というわけで、昨日はアニメ版「のだめカンタービレ」最終話でした〜。ドラマ版と同じく国内編で終わりです。
まぁね、正直アニメ版色々と酷かったけど、原作の力に支えられて全体としては良かったというところじゃないですかね。本当にアニメ版「のだめ」は動かなかったよなぁ…。最終回も作画酷けりゃ、エンディングロールで事後譚をマンガ調で流すと言うせこわざで物語を終わらせるし、まぁアニメ版はビミョー…。
というわけで福岡人的ツッコミ。
博多駅から大川までタクシーでいくか!?
相当遠いぞ(笑)。ちなみに、大川の宣伝をしておくと、県境越えたらすぐに佐賀県という相当田舎にあります。「のだめ」では新幹線で行ってましたが、飛行機利用だと福岡空港の行くより、佐賀空港の方が絶対近い(笑)。
で、売って変わってエヴァ。というか、最近何だかんだ言ってよくエヴァをネタに出しているような…。
それはともかく、ヤフーのニュース欄に「ヱヴァ」の文字を見た時の違和感は何とも言えません。
というわけで、新劇場版主題歌が宇多田ヒカル。
そうかそうか、宇多田ヒカルもアニソン歌わないと食えなくなったのか、
と見るか、
エヴァも落ちぶれたなぁ、J-POPとタイアップしないといけなくなったのか。
と見るか(笑)。
どっちもイヤミな見方だなぁ(笑)。
どうやらネットの噂ではカヲル君が冒頭から出て来るらしいです。
あー、完全に池袋の方狙いですね?カヲルなんていらないからアスカ出せ…。
>双城さんへの返信
正直、双城さんとの間ですごい空回りしている感があるんですよね…。東、笠井往復書簡みたいな(笑)。双城さんの言いたい事はよくわかるんですけど、拙稿のコンテクストに当てはまらない、といいますか…。なので、かなり曖昧な返事に毎回なっているとは思います。
その空回り感を先に一応書いておこうと思います。
拙稿では大塚英志の「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」という二項対立図式を前提に用いています。その上で新本格ミステリはマンガ・アニメ的リアリズムと同じ図式に立っている、ということを述べているんですよね…。
従来の文学を「自然主義文学的リアリズム」とまとめる事の乱暴さは双城さんならよくよく理解されていると思います。「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」の"乱暴な"二項対立図式で見たとき、"社会派"と"新本格"はどういうカテゴライズになるか?と考えた時に、"社会派"は前者、"新本格"は後者というカテゴライズになるのではないか?、というのが本稿の出発点です(従って拙稿では勝手にミステリ的リアリズムという呼び名をつけています)。
「孤島」や「名探偵」が双城さんの言うとおり「コード」として利用されているのは今回の論争を通して重々承知しているつもりです。その点は考慮するべきでしたし、機会があればもう一度そのあたりも含めて書き直したいと思っています。
ただ、ここで問題としたいのは、「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」「ツリーモデル/データベースモデル」の二項対立で考えたときに、それまでの60年代から87年まで一世を風靡した"社会派"と比較した時に、突如として「名探偵」「孤島」「密室」というある意味"非現実的"な「・・・」*1が使われ始めた。何故だろう?というのがここでの問いです。
それを双城さんは「(娯楽を目的とした)雰囲気作りの材料且つ伏線(論理のアクロバットの材料)」のためと言いますが、それではここでは特に答えになっていないと思います。
そのあたりが非常に空回りしている印象がありまして、毎回毎回曖昧な返事になっていたわけですが…。
何度も言っていますが、やはり観点の違いがあるように思います。
東浩紀の考えは表象文化論的とか社会学的の考え方に載っていて、一応拙稿もそれにのっかています。それに対して、双城さんの意見は文学的に捉えている。
それがどうもすれ違っているような気がしてならないんですよね…。勿論、合わせる努力はしてきたつもりですが。
*1…ええと覚えてますか?随分前にこういったものを表すものとして「・・・」を使ったのですが(笑)。ガジェットとかそんな感じに捉えてください。
今回の文章で双城さんの言う「コード」と「データベース」の違いはよくわかりました(と思います)。
そのあたり考慮に入れて、もう一度拙稿を書きなおす、ということで一つの解答としてみたいと思います。まぁ、7月は試験期間ですので、いつになるかは不明ですが(笑)。
あ、勿論協力者のところでクレジットを入れさせてもらいますよ(笑)。
まぁね、正直アニメ版色々と酷かったけど、原作の力に支えられて全体としては良かったというところじゃないですかね。本当にアニメ版「のだめ」は動かなかったよなぁ…。最終回も作画酷けりゃ、エンディングロールで事後譚をマンガ調で流すと言うせこわざで物語を終わらせるし、まぁアニメ版はビミョー…。
というわけで福岡人的ツッコミ。
博多駅から大川までタクシーでいくか!?
相当遠いぞ(笑)。ちなみに、大川の宣伝をしておくと、県境越えたらすぐに佐賀県という相当田舎にあります。「のだめ」では新幹線で行ってましたが、飛行機利用だと福岡空港の行くより、佐賀空港の方が絶対近い(笑)。
で、売って変わってエヴァ。というか、最近何だかんだ言ってよくエヴァをネタに出しているような…。
それはともかく、ヤフーのニュース欄に「ヱヴァ」の文字を見た時の違和感は何とも言えません。
というわけで、新劇場版主題歌が宇多田ヒカル。
そうかそうか、宇多田ヒカルもアニソン歌わないと食えなくなったのか、
と見るか、
エヴァも落ちぶれたなぁ、J-POPとタイアップしないといけなくなったのか。
と見るか(笑)。
どっちもイヤミな見方だなぁ(笑)。
どうやらネットの噂ではカヲル君が冒頭から出て来るらしいです。
あー、完全に池袋の方狙いですね?
>双城さんへの返信
正直、双城さんとの間ですごい空回りしている感があるんですよね…。東、笠井往復書簡みたいな(笑)。双城さんの言いたい事はよくわかるんですけど、拙稿のコンテクストに当てはまらない、といいますか…。なので、かなり曖昧な返事に毎回なっているとは思います。
その空回り感を先に一応書いておこうと思います。
拙稿では大塚英志の「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」という二項対立図式を前提に用いています。その上で新本格ミステリはマンガ・アニメ的リアリズムと同じ図式に立っている、ということを述べているんですよね…。
従来の文学を「自然主義文学的リアリズム」とまとめる事の乱暴さは双城さんならよくよく理解されていると思います。「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」の"乱暴な"二項対立図式で見たとき、"社会派"と"新本格"はどういうカテゴライズになるか?と考えた時に、"社会派"は前者、"新本格"は後者というカテゴライズになるのではないか?、というのが本稿の出発点です(従って拙稿では勝手にミステリ的リアリズムという呼び名をつけています)。
「孤島」や「名探偵」が双城さんの言うとおり「コード」として利用されているのは今回の論争を通して重々承知しているつもりです。その点は考慮するべきでしたし、機会があればもう一度そのあたりも含めて書き直したいと思っています。
ただ、ここで問題としたいのは、「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」「ツリーモデル/データベースモデル」の二項対立で考えたときに、それまでの60年代から87年まで一世を風靡した"社会派"と比較した時に、突如として「名探偵」「孤島」「密室」というある意味"非現実的"な「・・・」*1が使われ始めた。何故だろう?というのがここでの問いです。
それを双城さんは「(娯楽を目的とした)雰囲気作りの材料且つ伏線(論理のアクロバットの材料)」のためと言いますが、それではここでは特に答えになっていないと思います。
そのあたりが非常に空回りしている印象がありまして、毎回毎回曖昧な返事になっていたわけですが…。
何度も言っていますが、やはり観点の違いがあるように思います。
東浩紀の考えは表象文化論的とか社会学的の考え方に載っていて、一応拙稿もそれにのっかています。それに対して、双城さんの意見は文学的に捉えている。
それがどうもすれ違っているような気がしてならないんですよね…。勿論、合わせる努力はしてきたつもりですが。
*1…ええと覚えてますか?随分前にこういったものを表すものとして「・・・」を使ったのですが(笑)。ガジェットとかそんな感じに捉えてください。
今回の文章で双城さんの言う「コード」と「データベース」の違いはよくわかりました(と思います)。
そのあたり考慮に入れて、もう一度拙稿を書きなおす、ということで一つの解答としてみたいと思います。まぁ、7月は試験期間ですので、いつになるかは不明ですが(笑)。
あ、勿論協力者のところでクレジットを入れさせてもらいますよ(笑)。



笠井潔)だけど、この決裂の仕方は実に衝撃的でしたからねぇ…。結構、議論を始める肴にはもってこいだと思います。気が向いたら、こっちにアップもするかもしれませんが、ミス研と違ってレベルを下げて書くものではないので、ある程度前提知識がないときついかもしれません。








