアルでたまにそういうことを語っているような気がする…。
今度から気を付けよう(笑)。

*国家の罠

国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて (新潮文庫)
(2007/10)
佐藤 優

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話題になったのは随分前のような気もしますが、ついこの間やっと読みました。って、これ読み終わってから一週間たってる気がする(笑)。

佐藤優は外務省の職員で、鈴木宗男とともに対露外交に携わっていた人。ここ数年、総合誌、オピニオン誌あたりではお馴染の人ですね。
で、後に鈴木宗男とともに逮捕され、後のホリエモン逮捕とともに「国策逮捕」というフレーズが流行ったのは記憶に新しいと思います。

で、対露外交の話から、実際逮捕され、検察の取調べを受けるまでのことを書いたのがこの本。

この本の中に出てくる東京地検特捜部の検事曰く「国策捜査は『時代のけじめ』をつけるために必要なんだ」だと。「国策捜査とは、国家がいわば『自己保存の本能』に基づいて、検察を道具にして政治事件を作り出していくこと」と。「そして検察はターゲットとした人物になんとしても犯罪を見つけようとする。そして、みつからない場合は、検察は『事件を作る』」と。

その上で、佐藤優は、(従来型の政治家であり、対露外交にも精通している)鈴木宗男逮捕は「『ケインズ型の公平分配の論理』から『ハイエク型の傾斜配分の論理』への転換、「国際協調愛国主義」から「排外主義的ナショナリズム」への転換を実現する上で好都合な『物語』だった」と総括しています。

金融危機以後の今となってはちょっと隔世の感もありますが、たしかに鈴木宗男事件は国会議員のあり方を大きく変えたのかもしれませんね(地方への分配とか)。この本を読んで、鈴木宗男や森喜朗への認識がかわった、という人は多いと思います。

作中に「新聞にはちゃんと書いてあるんだけど、国民の実質識字率は5%だから何の意味もない」っていうフレーズがあって大爆笑したんですけど、本当にそうだなー、と(笑)。
中学高校の頃は割合新聞マメに読んでいたのに、鈴木宗男が何をしてきたか、とか森喜朗が何をしてきたか、ということはワイドショー的なことしか知らなかったわけですし。あっ、今は新聞すら禄に読んでません。よゆーの95%です。

にしても、この本は本当に面白かった。僕自身が、外交とか国際関係論とかあんまり詳しくない(ってか基本的にほとんど興味ない…)ので、そういう点でも勉強になりましたし、すごく面白かったです。あと、リーダビリティはここ最近僕が読んだ本の中でも一番。どうすればこういう文章、「物語」(物事を順序だてて語る)がかけるのか想像もつきません。

*佐藤優

この本とか次著の『自壊する帝国』とかを読むとわかるんですけど佐藤優マジで頭いいんですよ。これに感染してしまう、ってのはすごくわかる。

同志社神学部出身の佐藤優は、人文の人間が人文の知識を活かしてどう社会で活躍できるのか、っていうモデルとして読めると思います。もともと、佐藤優本人は神学に興味あって、チェコに留学しようとして外務省に入った(ノンキャリア)っていう異色の経歴の持ち主。なので、人文系の人間が読むと色々と共感してしまうところは多いと思います。

『自壊する帝国』の方に、外交官時代の佐藤優がロシアの人文系インテリに人脈を作っていく話があって、そこで大事なのは「教養」なんですよね。「教養」があってお互いにインテリとして認め合う、みたいな感じでしょうか。まあ、そんな世界が日本のどこにあるのか、という疑問はありますけど(笑)。

そんな感じで同じ人文系の人間としても共感しやすく、僕とおつむの出来が桁違いなんだろうなー、と思いつつ久々に勉強しなきゃー、という気分にもなりました。

あと、どうでもいいんですけど、僕の手元に「東浩紀+鹿島茂+佐藤優+松原隆一郎」っていう珍妙な面子の対談の載った『文学界』があって、そこで鹿島さんが「サン=シモンは社会主義じゃなくて、産業超優先の外部注入型開発独裁。公務員的なものを一切認めず全部産業資本化し、完全民営で行う。その中に農民も含まれている。ただし極端な民営化をすすめるとアナーキズムが起きるんので、その予防措置としてテクノクラートという指導階層をつくって、テクノクラートがリードする国家を作ろうという発想。それを実行したのがナポレオン3世の第二帝政」って発言しているんですが…マジ?そんな話始めてきいた…。

って、結局、本書と関係ない話ばかり書いたような(笑)。
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『日本にノーベル賞が来る理由』

2009-05-03(Sun)
日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)日本にノーベル賞が来る理由 (朝日新書)
(2008/12/12)
伊東 乾

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この間、部室に放置してあった(誰のか知らない)『なぜ日本にノーベル賞が来るか』を空き時間に読んでたら、ほとんど読んでしまった。

ノーベル賞を受賞した人の多くはノーベル賞に値する業績を上げていることを前提にしたうえで、ある種のノーベル賞の特性(特に「平和」という面)があり、決して世界最高の業績を残した科学者を順番に受賞させているわけではない、と。

特に「原爆」開発、いわゆるマンハッタン計画に関わった科学者を受賞させる時には細心の注意が払われている、と。たとえば、1965年にマンハッタン計画に関わったファインマンを受賞させる時には、朝永振一郎を同時に受賞。同じくマンハッタン計画に関わったルイ・アルヴァレが1968年に物理学賞を受賞時に、同時に川端康成が文学賞を受賞、と言った感じ。

言うまでもなく、朝永振一郎や川端康成がノーベル賞を受賞する未満の業績しか残してない、というわけではないのですが、そういった「平和」を前面に押し出した賞であるということが読み取れる、とこの人は言ってます

その他にもこの本には日本の自然科学研究が抱えている問題とか書いてあって面白かった。

もちろん、内部資料がわかるわけないので、受賞履歴から見たこの人の憶測というかこの人が作った物語にすぎないのですが。ただ、芥川賞や直木賞がかなりの特性を持った賞でありながら、外部の人にはそれが理解されてなかったりなんてことはよくあるので、この人の言いたい事はよくわかります。

どうでもいいんですけど、芥川賞は純文学自体がもう…ってところもあるし、直木賞は本屋大賞の「わかりやすさ」を前に敗北しそう…。「このミス」1位もエンタメ何でもOKからミステリ回帰が進んで以前ほど影響力を持ってない感じ。
そして、三島賞と山本賞はいつまでたってもメジャーになれそうにない(笑)。

宇野常寛はジェネレーションを超えられるのか

2009-01-10(Sat)
どうでもいいけど、最近自分のヘタレさに絶望した。誰か、女の子からメルアド聞き出すテクニック教えてください(そこからかよ・笑)。

それはともかく、『SIGHT』のブックオブザイヤーを見ていたら、斎藤美奈子×高橋源一郎が宇野常寛『ゼロ年代の想像力』に言及していたびっくりした。いや、昨年のブック・オブ・ザ・イヤーも東浩紀と赤木智弘について言及していたので、ある程度チェックはしているだろうなぁ…とは思っていたんですが。

ちなみに、タイトルは釣りです(笑)。中身はてきとーな感想です。

本人がオタクにかなり挑発的な言説を使ったりするせいか、宇野常寛っていう人は色々批判されるということに関しては天才的ですが、何故か僕のまわりでは意外と評判がよかったりします。何でなんだろう(笑)。

*今の時代における純文学

以下宇野さんの本について語っているところから引用
『ゼロ年代の想像力』が多岐にわたるジャンルを横断的に語っていることに対して、

高橋「つまり、純文学って言われる分野のものをきちんと読んでいれば、世界のことはだいたいわかった…んだね、きっと昔は」
斎藤「江藤淳さんとか平野謙さんの頃はそうだったもんね」
(中略)
高橋「それどころか、純文学の小説を読んでいると、世界で何が起っているかわかんないよ?っていうことなんだよね」
斎藤「でも、読者がそれを一番わかっているから、誰も読んでないわけでしょ(笑)」
高橋「いやいや、そうですよ」
斎藤「共有されてないってことだよね」

やっぱり、そうなのかー。そういう話はよく聞きますが、本当にそうだったのか、っていうのは伝聞でしか知りませんからね…。
なにせ、今の時代、社会的な言説にある程度、影響を持った文芸評論家って、柄谷行人と蓮見重彦しか知らないし(その両者も今は結構微妙ですよね…影響力という観点で)。

ぶっちゃけ、僕なんか純文学が社会的に権威を持っていた時代とか共有されていた時代を知らないわけですからね…いや、一応今でも形式的には知的権威を持っていることになっているんだけど、実質はそんなものはないしね(笑)。
エンターテインメント側やサブカルサイドから、純文学の知的権威叩きみたいなものは結構あるんですが、エンタメ側が思っているほど今の純文は権威ないと思うんですけどね…。

でも、基本的にドラマも漫画も映画も特撮もアニメも小説(純文、エンタメ)も同列で一緒に論じるっていう、宇野さんの姿勢は正しいと思うし、これから主流になっていくんだろうなぁ…とは思います。実際、アニメなどの敷居が低くなったことによって、消費者が被っていたりするわけだし。

余談ながら『SIGHT』は毎号律儀に吉本隆明のインタビューを連載しているんですが、「そんな言説、今時ネット世代の若者には届かないよ…」みたいな言説を結構言っていて、つらいです…。
あれ?東浩紀も一応文芸評論家?

*『ゼロ年代の想像力』の射程

高橋「僕なんかの老婆心で言うと、もう少し視野を広くしたほうがいいんじゃないかなと。たとえばね、90年代移行の決断主義が批判されているわけでしょ。(中略)『ここにいる自分を守るしかないの?』から『無根拠な決断へ』という論理って、そんなの、過去100年間、何回もあったじゃない。もしフェアに評論をやるんだったら、もう少し文学の歴史を見ればいいなじゃいか、と思うところは正直あるんですね」

宇野さんの言説って、たしかに団塊ジュニア以下の世代には届くのかもしれませんが、それ以上の世代に届くのかってのは結構謎ですよね。宇野さんって本人は普遍性を志向しているのかもしれないけど、ものすごくジェネレーションへの依存度が高い気がします。

宇野さんその他、多くの人が「95年の変化」ってことを度々言及するのですが、ポスト95年以降の世界しか知らない、僕からしてみれば「伝聞では聞くけど、実感ないなー」ってのは結構ありますよね…エヴァリアルタイムで知らないし!
さらに言えば、ポストモダン化する前の時代なんて知らないし!

多分、逆のパターンもそうで、宇野さんが強調する「ゼロ年代の変化」っていうのは、その95年の変化とか、80年代の消費社会化とくらべれば、直撃の宇野世代(宇野さんの年齢がいくつか知りませんが、2000年前後に大学にいたっぽい??)には大きな変化でも、何十年のスパンで考えたら大したことないのかもしれない。

そういう過去を参照するツールとしては、文学ってのは文学史という形で系統化されているし(そして評論という形で言語化、概念化されるので)、非常に便利ですよね。というわけで、視野を広げた方がいいんじゃないか、という高橋爺からの老婆心ながらの指摘。

ただ、僕としては『ゼロ年代の想像力』がインテリ源ちゃんに読まれるほど話題になっていた、という方が驚きで、宇野さんがジェネレーションを超えた普遍性を持った視野を想定していたのか、って言われるとかなり疑問だと思います(まあ、どうせ本人は視野を持っていた、っていうんだろうけど・笑)。
実際、宇野さんが言いたいことを文学で語ることは不可能だったでしょうしね…(90年代とゼロ年代を代表とする文学って何よって話だし・笑)。

*東浩紀と文学

どうでもいいんだけど、大塚英志に比べて、東浩紀って文学サイドの人間には結構評判悪くて(笑)、文学の某先生が「あの人、自然主義文学読んでないだろ」とか呟いているのを聞いてしまったりしたこともあります(笑)。もちろん、東浩紀も荒っぽいことは自覚しているでしょうが。
そして、ある意味、その思い切った荒っぽさと、整理のうまさ(≒わかりやすさ)、が東浩紀の魅力なんでしょうが(ネットスターではくどいとか散々言われていますが、あれでも物事の整理することに関しては、人文、評論の世界では天才的だと思うんだけどなぁ…・笑)。

それくらべれば、「俺は文学なんて興味ねー」って言っている割には大塚英志は文学の歴史に対しては非常に謙虚で、自然主義的リアリズムの話を引く時もちゃんと田山花袋の文章を引っ張ってきて検証していたりしますからね…。
と思って、ちょっと調べようと思って久々に大塚英志『サブカルチャー文学論』に収録されている「キャラクター小説の起源、起源のキャラクター小説」とか読んでみたんですが、色々面白いですね。説明の荒っぽい『ゲーム的リアリズムの誕生』のいい補足本になると思います(まあ、大塚英志はあれの補足本として読まれることは気に食わないでしょうが・笑)。

*倫理的時代への回帰

高橋「宇野さんは、90年代後期以降の『限りある日常を豊かにいきる」ということを倫理とするものを支持するってことでしょ、簡単に言うと」
斎藤「そうなんだよ。倫理にもどっていこうとしてるんだよね」
高橋「(中略)今年のキーワードは『倫理』だと思うんですが」
斎藤「ポストモダンの、また反動なんだよね」
高橋「そう。それは80年代以降の総括でもあるよね。ポストモダンとは、極端にいうと『倫理は問わない、個人が楽しければいい』という、考え方だった。しかし、豊かさが破綻して、限られた資源の中で奪い合いになったとき、『俺は奪い合いには参加しない』ってのはひとつの倫理的態度でしょ。だから、倫理的判断が必要ということは、つまり、豊かではなくなったということだよ。豊かで、みんな好きなだけ資源をもらえれば、倫理なんかいらないわけだし(後略)」

この高橋×斎藤対談って、昨年赤木問題をとりあげたり、今年蟹工船を取り上げたりと、単なるブックオブザイヤーを超えたものを持っていて、だからこそ僕は結構好きなんですが、こんなことまで語ってます(笑)。

僕は根がポストモダニストというか相対主義者で、かつシンジくん大好き人間で(だからメルアドすら聞き出せない…ってあんまり関係ない?)、そういう態度も今や決断主義的なんだ、とか宇野さんとかに言われても、実感としてピンとこないしねー、とか思ってしまうんですが、まさか高橋源一郎まで同じようなことを言うとは(笑)。
やっぱり、そうなのかなぁ…。

『まなざしの地獄』読みました

2008-12-04(Thu)


なんか、林原めぐみのノリで、「めぐねえ、かわいい」とかコメ書きそうになってしまったけど、よく考えたら、中島愛って自分より年下なんだよなー…若いねー。年下の声優とかアイドルって、どうやって扱えばいいんだ!未だにわからない!

久々のレビュー。しかも社会学本。…ひょっとしたら、僕が社会学の本を取り上げること珍しくないと思われているのかもしれませんが(笑)、本当の社会学者を取り上げたことは過去にそうそうないはず。多分、過去に取り上げたのは、大澤真幸ぐらいだと思います。

まなざしの地獄まなざしの地獄
(2008/11/07)
見田 宗介

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『まなざしの地獄』は永山則夫死刑囚の話ですね。余談ですが、青森県というところは、太宰治といい、寺山修二といい、永山則夫現代人の憂鬱みたいなものに敏感な人を排出するのでしょうか(あるいは加藤智大を含めていいかもしれません、決してネガティブな意味ではなく)。一度、昔から青森県には行ってみたいと思っているんですけどねー、太宰治持って(笑)。なにせ、全くつてがないので…青森には。

簡単に本書を要約すると、上京とは永山にとっては自己解放への企図だった、と。しかし、それと対照的に東京が上京してくる若者に求めるのは単なる「新鮮な労働力」だけだったと。いわば、「勤労青少年」の像に合致する振る舞いを当然のこととして期待し、要求する暗黙の視線、他者たちの自己に対してさしむける視線とリアクションによって、確実に彼自身の未来を決定した、という話。つまり、都市がむける「まなざし」がN.N.にとって地獄だったと。

現代におきかえるならば、上京というのは、自己解放(束縛するようなものなんてないよ!)というよりは、自己実現といったところでしょうか。今でも、上京というものには、こういう構図はある程度は残っているんだと思います。

実は僕は『アキハバラ発』の記事の中で、はっきりと「事件から社会が語ることの出来る回路がわからない」なんて書いてしまっているんですが(笑)、この本読むと大分すっきりします。ただ、ポストモダンの世の中でそれが通じるのかはわかりませんが…(それこそ秋葉原通り魔事件が、仮に渋谷でヤンキーが起こしたものだったとしたら、僕の中で事件の重みは多分大きく変わったと思います)。

さて、それはともかく、この本には見田さんの論考のあとに弟子の大澤真幸の解説がついていて、永山則夫と加藤智大の比較についての解説がついてます。永山にとっては、視線が地獄だったと。それに対して、加藤は誰にも見られてないということ(=まなざしの不在)が地獄だった、であり見事に好対照だと。
家郷(高度経済成長により崩壊)→マイホームを再構築→それすら崩壊という状況の中で、その後に大澤真幸はこう述べています。

「マイホームという<個別としての家郷>に代わるもの、さらにいっそう新しい家郷とは、直接の共鳴関係によって、結ばれた(と幻想しうる)共同体ではないか。家族の外部にいる<他者>との間に(客観的にみれば)偶然的・偶有的な共鳴の関係が成り立つとき、人は、そこに、家族との関係よりも原初的で深い必然性の感覚を覚えることがある。そうした必然性の感覚のもとに結ばれる関係のネットワークに、家郷に代わる精神的拠点が求められようとしているのではないか

これは主にネット上の人間関係とかを前提としているみたいです。言っていることはあっていて(というかそうならざるを得ないのかもしれませんが)、随分楽観的だなー、とか正直思った。それこそ、ネット上で交換不可能な人間関係なんて築けるのだろうか…まあ、まだ移行期で、もっと下の世代とかになると話はまた変わってくるのかもしれませんが。

…本当は宮台さんの『14歳からの社会学』の感想とセットにして書こうと思っていたのですが、眠くなったので、明日別記事で書きます。っていうか、この感想では見田さんの本というより、真幸の本に見えてしまう(笑)。

ゼロアカ道場in文学フリマ&ブックファースト新宿店

2008-11-10(Mon)
ライオンズ日本一!やったー!

と、レオファンなのに、ゼロアカ同人誌読んでたりしたせいで日本シリーズ見忘れました…。
ふと思ったけど、自分がファンのチームが勝つと喜びが先で「おめでとう」って言葉は最初に出てこないですね…。他チームなら「おめでとう」が先に出てくるのに。

*ゼロアカ

というわけで、文学フリマ、ゼロアカブースに行って参りました。僕が見本コーナーでどれ買おうか迷っていたら、ブースのほうで歓声があがって何かと思ったら、あずまんが娘連れてきてました。批評界のアイドル化してますが、本人は10年後こんな状況をどう思うのでしょうか(笑)。

僕は東スレの住人でもなければ、ゼロアカ関係者と誰も知り合いでなく、ほとんどその場の立ち読みだけで買うもの決めました。一応、部数は票になるみたいなので、選んで買ってきました…(まあ、結果的にはほとんど完売に近かったのであまり関係なかったみたいですが)。

というわけで、買ってきたのは
『最終批評神話』…ただ単にわかむらPインタビューが読みたかったから。(最終結果2位)
『Plateau』…ぱっと立ち読みしてて、柄谷行人と宇野常寛の話から始まっていて、面白そうだったので。あとデザインが一番良かった。(最終結果4位タイ)
『チョコレート・てろりすと』…腐女子とどっちにするか迷ったあげく、こっちの方が面白そうだったので。あと、佐藤友哉特集。(最終結果3位)
『新文学』…短いながら、黒瀬論文&濱野論文が面白かったので。正直言うと、黒瀬論文(?)がネタとして使えそうだったので(笑)。能登麻美子の位置が違うと思うんだけど(笑)。(最終結果6位)

本当はユヤタンのためにXamoschiも買おうかと思ったけど、まあいいやと思って結局買わず(笑)。それにしても、人多かったですねー。文学フリマの他のブースとの差が…他の文フリのブースも一通りまわってはみたんですけどねー…コミケの同人誌と違い今一つ選別しようがなく、そのまま帰ってきました。

…で、結局、僕は最終結果1位のやつを買い損ねたわけですが。

まだ全部読んでないですが、個人的には『プラトー』のいかにも文学やってます!みたいなノリは好きです。あと、編集の綺麗さすげえ!このまま出版社に就職できるんじゃないかと…。あと「エヴァはセカイ系じゃない云々」は基本的には同意するけど、アスカの「気持ち悪い」は承認である拒絶である、そんなことは重要じゃなくて、強烈な「他者性」を意識させることの方が重要で…って、エヴァの話になるとつい熱くなるので、以下略。

ちなみに、『チョコレート?』の論壇人チャートは宮台でした(笑)。どうでもいいんだけど、90年代ならいざ知れず、今の宮台は『恋空』褒めてないと思うんだけどなぁ…ってか、ボロクソにけなしそうだけど(笑)。

まあ、感想は書きたいものがあったら、後に書きます。

*ブックファースト新宿店

ブックファーストが新宿西口にオープンしたということなので、アキバからの帰りに寄ってきました。新宿には大型書店が東口に二つ、南口に一つありましたが、西口には今までなかったので助かります(僕はターミナル駅が新宿西口の人なので)。
…ま、そのかわり、渋谷からあのブックファーストが消えてしまったのですが。いや、でも渋谷って、他に大型書店ありましたっけ?大型書店もない「文化」の街ねぇ…。

で、新宿店。行ってみたのはいいのですが、地上からいったせいで、まず入り口が最初どこかわからなかった(笑)。店舗は地下にあって、新宿都庁に向かう地下通路から行くのが一番アクセスしやすいようです。

店舗は2フロア、1フロアあたりそこそこの面積があるので、そこそこの本の量はあるようです。それになかなか店内のインテリアも凝っているので、好感触でした。

ただなぁー、ぶっちゃけ個人的にはジュンク堂の方が使いやすい(笑)。ジュンク堂新宿店が素晴らしいのは「人文」系の本と、「文庫・新書・文学関係」の本が同じフロアにあること。ブックファースト新宿店は人文専門書と文学本が違う階なので、個人的には使いづらいですね…。このあたりの読者層はそこそこ被っていると思うんですけどね、文芸評論読む人は思想系の本も読むし。

あと、ブックファースト新宿店のランキング見て衝撃だったのが濱野さんの『アーキテクチャの生態系』が人文・社会部門で2位に入ってたこと。3位が金子勝とかだったので、濱野さんの本は意外と売れているんですね!
てっきり、ゼロアカの界隈で売れているだけかと思ってました…すみません…。まあ、でもこの感じだと『ゼロ年代の想像力』の比じゃないぐらい売れているんでしょうねー。

アーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたかアーキテクチャの生態系――情報環境はいかに設計されてきたか
(2008/10/27)
濱野 智史

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Kei

Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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