告知です。僕のブログごときでこんなことをやることがあるとは思いませんでしたが、まあ一応主催者サイドの人間として、告知ぐらいやっておくべきかと…(宣伝効果はかなり怪しいですが)。

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宮台真司×谷口功一トークイベント
<郊外/格差/共同体>

場所:首都大学東京南大沢キャンパス(京王相模原線南大沢駅から歩いて3分)
   講堂大ホール→MAP
日時:11/1(土) 14:00-
料金:無料。
詳しくは→こちら
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どうでもいいけど、大学のHPのキャンパスマップが滅茶苦茶分かりづらくて吹いた。こっちの地図の方がわかりやすいかも。

南大沢駅を出れば右手に変な塔が見えますので、それが大学です。駅から大学までは迷うほどの道ではないので大丈夫です。講堂も正門入ってすぐ左側の建物なので、迷うことはないと思います。

あと、一応大学祭期間中ですので、キャンパスに人手が多いかも…しれません。ついでに、やや早めに来るなり、終わったあとなり大学祭を堪能…と言えるほど充実した大学祭ではないですが、楽しんでいっていただければ幸いです。

ちなみに、トークイベントのタイトルは僕の友達がつけたみたいですが、すごい分かりにくいですよね…中身は郊外論らしい…ということ以外僕はほとんど聞いてません!

宮台さんは、多くの方がご存知だと思いますが、谷口功一って誰やねんって話なんですが、僕も知りません(おい)。
うちの法哲学の先生ですねー、僕は会ったことすらないんですが。wikipediaの記事によれば、井上達夫に師事したとのことです。

まあ、ちらっと聞いたところによると、大店法から郊外SCとかアウトレットの話とかになるとか何とか。それから、消費社会批判になるとか何とか…という噂を聞いたんですが、本当かどうかは知りませんが。
あと、当日来場の方には(自称)素敵なパンフレットが配られる…かもしれません(執筆、編集、製本が間に合えば)。僕も何か文章を書いているかもしれません(間に合えば)。

あー、大事なことを書くの忘れてた。このイベントにいらっしゃる方、南大沢は新宿から想像以上に遠いですので時間に気をつけてください!

もし、時間に余裕のある方はお越しください。お待ちしております。僕も多分、当日はどこかにいるはずです。
コメント返信はこの記事の下に独立記事としてあります。

高田馬場からのあの微妙な距離をテクテクと歩いて、早稲田に行ってきました。

で、なんで行って来たかと申しますと…

十時間連続公開シンポジウム 文芸批評と小説あるいはメディアの現在から未来をめぐって

これにいってきたんですよ、はい。
ぶっちゃけ、十時間ただ単に座っているのは結構疲れました。へとへとです。これから、F1を見ようと思う余力すら碌に残っていません。

まあ、一番疲れているのはずっと出ずっぱりだった、東浩紀と市川さんでしょうけどね…。

というわけで、レポートを書く気力になんてほとんど残っていませんが、己のメモの汚さは自分が一番わかっているので、当日中に活字におこしておきます。

以下、各々の発言はKeiのメモと記憶に基づく独断と偏見によってまとめられています。それによって、発言者の意図と異なる場合があるかもしれませんが、お許しください。

ポッド1「文芸メディアの現在――批評的メディアはどうありうるか」
パネリスト:東浩紀、宇野常寛、佐々木敦、中森明夫、山本充、前田塁+


最初、真面目そうな話をし始める佐々木敦と宇野常寛にいきなり中森明夫が絡んで「プロレスしろ」とか言い始めたのが面白かった。終始、中森明夫名言集とか作りたいぐらいは中森は面白かったですね。

話自体は、「パフォーマティブな批評」(ゼロアカ道場的な)とかで推移して、佐々木敦さんが否定派(はっきり否定はしてないが、そう見えても仕方ない感じ)。
あと、このポッドでは大塚英志批判。何故か、このシンポジウムではいない人への批判がよく出ましたねー。宇野曰く、『リアルのゆくえ』で東浩紀は大塚英志の要求するものを満たしている(ラノベに対しては責任を持つ)、なのに何故か大塚は怒ってる、と。
このシンポジウムでは宇野&東が共同戦線をとることが多かったですねー。
あと、質疑応答が宇野批判ニ連続だったのは吹いた。そして、その質問に宇野以上に怒っていたのは、東の方でした(笑)。

その他メモ
東浩紀「ゼロアカ道場は奈須きのこととひぐらし(の売り上げ)によって出来ている」「価値判断なんて話したところでかわらない。すれ違いだけ」「批評はパラサイト」

ポッド2「日本小説の現在――現在時の日本小説をめぐって」
パネリスト:東浩紀、渡部直己、池田雄一、新城カズマ、大森望、前田塁+


この手の問題を話し合うと必ず出てくる問題として純文学vsエンターテインメントというのがあるわけですが、今回の場合渡部vs大森という形で薄々とその対立構造が見ていました。あと、渡部vs大森という対立は、作家神話を信じている(キャラを演じている?)今の高橋源一郎を認めるかどうか、という点でも対立してましたねー。そういえば、福田和也も今の高橋源一郎をボコスカに叩いていたなぁ…。

っていうか、ここでこそこそ言うなら、高橋源一郎呼べよ、という気もするわけですが(笑)。あの人なら、そこそこ面白い話してくれるだろうし。あと、女性が少ないって話をされてましたが、じゃあ斉藤美奈子を呼べよ、っていう気もするわけで…最初から頼んでなかったのか、スケジュールが合わなかったのか…。

とにかく、このポッドはヌーヴォーロマンを持ち上げて、描写の困難さを解く渡部じいが一人浮いてました(笑)。最も、この方がいなければ、大森、新城、東ののんびりSFトークになっていた可能性もあるわけですが。

一応、主題は描写がなくなってきている、ということで、ケータイ小説やライトノベル関連で昨今よく言われる話ですよね。
たとえば、『ハルヒ』はほとんどキョンの語りだけで成立している。新城カズマがちゃんと調べてない、という前提でおっしゃっていたのは「ライトノベルにおいて三人称から一人称に移行している」という話でした。

あと、出てきたのとして、リアル系vs空想系という対立で、かつてはリアリティとかいう言葉で語られるような「本当っぽい嘘」をみんな読者が読んでいた、しかし、今の読者はリアルな話/嘘とい二項対立で考えている。まさにリアル系の王者といえば、「ケータイ小説」しかり「お笑い芸人の小説」(『ホームレス中学生』)しかり「すべらない話」しかり…僕はその系列にVIPのスレを加えたいと思っているのですが(まあ、釣りも多いし微妙ですが)。
さらにいえば、私小説や批評だって、リアル系といっても差し支えないかもしれない。東浩紀は『キャラクターズ』は批評が私小説的であることを示したかったみたいなことを言ってましたし(これは次のポッドの宇野さんの話とも繋がると思います)。そういうリアル系の方が優位に立つ風潮になりつつある、と。
SF大好きっ子・大森望的には、その潮流は許し難い。バカバカしい話をどう書くか、という悩みを書いた舞城は評価するとのこと。

ここでは、渡部さんが独自の文学論を語っていらしゃったのですが…まあ、ざっくり省略ということで…。外部との関係がある話がいい、みたいな話をされていたような…(だから舞城を認めないって話)。

その他メモ
「ケータイ小説のフィールドでは、日記と小説が区別されていない、というかほとんど近いところで推移している(ブログで小説書き始めた、とかがケータイ小説とかになっている)」
新城「非常に、この感覚(↑上記)はカラオケに近いのではないか」

ポッド3「文芸批評の今日的役割について」
パネリスト:東浩紀、宇野常寛、福田和也、前田塁+、大澤真幸、千野帽子


どうでもいいけど、初の生大澤真幸見て思ったこと…写真で知っていたけど、想像以上に髪の毛すげえ。あと、福田和也格好いい
あまりこの記事には書いてませんが、ポッド1、2は東浩紀が批評が衰退している、だからゼロアカみたいなことをやって次世代の批評を盛り上げなければ、みたいなことを言っていたんですね。

それと対照的に、福田和也はあっさり、「文芸批評家なんて一世代に一人しかいらない。天才がやるもの」といきなり発言(笑)。
東浩紀曰く、「仰るとおりだが、読む側のリテラシーとしてそもそも人文的な知への信頼が落ちている。人文的な知のあり方が衰退すると、その天才を救えないのではないか」とのこと。
ちなみに、このポッドで批判されているのは後藤和智でした(笑)。

大澤真幸がボソボソといいことを喋っていました。
「日本において、文芸批評の衰退≒思想の衰退、概念の衰退。文芸批評と社会批評が同時に入ってくるのが後進国の特有(この文は福田)。あと日本語は概念をイマジナリーなものを結び付けやすいので、シンボリックな概念にする役割を文芸批評が担っていたのではないか」

それに関して、宇野が日本の批評は批評なのか、エッセイなのか、そういう何でもあり感なものが支配していた(江藤淳とか宮台、大塚とか)。そして、それに宇野本人はあこがれるとのこと。

その他メモ
東浩紀「どこまでをコンテンツとするか?というのが難しくなっている」

ポッド4「読者と小説――批評と書評、文学賞」
パネリスト:東浩紀、千野帽子、豊崎由美、芳川泰久、中森明夫、前田塁+


この面子をみればわかると思いますが、ずっと豊崎さんのターンです。あと、田中和生の悪口とか(笑)。
書評と批評の違い、前者はミステリに限らず、ネタバレ禁止(by豊崎)。

このポッドは各人の発言集ということで、

豊崎「石原慎太郎は会話がかけない。人の話を聞いてないから」
豊崎「池上冬樹さんは十五歳の女の子が書いた小説を褒めてから全然信用してない」
中森明夫「今の映画批評は女の子可愛いということを書いてない!ダメだ!蒼井優はかわいいんだ、以下略」
千野「ジャンル小説の書評は、ジャンルに奉仕させられている」

エクストラ 阿部和重×東浩紀

まさかのスペシャルゲスト!阿部和重登場!
阿部和重と東浩紀はもともと仲良かったのですが、いつの間にか決別していたという仲なわけですが、その和解のための対談…らしい(笑)。
田中和生に代表される文芸誌批判をする東浩紀vs文芸誌擁護する阿部和重ですが、気づいたらなかばBL展開とかなっていて(マジで!)、最後に豊崎が揶揄してました(笑)。

それにしても、阿部和重カッコいいね。東浩紀と並ぶからそう見えるのかもしれないけど(笑)。

眠いので、このてきとーなあたりで…
ようやく創刊した『思想地図』買ってきました。駅の本屋に売っていたことは売っていたんですが、ぱっとみて雑誌コーナー見て置いてないな、と思って一応念のためNHKブックスのコーナー見たら人知れず一冊だけ置いてある、とかいう状況でした。

思想地図 vol.1 (1) (NHKブックス 別巻)

というか、実物見て思った一言。「どうみても普通の単行本なんですが」

いや、勿論雑誌と言う形態で出るとは思ってなかったんですが、この手のモノにありがちなムック形式で出るかと思っていたんですが、当てが外れた。
なんていうか、中身も見事なまでの単行本のフォーマットで、見事にお硬いモノが出来上がったなぁ…という印象。『新現実』みたいに小説とかマンガとか載せればいいのに。まぁ、『新現実』と違って編者が編集できる人じゃないので、編集者がそのまま作ったのでしょうが…硬い、硬すぎるよ…一般の人はとってくれないよ、これ…。北田さんの趣味なんでしょうか…。
でも、これならメルマガの方が金かかかってない分いいんじゃないか…とか思ったり思わなかったり。

とは言うものの、何せ創刊シンポジウムまで行ったわけですし、何がともあれ買わないわけにはいかない。
ナショナリズムから『らき☆すた』まで一つの本で語ってしまおうというのがすごいし、思想系雑誌(雑誌か?)が増えてくれたのはいいことだと思います。まだ、ほとんど読んでないけど(笑)。

でも、編集後記を見ていたら「多くの人たちが『思想地図』を媒介として議論の場にコミットしてくれることを願っている」と書いてあるので、つまり『思想地図』をネタにしてネットで繋ることを願っている、とも取れるわけで…つまり、思想界の『らき☆すた』でOKと(笑)。

とりあえず、うちのブログではこれから、ちゃんと丁寧に読んでそれについての意見をブログで書いていきたいと思います(予定)。

ってか、最後のアニメ論の黒瀬さんわかっ!1983年生まれ!僕のたった4つ上。うわー、同世代の批評家が出てくるのも時間の問題だなぁ…というか、僕が知らないだけでもうでてる!?「ネタ的・MAD的空間」という言葉を何の説明もなく使うあたり若さを感じます(笑)。でも、東の書いた前書きを読む限り、作品分析(文学的)/消費分析(社会学的)で後者によりすぎ、そこからどうするか?という問題意識は僕が考えてるのと、すごい被っていて気になる(まだざっとしか読んでない)。
ちゃんと読んでから、感想を書きたいと思います。
職業ニートさんのとこ見て気づいたんですが、2chの東スレに東浩紀が降臨したらしい。

http://d.hatena.ne.jp/sirouto2/20080123/p1
萌え理論ブログより

つい読んでて何箇所か爆笑してしまった(笑)。

>あるいは今アイポッド(?)に入れている音楽を教えていただけませんか。

いま聞いているのは、ネタではなくリトルバスターズの主題歌。


さすが東浩紀クオリティ(笑)。リトバスの主題歌とかしらねええええ。eufoniusがポストモダンの最先端を行く評論家の好きなユニットとか…評論家ってなんか思想的背景があるような曲を嗜んでいる(←これが正確な表現)イメージがあったんだけど、そんなの勝手なイメージだったようです(笑)。それとも、東が特殊なのか…。

>愛って何ですか?

人生が一回しかないことへの覚悟と諦めと肯定。

>娘さんを持った今ならわかりますか?

結婚前から理論的にはわかってた。


いいねぇー。"理論的にはわかってた"あたり最高ですねー。

まぁ、そんなことはどうでいいんですけど、

>最近対談した批評家の中で最も手ごわい、というか感心した方は誰ですか?

>北田、伊藤剛、高橋源一郎、大塚、田中、笠井なんかがすぐに思いつくのですが

おいおい、そりゃさすがに秘密だよ。

でも疲れたのは大塚で、新鮮だったのは高橋かな。


僕自身、マメにチェックする人ではないので、高橋源一郎×東浩紀がどこかであったのは知っているのですが、読んでません。が、個人的に好きな評論家(まぁ、高橋は作家ですが、半ば評論家だし)同士なので、いつぞやは読んで見たい。
というか、今の文学界に東とタメを貼れそうなのは高橋源一郎しかいないような気がする。なんせ、ラノベよりのポジションにいる(接近ジャンル?)笠井潔ですらダメだったんだし(これは本当に想定外だった)。東側はあんまり気が進まないかもしれないけど、ぜひとも対談本出して欲しいなぁ…。

>そういやあずまんて奈須きのこについてなんかいってんのみたことないんですが

読んだことあるの?

「美少女ゲームの臨界点」嫁。


奈須についてどういっているかは知りたい。そのためにあのBOXを買えというのかああああ。
あっ、そういえば、リア友が買ってたなぁ…。

>『ゲーム的リアリズムの誕生』で用いた環境分析の手法って、

>現代の文学理論(フェミやポスコロ系)で行なわれている手法、

>すなわち、従来のテクスト論に歴史的要因や文化的要素を

>挟み込むものとなんら変わりがないと思うんですがどうでしょう?

全く違う。

同じだと思うなら、その手法でラノベを分析してごらん。


それは確か双城さんも指摘していたし、間テクスト性を用いた分析との違いは僕もよくわからない。が、あずまん曰く違うらしい。これは文学系の東読者(見ている限りスレにも何人かいるようですが)は検討すべきことじゃないでしょうかね。だが、僕にはそんな分析することは出来ません。ためしに誰かやってくれええええ。

>2.動ポモシリーズにはキャラのデータベース以外に、物語の構成・設定のデータベース化の問題が欠けているという批判はどう感じるか。

そりゃそうだ。


「ストーリーのデータベース化」ということは前から考えていたら、そういう批判がちゃんと顕在化していたのか…僕が思いつくレベルのことは誰かが思いついているか、やっぱり。

>ソーカル事変以降、フランス現代思想を読むのって難しいというか

>でたらめな擬似科学的記述をうまく無視しながら読むしかないんでしょうか?

理工系の科学者の薄っぺらな人生論も、経済系の人間観の底の浅さも、人文系の人間からするとかなりキツいよ。
たがいにそういう限界を尊重するしかないんじゃないの。


これ名言だと思う。ホントさ、経済経営の某先輩とかとよく衝突するもん(笑)。平和志向の人間だから出来る限り回避しているだけで。就職科の作った資料とか、「自分とは?」みたいな哲学的で根源的な問いがたった二行とかで済ませてあってマジ「死ね」とか思うしさ(笑)。
理系の教養の授業とか受けてても、ホント教授がクソみたいな人生論語ってたりするしさ…。
とか言う僕も、デタラメな疑似科学を全く見抜けない人ですが…。

>それと前回と今回の日記は読者との相互作用が起こっていてある意味前衛的ですが、

>筒井ファン的に何か思うところはありますか?

前衛はよくわからんが、筒井は先駆者だと思う。

批評空間は彼を評価するべきだった。まじで。


そうだ!そうだ!とかいいつつ、あんまり筒井読んでなかったりするオレ。
余談ですが、僕が大学入ったときに大学の持っているリソースにほとんど期待を持たなかったのは筒井康隆の『文学部唯野教授』のせい(大学"時代"には期待を持っていたけど、大学"自体"には期待を持ってなかった←あっ、いい感じでシャレになってる)。意外と入ってみたら、それなりにセンセイはマトモだった(笑)。ごめんなさい。

>小松左京先生は戦争がなければSFにいかなかったと発言されましたが、

>東さんは「これ」がなければ現代思想にいかなかったものはありますか?

作家名なら、小松左京、新井素子、押井守。これはまじです。

そして彼らがもともとベースなので、現代思想からも外れるのだと思う。


これは凄い。新井素子ってラノベの元祖みたいに語られるけど、実は僕は一切読んだことありません(そういえば『チグリスとユーフラテス』読んでいる友達いたなぁ…見てる?)。
なので、全部伝聞なんですが、大塚英志が新井素子を「不思議な小説」と捉えているのと(『サブカルチャー文学論』にて)、比べると対照的で面白い。
多分、このあたり探ったら二人のラノベ観の違いは相当なものかもしれませんねー、大塚英志が言う「キャラクター小説」とか「ライトノベルズ」とかの呼称は不自然すぎると思う。

>自分は不勉強なのですが、そういったことについて書いてあるお薦めの本ってありますか?

うーん、これも難しいんだよね。。

ぼくは、あとで薄っぺらだと打ち捨てることを織り込み済みで、

入門書とかキーワード集を片端から読むことをお薦めします。

「あいつはよくわからない言葉を並べているだけだ」と

批判されるのを怖れてはいけない。

実感を伴った言葉で話す20代なんで、それこそ退屈に決まっている。


マジか(笑)。テクニカルタームを並べて理論が上滑りするのが僕は怖いから、テクニカルタームなんてあまり使いたくないんだが。どーも、退屈でさーせん。

やばい、調子にのって突っ込みいれ過ぎた(笑)。しかも、いつものブログと明らかに口調違うし(笑)。ま、いっか。

正直、僕は東読者になったのは『動ポ2』以降だったりするので(勿論それ以前にも『動物化するポストモダン』ぐらいは読んだことはあったし、『ファウスト』創刊時からずっと気になってはいた)、それ以前の文脈みたいなのはあまりわからなかったりするのですが。
でも、本当に注目すべき評論家だと思いますし、オタク界と社会と現代思想を接続させた功績は大きいと思う。
宇野常寛さんとかも東批判するけど、結局はこの人も東が作ったパラダイムの上に載っているだけなんだよねぇーとは思う、まぁ僕ごときが言わなくても宇野さん本人もわかっているでしょうが(だからこそ、あそこまでの東批判を展開するのか・笑)。

あ、あと今更ながら「はてな」のアカウント取りました。ブックマークサービスをどっか使おうと思って、何かに負けた気がするけど(笑)やっぱり「はてブ」かなぁ…という理由で。今のとこ「はてなダイアリー」を書くつもりはございません。あっ、でも書かないとダイアリー市民になれないんだよなぁ…キーワード編集したいだけなんですが(笑)。




コメント返信
>tamakiさん

>どんな言葉を並べてもどうしても嘘っぽくなりますよね。

本当ですよね…リアルで会っている人なら、身振りとかで何とかしますけど、文字情報が主体のネットとかは本当にどうしようかと毎度思います…。

>ちなみに道徳の時間、「なんでこんな話が教科書に……」と思って読んでたタイプです

言われて見ると、道徳の教科書って何載っていたのか、ぜんっぜん覚えてません…。何故か芥川の「蜘蛛の糸」が乗っていた気が…、それぐらいですね…。

>ってあったんで自分的に考えてみたんですけど(すごく短い時間でですが……)文学的解釈なんて本当はなくて実はすべて社会学的解釈でしたというズコーとするオチが出てきました

僕の中のイメージとしては、「文学史に当て嵌めて考える」とか「作品の構造を分析する」とか「他のテクストと比較する」みたいなのが文学的解釈で、
「この時代の特徴が○○という作品に顕在化している?」みたいななのが社会学的解釈?
というイメージです。
でも、どうなんだろう…よく考えると余り区別して考える必要はないのかも…。
どーも、朝から何も食べてないKeiです。でも、朝からこたつから動いてないので、全然おなかが減った気がしません。そこ、ダメ人間とか言わない。

というわけで、カウンタが10000をまわりました!この中でどれくらいが僕で(二重カウント防止とはいえ一日一回はカウントされているっぽい)、どれぐらいが常連さんで、どれぐらいが一見さんなのかはわかりませんが、皆様方ありがとうございます。
よくこんな雑文しか書いて無くて10000もいったなぁ…文章量が多ければ、検索サイトで引っかかる確率も高い!?ということでしょうか。
ところで、「宮台 石原」の検索ワードでグーグルでTOPに来るのは何故なんでしょう…。やたらと、この検索ワードで飛んでくる方が多いのですが…。

新現実vol.5新現実vol.5
(2008/01/31)
大塚 英志、東 浩紀 他

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『新現実vol.5』の東×大塚対談は読みました。まとめるのは面倒なので(こたつで寝転びながら読んでいたので全然チェックとか入れてない・笑)、勝手な感想書かせてもらいます。

僕個人の感想として大塚の立場はよく理解できるんですよね…。僕自身、もともとリベラルよりの思想を持っている人なので、大塚英志の考えはよく理解できるし、大塚英志の議論がちゃんと議論として機能するフィールドはあると思う(たとえば、宮台×大塚とか)。
ところが、東と話すと相変わらず噛み合わないんだなぁ…これが。東工大でのシンポジウムでも思ったけど、東と議論しようとするとどうも噛み合わない人多すぎ。噛み合っているのって、オタク系クリエイターとの対談だけじゃないか(笑)?

東は最近「工学で公共性を確保できる、というかそういうシステムを作っていかなければならないのではないか」みたいなことを言っているわけだけど、その具体的な中身なんて誰もわかってないし、これでは批判も検討もしようがない(笑)。

結局、のらりくらりとメタゲームをやっているように見えてしまう、ということに大塚は苛立っているわけです。でも…大塚英志の主張もよく理解できるけど、それ以上に東の気持ちもよくわかるんですよ(笑)。

東「メタゲームばかりやっているようにみえるけどどうか、という非難があります。しかし、ぼくの思うに、そんなのたいして理由があることでもなくて、みんなネットとかで叩かれるのが面倒くさいんですよ。(中略)どんなことを言ったって、必ず反論はあるんだからそりゃ疲れますよ」

その通りなんだよね…大塚英志はインターネットから遠ざかっているから、大塚の言っていることは頭では基本的に賛成できるけど、理想論にしか聞こえない。インターネット世代の東の言っていることの方がリアリティがあるんですよね…。もちろん「公共性の工学化」自体も理想論なんですが、何故そういうことを言い出したかは何となく実感できる。

東が何でインターネットでこれだけ支持を集めているかと言えば、やっぱり東はインターネットの現状を認識した上で物事を言っているからなんですよね…多分。

その現状認識が東と大塚では違うからこそ、こんなにも「オタク同士」なのに話が噛み合ってないんだと思う。東だって「個人的には同意見です」って何回も言ってるし、大塚の言うことは届く人には届くんですよ、ちゃんと。
でも、現実的な問題として届かない人も一杯居るわけで、そういう人をどう社会に包摂していくか、という問いになってしまう。「啓蒙」だの「民度」だの言っても限界はあるよね…というのが多分東の現状認識としてあるんじゃないんでしょうかね…。大塚の言葉が届く人なんて限られているんだから。

話は変わりますが、世の中には「話せばわかる。それで世界は救われる」という信念を貫いている方も結構居らっしゃるみたいですけど、僕なんかは「なわけねーじゃん」とか普通に頬杖を突きながらシニカルに思っていたりする人だったりします(笑)。
でも、だからといって「他者を理解する努力をやめろというわけ」じゃなくて、「他人は完全には理解できない」のを前提として「努力する必要はある」という考えです(←なんか、こういう文章を無意識に書いてしまったけど、やっぱエヴァの影響でかいなぁ・笑)。

でも、実際は議論するうえでの現状認識が違うと、すでに議論にならない。そもそも僕なんかはあまり最近、議論する気になれないないんですよ…何ていうのかなぁ、僕は言葉にも論理にも元々信頼を置いてないんですよ(笑)。もちろん、それでも敢えて「言葉」や「論理」を使う必要は重々わかってますが(じゃないと、コミュニケーションとれない・笑)。なんかこんなこと(「論理」なんてくたばれ!みたいに)言うと、結構反発くらうんですけど、何でなんだろうなぁ…。

さっきの話に戻すと、東は近代の枠組みなんて限界に来ているというスタンスで(だから抽象論から考え直す必要がある)、大塚は近代というものにある程度信頼を置いていて、近代化を徹底すべき、というスタンスなんでしょうけど(そういえば、知り合いの左翼も同じこと言ってたなぁ…)、このスタンスの違いを生んでいるのは論理とかそういうこと以前に経験の差による現状認識の違いなわけですよ(結局、世代論に還元されてしまう)。

優れた評論家二人でさえ、こんな差があるのに、僕たちの偏った経験から導き出される現状認識なんてほとんど普遍性を持たないものだし、そんな状態で議論してもね…というのがあったりなかったり。
なんていうのかなぁ…、国文のセンセイに東浩紀のラノベ論をぶつけたって、すごく面白いし考えるべき問題のはずだ(と僕は思うのに)、空ぶるだけだし。国文なんて古臭いとこに言ったのは間違えだったかなぁ…、大人しく表象文化論にしておけば良かった(とかいいつつ、進路選択の時点では"表象文化論"の意味がわかってなかった・笑)。

うわっ、完全に愚痴愚痴トークだ(笑)。


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コメント返信
>majihamaさん

>僕の場合は逆に、実感はなるべく抑えるようにして、映像・台詞・設定といったデータを基点に考えてしまいますね。

僕なんかは出来ないですね…映像とか台詞とか分析するというのがまず出来ないです(笑)。
リアリティから出発して、「何でこのように自分が感じたか」を分析した方が(個人的に)面白いかなぁ…と思って、『電脳コイル』の感想は書いてました。
でも、あんまりどう感想を書いているか、とか考えたことも無いですね…結構テキトー人間なので(笑)。

コメントありがとうございました。
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