どうも、最近何かが足らないと思った。きっとそれは「萌え」だとか思った。
で、「萌え」分補給に本屋に行って来た。気づいたら東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』を買ってた。あずまんの力恐ろしい。
何で、萌える美少女を求めていたら、こんなホモソーシャルなおっさんたちの筒井康隆の『大いなる助走』だか高橋源一郎の『日本文学盛衰記』だかの現代論壇バージョンのメタメタ実験小説をよまにゃならんのだ。いや、買ったのは自分だけど。気分が乗らないときに実験小説なんて読むもんじゃないですね。
そこはホモソーシャルなおっさんたちだけじゃなくて、萌えるヒロイン導入するべきでしょう(笑)。東先生!あと、情報工学の最先端を行っている思しき人が"今時"NYというのはいかがかと。
とはいえ、そこそこ面白かった。僕も東浩紀や『ファウスト』あたりの文脈を追いかけている人の一人なので、作品中に出てくる小ネタの数々が笑えた。「あっ、これは唐沢俊一さんの帽子だ」とか(笑)。そうか、やっぱり唐沢俊一といえばあの帽子なのか。「キャラクターの誕生」を描いていると言われる『キャラクターズ』的に言えば、ハルヒにおけるオレンジカチューシャみたいなものなのなんでしょう。
宮台真司の名前が出てこないのが不思議なぐらい、東浩紀界隈の人が実名で出てきました(弟子の鈴木謙介は出てきているのに・笑)。
一番最高傑作だったのがガソリンスタンドにいる「幼女」と「タンクローリー車」を対置させて、「宮崎勤になるか、アルカイダになるか」という選択肢。単にその光景のアホっぽさに爆笑したけど、今思えば文学(自然主義的リアリズム)かマンガ(アニメ・漫画的リアリズム)かという選択肢だったんでしょうか。『グランド・フィナーレ』vs『多重人格探偵サイコ』みたいな(『サイコ』に飛行機で船に突っ込むシーンがあるので)。
で、そろそろ真面目な話をすると(裏を返せば今まで真面目な話をしてなかったということですが・笑)、「キャラクター」を「作者」に回収しようとする近代日本文学の「私小説」へのアンチテーゼということなんでしょうかね。
「キャラクターは自律するんだZE」!小説世界の「東浩紀」はあくまでもキャラクターである、ということを私小説的な枠組みから入って(「私」=「作者」)、最後朝日新聞本社を燃やして(!)三人の東浩紀が合体して(『九十九十九』の逆パターン・笑)、「キャラクター・東浩紀」の誕生を描く、というものなんでしょうか。
でも、そういうテーマがあるとなると、そのテーマ自体が「作者」(=東浩紀)に回収されてしまうので、結局「私小説」じゃない?って話になるような…それでいいのかな?。実験小説って、パフォーマティブな意味合いの方が強く見えてしまうし。
って、今斉藤美奈子×高橋源一郎の対談見たら同じ事書いてあった(笑)。
斉藤「私小説のパロディをやるって言って立派な私小説になってるしね。」
高橋「宣言してパロディでやっても私小説になるってことは、私小説の強固さを証明しているんだよね」
『SIGHT 2007winter』より
そうか、やっぱりそういう小説のなのか。僕が尊敬してやまない(?)高橋源一郎と斉藤美奈子がそう言っているんだから間違いない(笑)。
ちなみに、ご本人東浩紀先生は
「あの小説の主題は簡単で、キャラクターっていうのは、Aが書いて、Bが書いて、Aが書いて、Bが書く、そういう連鎖から出来るということ。つまり、あれだと東浩紀って言うキャラクターは、僕が書いたものではないわけ、半分は。そうすると、作者は統御できないから、自律していくと。だから、あれはキャラクターの自律の物語、単に。すごい簡単。それこそがメインのテーマで、だから作者が勝手に物語をばらばらにしてしまうことによって、最初は私小説的名私として始まったものが、むしろキャラクターになっちゃうよ。っていう話なんです。」
『PLANETS vol.4』より
とおっしゃってます。そんなに長々と自作の説明するのもどうかと思うんですけどね。テクスト論的にはこんな作者の語りは無視しちゃっていいのかもしれないけど(笑)。
コメント返信
>tamakiさん
>私も知りませんが、らき☆すたはオタ要素取り除けば、ゆる〜く読めるマンガだと思うので、あり得る話だと思いますよー。かつてあずまんが大王を、非オタの友達に貸したことあるんですけど、四コマな点あずまんがと似てるなあ、なんて…
『らき☆すた』の直系の先祖みたいに言われますよね、『あずまんが大王』は。『あずまんが』を読んでいる非オタの人はいるけど、『らき☆すた』はいるんでしょうかね…見たことない…。
でも、季節ネタ・学校ネタ多いから『らき☆すた』でも、触れるきっかけがあれば楽しめそうですよね。
コメントありがとうございます。
で、「萌え」分補給に本屋に行って来た。気づいたら東浩紀+桜坂洋『キャラクターズ』を買ってた。あずまんの力恐ろしい。
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何で、萌える美少女を求めていたら、こんなホモソーシャルなおっさんたちの筒井康隆の『大いなる助走』だか高橋源一郎の『日本文学盛衰記』だかの現代論壇バージョンのメタメタ実験小説をよまにゃならんのだ。いや、買ったのは自分だけど。気分が乗らないときに実験小説なんて読むもんじゃないですね。
そこはホモソーシャルなおっさんたちだけじゃなくて、萌えるヒロイン導入するべきでしょう(笑)。東先生!あと、情報工学の最先端を行っている思しき人が"今時"NYというのはいかがかと。
とはいえ、そこそこ面白かった。僕も東浩紀や『ファウスト』あたりの文脈を追いかけている人の一人なので、作品中に出てくる小ネタの数々が笑えた。「あっ、これは唐沢俊一さんの帽子だ」とか(笑)。そうか、やっぱり唐沢俊一といえばあの帽子なのか。「キャラクターの誕生」を描いていると言われる『キャラクターズ』的に言えば、ハルヒにおけるオレンジカチューシャみたいなものなのなんでしょう。
宮台真司の名前が出てこないのが不思議なぐらい、東浩紀界隈の人が実名で出てきました(弟子の鈴木謙介は出てきているのに・笑)。
一番最高傑作だったのがガソリンスタンドにいる「幼女」と「タンクローリー車」を対置させて、「宮崎勤になるか、アルカイダになるか」という選択肢。単にその光景のアホっぽさに爆笑したけど、今思えば文学(自然主義的リアリズム)かマンガ(アニメ・漫画的リアリズム)かという選択肢だったんでしょうか。『グランド・フィナーレ』vs『多重人格探偵サイコ』みたいな(『サイコ』に飛行機で船に突っ込むシーンがあるので)。
で、そろそろ真面目な話をすると(裏を返せば今まで真面目な話をしてなかったということですが・笑)、「キャラクター」を「作者」に回収しようとする近代日本文学の「私小説」へのアンチテーゼということなんでしょうかね。
「キャラクターは自律するんだZE」!小説世界の「東浩紀」はあくまでもキャラクターである、ということを私小説的な枠組みから入って(「私」=「作者」)、最後朝日新聞本社を燃やして(!)三人の東浩紀が合体して(『九十九十九』の逆パターン・笑)、「キャラクター・東浩紀」の誕生を描く、というものなんでしょうか。
でも、そういうテーマがあるとなると、そのテーマ自体が「作者」(=東浩紀)に回収されてしまうので、結局「私小説」じゃない?って話になるような…それでいいのかな?。実験小説って、パフォーマティブな意味合いの方が強く見えてしまうし。
って、今斉藤美奈子×高橋源一郎の対談見たら同じ事書いてあった(笑)。
斉藤「私小説のパロディをやるって言って立派な私小説になってるしね。」
高橋「宣言してパロディでやっても私小説になるってことは、私小説の強固さを証明しているんだよね」
『SIGHT 2007winter』より
そうか、やっぱりそういう小説のなのか。僕が尊敬してやまない(?)高橋源一郎と斉藤美奈子がそう言っているんだから間違いない(笑)。
ちなみに、ご本人東浩紀先生は
「あの小説の主題は簡単で、キャラクターっていうのは、Aが書いて、Bが書いて、Aが書いて、Bが書く、そういう連鎖から出来るということ。つまり、あれだと東浩紀って言うキャラクターは、僕が書いたものではないわけ、半分は。そうすると、作者は統御できないから、自律していくと。だから、あれはキャラクターの自律の物語、単に。すごい簡単。それこそがメインのテーマで、だから作者が勝手に物語をばらばらにしてしまうことによって、最初は私小説的名私として始まったものが、むしろキャラクターになっちゃうよ。っていう話なんです。」
『PLANETS vol.4』より
とおっしゃってます。そんなに長々と自作の説明するのもどうかと思うんですけどね。テクスト論的にはこんな作者の語りは無視しちゃっていいのかもしれないけど(笑)。
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>tamakiさん
>私も知りませんが、らき☆すたはオタ要素取り除けば、ゆる〜く読めるマンガだと思うので、あり得る話だと思いますよー。かつてあずまんが大王を、非オタの友達に貸したことあるんですけど、四コマな点あずまんがと似てるなあ、なんて…
『らき☆すた』の直系の先祖みたいに言われますよね、『あずまんが大王』は。『あずまんが』を読んでいる非オタの人はいるけど、『らき☆すた』はいるんでしょうかね…見たことない…。
でも、季節ネタ・学校ネタ多いから『らき☆すた』でも、触れるきっかけがあれば楽しめそうですよね。
コメントありがとうございます。























