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映画『アヒルの子』感想

2011-08-04(Thu)
twitter映画クラスタの人に誘われるがまま渋谷のミニシアターに「アヒルの子」と「家族ケチャップ」という作品を見に行ってきました。
二つともセルフドキュメンタリーという自分(主演)の人の人生をドキュメンタリーにするという手法の作品。日本映画学校と聞いて阿部和重しか連想しないぐらい映画に疎い僕としては「そんな手法があるのかー」だったりもするのですが、とにかく強烈に考えさせられました(二作とも日本映画学校の卒制として作られたものだそうです)。

5歳時に1年間親元から離れてヤマギシ幼年部に一年間預けられた『アヒルの子』の主演兼監督の小野さやかはその経験が「両親に捨てられた」という感覚強く持っていたと語り、二度と捨てられないために「いい子」の演技をして生き続けたとナレーションで語る。続けてそうした態度が自分を苦しめ「死にたい」と思うまでになる。そうした強烈に自意識をベタ塗りした内容が語られ、家族一人ひとりにカメラのまえで小野さん本人が過去受けた傷について問いただすといった内容です。

この映画はカメラという暴力が家族にも当然本人にも牙を向き、特に本人の自意識をまるで切り刻むかのごとくの印象を与えます。実際、その上映のあとに行われたトークショーでもこうしたカメラの暴力性にスポットをあてた質問を司会者の方がされていましたが、自意識については非常に他者は語りづらいので「映画」として何か語ろうとしたときに手法といった話になりがちなのだと思います。

しかし、この映画においては「カメラ」の暴力といった側面にはほとんど注目していないように見えます。何故ならカメラが向けられたときの反応といったものをほとんどカットしてあって、登場する人(監督と長兄の1シーンをのぞき)はカメラがないかの如く振舞ってる。「映画的」にどうこうというよりも、徹底的に「私」と「家族」の問題を描きたかったということなのだと思います。
途中、ヤマギシ幼年部について追求しようとする方向性にも行きましたが(社会性、公共性を獲得しようとする方向)、最終的には回帰し本人と家族の問題に踏みとどまってる。

この映画において「カメラの持つ暴力性」がほとんど自覚的には振り返られないのと同時に実はこの映画中で語られなかったことがもうひとつあるような気がします。「いい子」を演じていたという「さやか」がいつその「いい子」のレールから外れたのか、何故外れようとしたのか。少なくともこの「映画」を撮ろうとしている時点で「いい子」のレールから外れているはずで、そうしたところはほとんど描かれませんでした。

この二つが欠けているということは内省的なことをほとんど描いてないんですよね。「撮影」するということへの内省の無さがますます「カメラ」の暴力性に寄与し、家族も本人も傷つけているように見えました。個人的には見た直後、己の自意識だけを特権的に扱おうとしたこの作品に非常に嫌な印象も持ったのですが、こういったところに起因しているのかなと思いました。ただ、そうした内省を欠くということは、客観性を欠くということでもあると思います。ただ、そうした客観性を欠いてまでも迫りたいことがあった、その歪さがこの作品の凄さでもあるのかな、と今改めて思います。

(この文章は3月3日に書かれたもので、途中まで書いたものが下書きで放置されていたので若干書き足して、というか無理に文章を終わらせて公開したものです)。
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文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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