そろそろハルヒネタからも「のだめ」ネタからも「エヴァ」ネタからも脱却して本題(?)に戻った記事を書いていきたいと思います。
数ヶ月前に古本屋で買って積ん読していた「新世界 vol.2」。ようやく読みました。
表紙絵があの貞本義行だよ〜、ってさっきやめるといったエヴァネタを早くも行使。11巻はよ出せ
ともかくこの雑誌の看板である「宮台×大塚」と福田和也の論文(というよりエッセイに近いか)は読みました。他に読むべきものはユヤタンの小説ぐらいしかなさそうなので、この段階で
感想を書いてもいいかな、と。
大塚×宮台「歴史を忘却する装置としての象徴天皇制」
福田和也「天皇抜きのナショナリズム」
この二つの文章を見て驚くことが一つ。余りにも言っている事が似ていること。大塚が狙ったとしたら大したものです。
まずは宮台の方から要約。
宮台真司は「近代主義=機械主義に従っているだけでは自分たちが『透明な存在』になってしまうから『文化概念としての「・・・」が必要」と言っています。その後に「・・・」を再構築するのに歴史意識が非常に有効だと。宮台真司がサブカルの歴史を一時期やっていたのは(『サブカルチャー神話解体』など)、「サブカルチャーには取替え不可能な歴史によって積み上げられてきた固有の質がある」からだと。近年それが崩れ始めている、とのこと。
「若い人たちの歴史意識が欠如している」と行った後に、「歴史意識を失ったまま平然としてられるのは象徴天皇の枠組みがあるから」と続けています。その後、大塚が「天皇があるだけで日本の伝統や歴史があるように思えてしまう。思考停止を担保する」と続けています。
続いて福田は「フランス革命の意義は国のオーナーが王様から国民へと代った」ことだと。続けて「本来は政治指導者がすべてを負わなければならない。でも日本は天皇の名の元に死んだ。つまり国民国家における天皇の存在はあらゆる問題を天皇に収歛させてしまう。」と述べています。
二人ともいい方は違うにせよ「天皇がいるせいで日本人が思考停止に陥いりやすい」と言っているんですね。そう言えば、小熊英二が別の雑誌で「日本のナショナリストは可愛そう。掲げる理念は何も無い。近代的なナショナリズムが形成されなかった。」と言ってました。二人はその原因が"天皇"だと言っているわけですね。
最近のプチナショナリズム症候群(命名:リカちゃん人形)もなあ…掲げる理念が「天皇バンザイ」とも言えず「朝日、半島逝ってよし」だもんな〜(某巨大匿名掲示板群より)。
もちろん二人とも即天皇制廃止とか無謀な事を言っているわけではないです。二人とも「『田吾作による天皇利用』*1を必要としないぐらいまでは近代を徹底する」(by宮台)あたりで落ち着くと思われますが。
う〜ん、正直どうなんでしょうか。特に反論も意義もないんですよね…本当にそういった形で新しい近代的なナショナリズムが構築されるなら支持してもいいかな、と思います。
散々、このブログでナショナリストの悪口は言ってきましたが、理由は日本のナショナリストがただ単に「懐古趣味」に基づいているようにしか見えないからなんですね。"家族"とか"地域社会の伝統"とか(ex.都知事)。最近の若者風に言わせて貰えば「うざい」「きもい」としか僕は思えないんからなんです。
ただなぁ…、宮台の言う「サブカルチャーの衰退」が本当に起こっているかは僕からは何とも言えなんですよね。何せ95年代後半より以前のサブカルチャーを知らないので。宮台は大学で「戦後サブカルチャー史」の授業を教養でやっているのはこういう意図があるんでしょうが、現代馴染んでいるサブカルまでは宮台の文脈では到達しないので、本当にインテンシティ(濃密さ)があるのか?が全然実感としてわかないんですよね…。*2
あともう一つ疑問。そのインテンシティは東浩紀のいう「データベース」と違うのか?ということ。前者がアナログチックで、後者がデジタルチックなイメージはしますが、「データベース」が複雑化すればその"インテンシティ"になるのではないか?
というより僕なんかは現代のオタク文化はデータベースが複雑化しすぎているからもう限界にきている、と思っている人なんですが…?でも宮台の文脈ではオタク文化はいいのかも。オタクはインテンシティがあるから。
でもJ-POPは聞かないからわからないんだよな〜。ただ、確かにJ-POPやマンガは文学に比べて歴史的文脈が踏まえられていない感じはしますが(でも文学も村上春樹以降は日本の文学の歴史が踏まえられてない気もしますが…)。
あと最後に宮台の問い。「みんな幸せになって、その結果動物化した存在になって"歴史、なんだっけそれ?"っていう社会がいいのか?それとも多少の不幸せを強要する社会システムの下でみなさんがディプレッシブな自分を抱えるが故に、インテンシブな表現に向かう社会がいいのか?」
文学にとっては後者がいいのは言うまでもありませんが、でも僕は多分前者を選ぶな…「動物化するポストモダン」で何が悪い!?(開き直り)
*1…えげつもないいい方だ。田吾作とは農民、つまり天皇を利用しようとする単なる人の比喩。でも田吾作っていい方はないだろう、田吾作は。
*2…完全に私事だが、この間、斉藤美奈子『紅一点論』で使われた分析方法(フェミニズム)で「涼宮ハルヒの憂鬱」の分析を試みたのだが途中で諦めた。何故なら余りにも本文中で使われた文脈と結果が違ったから。この辺に断絶があるのかなぁ…。
P.S.そう言えば噂をすれば今更「エヴァ」の切手シートが出たとか何とか…もちろん買ってないですよ!ええ。
というか今時80円切手とか何に使うんじゃい…。
数ヶ月前に古本屋で買って積ん読していた「新世界 vol.2」。ようやく読みました。
![]() | 新現実 Vol.2 大塚 英志 (2003/03/31) 角川書店 この商品の詳細を見る |
表紙絵があの貞本義行だよ〜、ってさっきやめるといったエヴァネタを早くも行使。
ともかくこの雑誌の看板である「宮台×大塚」と福田和也の論文(というよりエッセイに近いか)は読みました。他に読むべきものはユヤタンの小説ぐらいしかなさそうなので、この段階で
感想を書いてもいいかな、と。
大塚×宮台「歴史を忘却する装置としての象徴天皇制」
福田和也「天皇抜きのナショナリズム」
この二つの文章を見て驚くことが一つ。余りにも言っている事が似ていること。大塚が狙ったとしたら大したものです。
まずは宮台の方から要約。
宮台真司は「近代主義=機械主義に従っているだけでは自分たちが『透明な存在』になってしまうから『文化概念としての「・・・」が必要」と言っています。その後に「・・・」を再構築するのに歴史意識が非常に有効だと。宮台真司がサブカルの歴史を一時期やっていたのは(『サブカルチャー神話解体』など)、「サブカルチャーには取替え不可能な歴史によって積み上げられてきた固有の質がある」からだと。近年それが崩れ始めている、とのこと。
「若い人たちの歴史意識が欠如している」と行った後に、「歴史意識を失ったまま平然としてられるのは象徴天皇の枠組みがあるから」と続けています。その後、大塚が「天皇があるだけで日本の伝統や歴史があるように思えてしまう。思考停止を担保する」と続けています。
続いて福田は「フランス革命の意義は国のオーナーが王様から国民へと代った」ことだと。続けて「本来は政治指導者がすべてを負わなければならない。でも日本は天皇の名の元に死んだ。つまり国民国家における天皇の存在はあらゆる問題を天皇に収歛させてしまう。」と述べています。
二人ともいい方は違うにせよ「天皇がいるせいで日本人が思考停止に陥いりやすい」と言っているんですね。そう言えば、小熊英二が別の雑誌で「日本のナショナリストは可愛そう。掲げる理念は何も無い。近代的なナショナリズムが形成されなかった。」と言ってました。二人はその原因が"天皇"だと言っているわけですね。
最近のプチナショナリズム症候群(命名:リカちゃん人形)もなあ…掲げる理念が「天皇バンザイ」とも言えず「朝日、半島逝ってよし」だもんな〜(某巨大匿名掲示板群より)。
もちろん二人とも即天皇制廃止とか無謀な事を言っているわけではないです。二人とも「『田吾作による天皇利用』*1を必要としないぐらいまでは近代を徹底する」(by宮台)あたりで落ち着くと思われますが。
う〜ん、正直どうなんでしょうか。特に反論も意義もないんですよね…本当にそういった形で新しい近代的なナショナリズムが構築されるなら支持してもいいかな、と思います。
散々、このブログでナショナリストの悪口は言ってきましたが、理由は日本のナショナリストがただ単に「懐古趣味」に基づいているようにしか見えないからなんですね。"家族"とか"地域社会の伝統"とか(ex.都知事)。最近の若者風に言わせて貰えば「うざい」「きもい」としか僕は思えないんからなんです。
ただなぁ…、宮台の言う「サブカルチャーの衰退」が本当に起こっているかは僕からは何とも言えなんですよね。何せ95年代後半より以前のサブカルチャーを知らないので。宮台は大学で「戦後サブカルチャー史」の授業を教養でやっているのはこういう意図があるんでしょうが、現代馴染んでいるサブカルまでは宮台の文脈では到達しないので、本当にインテンシティ(濃密さ)があるのか?が全然実感としてわかないんですよね…。*2
あともう一つ疑問。そのインテンシティは東浩紀のいう「データベース」と違うのか?ということ。前者がアナログチックで、後者がデジタルチックなイメージはしますが、「データベース」が複雑化すればその"インテンシティ"になるのではないか?
というより僕なんかは現代のオタク文化はデータベースが複雑化しすぎているからもう限界にきている、と思っている人なんですが…?でも宮台の文脈ではオタク文化はいいのかも。オタクはインテンシティがあるから。
でもJ-POPは聞かないからわからないんだよな〜。ただ、確かにJ-POPやマンガは文学に比べて歴史的文脈が踏まえられていない感じはしますが(でも文学も村上春樹以降は日本の文学の歴史が踏まえられてない気もしますが…)。
あと最後に宮台の問い。「みんな幸せになって、その結果動物化した存在になって"歴史、なんだっけそれ?"っていう社会がいいのか?それとも多少の不幸せを強要する社会システムの下でみなさんがディプレッシブな自分を抱えるが故に、インテンシブな表現に向かう社会がいいのか?」
文学にとっては後者がいいのは言うまでもありませんが、でも僕は多分前者を選ぶな…「動物化するポストモダン」で何が悪い!?(開き直り)
![]() | 動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会 東 浩紀 (2001/11) 講談社 この商品の詳細を見る |
*1…えげつもないいい方だ。田吾作とは農民、つまり天皇を利用しようとする単なる人の比喩。でも田吾作っていい方はないだろう、田吾作は。
*2…完全に私事だが、この間、斉藤美奈子『紅一点論』で使われた分析方法(フェミニズム)で「涼宮ハルヒの憂鬱」の分析を試みたのだが途中で諦めた。何故なら余りにも本文中で使われた文脈と結果が違ったから。この辺に断絶があるのかなぁ…。
P.S.そう言えば噂をすれば今更「エヴァ」の切手シートが出たとか何とか…もちろん買ってないですよ!ええ。
というか今時80円切手とか何に使うんじゃい…。











