昨日は「ガンダム00」の悪口を散々書いてしまいましたが、いくつかのブログ感想を見てまわったら、どうやら僕の刹那解釈は違うらしい(笑)。ま、いっか。
なんていうか、00基本的に嵌れなかったんですよね…。なんか絵空事見ている感じで。みんな鬱展開鬱展開言うけど、画面上で流れていることが「鬱展開」であることは理解できるけど、全然鬱に成らなかった。ぶっちゃけ、画面上で人が死んでも何とも思わなかった…それが僕の「ガンダム00」でした。
簡単に言えば「僕の中でリアリティがなかった」ということです(リアリティを調達するのに現実を自然主義的に描写する必要はない、ってことは「動ポ2」をお読みの方は前提かと。ちなみに、現実をSF的解釈で描写することによってリアリティを確保しようとしたのが「攻殻SAC」ですね…)。
で、今日二期に向けてギアス20話以降を見直して思ったこと。
コードギアスって意外と世界が狭い
散々言っている人いそうですが、僕は今更気づきました(笑)。別に世界が狭いのは宇宙が出てこないからとか、ほとんど日本を舞台にしているから、という地理的な理由じゃなくて(笑)、「コードギアス」はほとんどルルーシュの肉親と仲間で社会全体が動いているんですよね。つまり、東的ラカン解釈風(以下同)に言うならば、想像界の次元で象徴界の出来事が推移している。それが「コードギアス」だった気がします。
『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される「セカイ系」と呼ばれる作品では、想像界の次元で現実界の次元の出来事が推移してきたわけですが、それの「社会版」ですね。
それに対して、「ガンダム00」(別に00に限ったことじゃないと思うが)、基本的に象徴界の次元で全てが推移している。それどころか、00の場合は意図的に日常を切り離してある(要するに手紙を書く相手がいないと・笑)。かといって、トレミーの中でコミュニティを形成している描写も少ない(それこそロックオンとフェルトぐらい・笑)。
いや、演出側としてはそうとって欲しかったのかもしれないが(じゃないと最終話が盛り上がらない。今時、イデオロギーで戦って死んだから感動してください、というのはさすがに通用しないでしょ)、それにしては明らかに描写少なすぎ。
一般で言われる戦争モノというのは、各陣営の戦いをただ単に描いてもつまらないので(ドラマにならないので)、各陣営から何人か人を代表させて描くわけですよね。「00」においてはグラハム、セルゲイ、サーシェスあたりはまさにそういう役割だったわけです(コーラサワーはとりあえずおいて置くとして・笑)。
それに対して、コードギアスは各陣営の代表者すら、肉親とか仲間だったりするわけで、どんだけ世界が狭いんだって話なわけです(笑)。
でも、そこがコードギアスの面白さであり、リアリティの調達方法だったと思うわけですよ。まぁ、あえて言うなら「シャカイ系」?(センスなさすぎ・笑)
「ガンダム」シリーズというのは、多分完結した擬似「社会」を描くことによってリアリティを確保してきたんだと思うんですよね(ガンダムの設定の細かさは過剰でしょ・笑)。つまり、象徴界の次元でリアリティを確保しようとしているのではないかと。「00」もその方法論にしたがっている。
でも、「ガンダム」的方法論が通用するのは社会全体を見渡す視点が確保出来る場合だと思うんですよね…なので、オタク第三世代的(笑)に僕は嵌れなかったのではないかと、勝手に思っているわけですが。それとも単純に、今や「ガンダム」は単なるネタに過ぎないのかなぁ…。
あと、気になったのが「コミット」の仕方。
「黒の騎士団」って、結構みんなベタにコミットしていると思うんですよね。ラクシャータとかはともかく。ディートハルトとか扇とかカレンはそうでしょう。支配の三類型的に言えば「カリスマ指導者」についていく人たち。
でも、「ソレスタルビーイング」って「理念をベタに信じている」というよりは、「あえてコミット」しているよね…「これで世界から紛争がなくなるとは思ってない」みたいな台詞があったけど、多分みんなそう思っているんじゃないかって感じ(刹那とティエリアはマジっぽい?)。イオリアなんてとうの昔に死んでいるし、ヴェーダとか本編中で見ている限り全然大した事無かった感あるし(笑)。
まぁ「ソレスタルビーイング、存在自体が矛盾しているぞ」っていう1話のグラハムの台詞が示すとおり、ソレスタルビーイング自体「あえてコミットせざるを得ない」組織だったのかもしれませんが。
以上、私的に「00」があんまり面白くなった理由でしたー。
「ガンダム」的リアリズムが理解できる人は楽しめるんだろうけどなぁ…。
って、今「単純に女の子の出番が少なかったからじゃね?」というオタク的発想が思いついたけど、全力で無視ということで(笑)。
全然関係ないけど、今更ながらキョン子に嵌ってます。気づいたら、壁紙がキョン子になってました。
キョンで思い出した。主人公に視聴者が感情移入出来るキャラにするっていうのも、リアリティ調達の方法というか視聴者を作品に引き込む手段ではあるんだけど、刹那は…無理でしょ(笑)。
「俺がガンダムだ!!」
こんな奴に、どう感情移入しろと(笑)。いや、ネタとしては面白いけど(武力介入できないシリーズのおかげ・笑)。
コメント返信
>tamakiさん
>今も正直(京極以外)好きじゃないのは、なんつーか問題だなあと思ってます……西澤保彦読んでるのに。
西澤保彦!…昔、タックシリーズを読み漁ったことを思い出しました。と言っても、5巻ぐらいしか当時は出てなかったけど。今はどうなったんだろう…。
>ミステリ読む暇あったらまだ読んでない鏡花とか古臭いの読むよ、なスタンス
僕も高1ぐらいまではミステリ読んでいましたが、最近は結構さっぱりですね…。
コメントありがとうございました。
なんていうか、00基本的に嵌れなかったんですよね…。なんか絵空事見ている感じで。みんな鬱展開鬱展開言うけど、画面上で流れていることが「鬱展開」であることは理解できるけど、全然鬱に成らなかった。ぶっちゃけ、画面上で人が死んでも何とも思わなかった…それが僕の「ガンダム00」でした。
簡単に言えば「僕の中でリアリティがなかった」ということです(リアリティを調達するのに現実を自然主義的に描写する必要はない、ってことは「動ポ2」をお読みの方は前提かと。ちなみに、現実をSF的解釈で描写することによってリアリティを確保しようとしたのが「攻殻SAC」ですね…)。
で、今日二期に向けてギアス20話以降を見直して思ったこと。
コードギアスって意外と世界が狭い
散々言っている人いそうですが、僕は今更気づきました(笑)。別に世界が狭いのは宇宙が出てこないからとか、ほとんど日本を舞台にしているから、という地理的な理由じゃなくて(笑)、「コードギアス」はほとんどルルーシュの肉親と仲間で社会全体が動いているんですよね。つまり、東的ラカン解釈風(以下同)に言うならば、想像界の次元で象徴界の出来事が推移している。それが「コードギアス」だった気がします。
『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される「セカイ系」と呼ばれる作品では、想像界の次元で現実界の次元の出来事が推移してきたわけですが、それの「社会版」ですね。
それに対して、「ガンダム00」(別に00に限ったことじゃないと思うが)、基本的に象徴界の次元で全てが推移している。それどころか、00の場合は意図的に日常を切り離してある(要するに手紙を書く相手がいないと・笑)。かといって、トレミーの中でコミュニティを形成している描写も少ない(それこそロックオンとフェルトぐらい・笑)。
いや、演出側としてはそうとって欲しかったのかもしれないが(じゃないと最終話が盛り上がらない。今時、イデオロギーで戦って死んだから感動してください、というのはさすがに通用しないでしょ)、それにしては明らかに描写少なすぎ。
一般で言われる戦争モノというのは、各陣営の戦いをただ単に描いてもつまらないので(ドラマにならないので)、各陣営から何人か人を代表させて描くわけですよね。「00」においてはグラハム、セルゲイ、サーシェスあたりはまさにそういう役割だったわけです(コーラサワーはとりあえずおいて置くとして・笑)。
それに対して、コードギアスは各陣営の代表者すら、肉親とか仲間だったりするわけで、どんだけ世界が狭いんだって話なわけです(笑)。
でも、そこがコードギアスの面白さであり、リアリティの調達方法だったと思うわけですよ。まぁ、あえて言うなら「シャカイ系」?(センスなさすぎ・笑)
「ガンダム」シリーズというのは、多分完結した擬似「社会」を描くことによってリアリティを確保してきたんだと思うんですよね(ガンダムの設定の細かさは過剰でしょ・笑)。つまり、象徴界の次元でリアリティを確保しようとしているのではないかと。「00」もその方法論にしたがっている。
でも、「ガンダム」的方法論が通用するのは社会全体を見渡す視点が確保出来る場合だと思うんですよね…なので、オタク第三世代的(笑)に僕は嵌れなかったのではないかと、勝手に思っているわけですが。それとも単純に、今や「ガンダム」は単なるネタに過ぎないのかなぁ…。
あと、気になったのが「コミット」の仕方。
「黒の騎士団」って、結構みんなベタにコミットしていると思うんですよね。ラクシャータとかはともかく。ディートハルトとか扇とかカレンはそうでしょう。支配の三類型的に言えば「カリスマ指導者」についていく人たち。
でも、「ソレスタルビーイング」って「理念をベタに信じている」というよりは、「あえてコミット」しているよね…「これで世界から紛争がなくなるとは思ってない」みたいな台詞があったけど、多分みんなそう思っているんじゃないかって感じ(刹那とティエリアはマジっぽい?)。イオリアなんてとうの昔に死んでいるし、ヴェーダとか本編中で見ている限り全然大した事無かった感あるし(笑)。
まぁ「ソレスタルビーイング、存在自体が矛盾しているぞ」っていう1話のグラハムの台詞が示すとおり、ソレスタルビーイング自体「あえてコミットせざるを得ない」組織だったのかもしれませんが。
以上、私的に「00」があんまり面白くなった理由でしたー。
「ガンダム」的リアリズムが理解できる人は楽しめるんだろうけどなぁ…。
って、今「単純に女の子の出番が少なかったからじゃね?」というオタク的発想が思いついたけど、全力で無視ということで(笑)。
全然関係ないけど、今更ながらキョン子に嵌ってます。気づいたら、壁紙がキョン子になってました。
キョンで思い出した。主人公に視聴者が感情移入出来るキャラにするっていうのも、リアリティ調達の方法というか視聴者を作品に引き込む手段ではあるんだけど、刹那は…無理でしょ(笑)。
「俺がガンダムだ!!」
こんな奴に、どう感情移入しろと(笑)。いや、ネタとしては面白いけど(武力介入できないシリーズのおかげ・笑)。
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コメント返信
>tamakiさん
>今も正直(京極以外)好きじゃないのは、なんつーか問題だなあと思ってます……西澤保彦読んでるのに。
西澤保彦!…昔、タックシリーズを読み漁ったことを思い出しました。と言っても、5巻ぐらいしか当時は出てなかったけど。今はどうなったんだろう…。
>ミステリ読む暇あったらまだ読んでない鏡花とか古臭いの読むよ、なスタンス
僕も高1ぐらいまではミステリ読んでいましたが、最近は結構さっぱりですね…。
コメントありがとうございました。





















