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恋愛

2006-09-29(Fri)
えーと、タイトルを‘恋愛’なんて高校時代にはありえないタイトルにしてみました。自分でもびっくりします(笑)。

でも、けっして自分のことではないのがこのブログ。というわけで、まずビッグニュース!

佐藤友哉と島本理生がつきあっている?

ネットでみかけたビッグニュース。ソースは貼るのが面倒なので自分で検索してください。
確かに合コン(タッキー主催の)で二人が知り合っていることは確かなんだけどなー。そういえば、このニュースの真偽を確かめるため、グーグルで検索していたら、島本が佐藤の作品を褒めている書評に遭遇。やっぱり、本当かも…?
まあ真偽はともかく、本当だとしたら大いに二人の会話が気になります。ユヤタンの好きなアメリカ文学でも語っているのかな?少なくとも、「佐藤友哉が延々とアニメ話を語っている」という状態ではないことを願います(笑)。
まあタッキー(滝沢ではない滝本、前述同)も乙一もゴールインしちゃったから、佐藤友哉も焦ってるのかな?二人とも印税収入では大差なさそうだけど、世間の評価は圧倒的島本だろうなあ…。
どちらにせよ、佐藤と島本がダブル芥川賞を受賞したあたりで、真偽がはっきりするのでは?(って佐藤が芥川はありえないか)

「恋愛」なんていうたいそうな名前をつけながら、結果は呑気な文壇ゴシップでした(笑)。あ、あと乙一の結婚相手は押井守の娘らしいです。でも、アニメをみない僕にとっては「あ、そう」ぐらいのニュースです。

え、自分の話?何もないということにしておいてください。でも、最近他人の恋愛話の予感はよく的中します。何でだろう?
あと、この間、朝の7時に知り合いの女の子がデートしているシーンに真正面からであったときは焦ったな…。まあ、こっちもスーツだったゆえに向こうも不思議に思っているかもね(笑)。
でも、朝の7時っていうのはなー、カラオケのフリータイム帰りにしては遅すぎるし、夏休み中の大学生が起きている時間とも思えないし、かといって一番懸念される(?)「ラブホ帰り」も、少なくとも女の子の方は一人暮らしなのでありえないし…。何だったんだろう?

結局、他人の恋愛話に終始するこのブログ。ま、他人の恋愛話は「ノロケはつまらないけど、隠していると面白い」ってとこでしょうか(笑)。
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優しい蝿の王の嬉遊曲

2006-09-19(Tue)
明日までレポートがまだ全く完成していないKeiです。それでは書評大会と行きましょう!

優しいサヨクのための嬉遊曲 優しいサヨクのための嬉遊曲
島田 雅彦 (2001/07)
新潮社

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えーと、芥川賞に6回も落選し、結局もらえなかった事で有名な島田雅彦のデビュー作。島田雅彦といえば『こころ』のホモセクシュアル版『彼岸先生』が有名ですが、それは後に読もうと思っています。
日本の戦後文学において、「学生運動」をどう扱うかというのは、一つのテーマになってきました。特に、多くの1940年代生まれの作家(ex.三田誠広、村上龍、村上春樹etc.)の作品には肯定的、否定的問わず学生運動というものが出てきます。その「学生運動全盛期」にいなかった1960年代生まれの作家が80年代以降の「ほそぼぞ学生運動」を書いたらどうなるか?という作品です。
島田雅彦は「左翼活動」を「サヨク」と揶揄します。要は所詮「市民活動とかいいながら、社会を変革していこうとかいうよりも、結局自分のためじゃん」っていうのが島田の主張(なのかな?)。
実際、主人公(?)の千歳はバージニアとの恋に落ちていき、小市民的な幸せ(←サヨクがいいそうでしょ?・笑)を守るために、運動を離脱していく。所詮、「サヨク」なんてそんなもんだ、ってことでしょうね。
それとも、「愛はイデオロギーを越える」ってことかな(違うか・笑)?
ちなみに、島田雅彦は自称「サヨク」。ってことは、この小説は自嘲的なのかな?

蝿の王 蝿の王
平井 正穂、William Golding 他 (1975/03)
新潮社

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かの有名なゴールディングの名作。一般的には児童文学と思われているこの作品を今頃なんで読んでいるかというというと、まあ大学のレポートのためです。やっぱ書評書いている暇があったらレポートを書きます。では、更新は後で(笑)。

帰京なのか上京なのか…

2006-09-16(Sat)
タイトルはともかく、結果として帰省から帰ってきたKeiです。

帰京(?)の途中、乗換駅の渋谷でブックファーストに寄る。なーんか気が狂ったのか買っちゃいました舞城王太郎『好き好き大好き超愛してる。』のノベルス版。まあ、舞城のこの作品といえば芥川賞にノミネートされ、I原都知事から「論外」扱いされたことでも有名。また、本屋通の人はこの作品の印象的なハードカバー版の表紙をきっと覚えているでしょう(↓下図参照)。

好き好き大好き超愛してる。 好き好き大好き超愛してる。
舞城 王太郎 (2004/08/07)
講談社

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ちなみに、ノベルス版には舞城王太郎画伯の「著者書下ろしイラスト入り限定バースデーカード付き」…。別にそんなもんいらん!。
こんなデザインのバースデーカード、女の子に送ったら確実に絶交されます。「好き好き大好き超愛してる。」と書いてあるので、男に送ったら確実に怪しまれます。結局、誰に送ればいいんだこのカードは!?自分か…

しかも、本の側面はピンク色で塗ったくってあるし(ポケミスの黄色がピンクになったと想像してください)、カバーを掛けていてもみんなの注目を浴びるのは間違いなし。ポケミスへの嫌味か!?

と、外側のデザインだけで、優に書評を超えるだけの文章が…。やっぱり、講談社文三と舞城王太郎って天才なのかも。ちなみに、中身は…まだ1ぺージも読んでおりません。

明日から帰省

2006-09-07(Thu)
明日から帰省です。いや、それだけなんですけど…。

福岡に帰るのは半年振り。まあ、だから何だ、って話ですけど。

そんなわけで、一週間ぐらいは更新はありません。いや、元から何もなくても一週間ぐらいは更新されてないけど。

まあ帰ったら実家に置いてきた本と服を何冊かこっち(東京)に持ってきたいと思ってます。

現在のところ以下の持ってくる本の候補
村上春樹(既読)
チェ・ゲバラ『モーターズ・サイクル・ダイアリーズ』(未読)
柳美里『水辺のゆりかご』(既読)
氷川透『人魚とミノタウロス』(既読)
舞城王太郎『世界は密室で出来ている。』(既読)
J.D.サリンジャー『ライ麦(野崎version)』(既読)
ついでに太宰、三島も持ってくるかもしれません。
その他役に立ちそうな本があれば…。
正直、未読本に何があったのか余り記憶が定かではないので…(ひょっとしてこっちの本と重複あるかも)。

そういえば、中学時代の愛読書・恩田陸『六番目の小夜子』は候補にもあがらず(笑)。高校時代の愛読書(!?)・佐藤友哉も候補に挙がらず。
やっぱり、ユヤタンのレベルはそんなもんか。

久々にレビューを書いてみる

2006-09-03(Sun)
というわけで、久々(というか『となり街戦争』以来・笑)のレビューです。しかも、今回は珍しく(というかレビューとしては初!?)小説じゃありません。
しかも、初めてamazonの販促のシステムを使ってみる。あんまり、Amazonの陰謀に引っかかってるみたいで好きじゃないんだけどな…。


だいたいで、いいじゃない。 だいたいで、いいじゃない。
吉本 隆明、大塚 英志 他 (2003/09)
文藝春秋

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なんか結構前に読み終わったんですけど、次のロバート・キャパと一緒にレビュー。内容は見ての通り、思想界の巨人・吉本隆明とサブカルチャー評論の雄・大塚英志の対談本。そもそも何でこの企画が成り立ったかというと、入院中の吉本隆明に大塚英志が『エヴァンゲリオン』を持っていて感想を聞く、というところから始まったらしい(笑)。大塚英志、あんたはエライ。
で、そのエヴァの感想から始まる第1章で二人が問題にするのは「倫理」の問題。大塚曰く「宮崎勤には人を殺すのは悪い、という倫理観がない」と。また、エヴァの監督・庵野秀明は「殲滅」という言葉を作中において平気で使う(戦中派の吉本や親が戦争を生きていた大塚の世代には抵抗がある、とのこと)。こういった従来、「倫理観」と呼ばれた者を彼らは持ってない、と。つまり、「無倫理」だと言っているわけです。その上で大塚は「無倫理を包括するような倫理を探す」という風に語っているわけですね。
確かに、現代において従来型の「倫理」は機能していない、というのは確かだと思います。「戦争」という一つに例にとっても特定のイデオロギーを持たずに「戦争」を語れる人がずいぶんと増えたな、という印象を持ちます。その例が『エヴァンゲリオン』で、劇場版なんて何のためにネルフ(というかミサトとアスカ)は最後まで人を殺してまで戦っているのか、僕は最後まで理解できませんでした(誰か理解できた方ご教授願います)。でも、その無意味な戦争が最後まで出来てしまうのが、現代の感覚なのかもしれません。この後、日本が戦争というものに巻き込まれたときに、どういう方向性に向かっていくのか…、大塚の言うように新たな「倫理」が形成されるのか、は…わかりません。
まあ、ここまで書いた事はこの本の一部ですが、この後にも「サブカルチャーのナショナリズム化、ナショナリズムのサブカルチャー化」や「江藤淳の自殺」とか色々と面白い話題もあったのですが、長くなるのでこの辺で終わっときます。しかし、僕としても一度ナショナリズムについては真剣に考えていかなければならない、ことだと思っているので、また別の機会に書くかもしれません。

ちょっとピンぼけ ちょっとピンぼけ
R.キャパ (1979/01)
文藝春秋

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こちらはキャパの有名な作品。実はうちの大学の入試の際、小論文で「写真とことばが云々」とかいう問題が出たので、「キャパのダイナミズムに満ちた文体は、写真というものから生まれたものである」なんて偉そうに書いたような記憶がありますが、その時点ではまだ読んでませんでした(つまりハッタリだったということ・笑)。今回読んだことで、良心の呵責に悩まされることはなくなるかと…。
報道写真家としてノルマンディ上陸作戦など数々の戦闘に同行したキャパが書いたノンフィクション。上の本でも触れた戦争、というものを描いた作品です。
実はキャパのこの本は読んだことがありませんでしたが、キャパの写真集は読んだことがありました。何を隠そう高3の二月の自由登校の日、学校の図書館で勉強していた(?)僕は暇つぶしにその辺にあったキャパの写真集を見だしたのが運のツキ。結局、その日は勉強せずに帰ったなんていうことがありました(笑)。まあこれが結果大学入試にも使えたわけで、人間何が役たつのかわからない物です。
それはともかく、キャパの写真は歴史の1シーンを確実に捉えている。その写真だって命の危険を感じながら撮ったものである。
何で、命を危険にさらしてまでキャパは戦争を追いかけたのか?
写真家である彼は確かに一枚の写真が物語るものの大きさというのは重々に承知していたからか。写真を撮る、という趣味のない僕にはよくわからない。
ただ、一つ驚いたのはこの本の中で彼が言葉を持ってイデオロギー的なオピニオンを発していないことである。彼は「自由のための戦争は正義だ」とも「戦争は悲惨だ」ともはっきり語らず、語ることのできないことを写真とユーモアに満ちた文章で語っている(←矛盾しているか?)。しかし、「戦争」の判断を読者側に委ねているのは事実。物語りながら自分の意見を読者に押し付けるのではなく、読者に考えさせる。この手法は全国の評論家の皆さんも見習ってはいかかがでしょうか?(その前に自分が見習わねば)

上記二冊を読んだところの結論
戦争は難しい。でも、戦争とナショナリズムは嫌いだ。
という非論理的結論に落ち着いたことで、またライシュー…はないか。

本ブログはXP+IE7、Firefox3、Safariで一応確認しています。
リンクについては貼るなり外すなりお好きにどうぞ。

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Kei

Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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