ええと、このブログの過去ログを漁るとどうやら去年の12月ぐらいからチマチマと見始めていた「攻殻機動隊」。ようやく、最新作「攻殻機動隊 Stand Alone Complex Solid State Society」(ああ長い!しかもどっかスペル間違えてそう)まで見終わる。まさか押井攻殻を見始めた頃から考えるとテレビシリーズまで全話見るとは想像も着かなかった…(つーか押井攻殻って、「S.A.C」を見終わった後から振り返ると思いっきり存在感薄いんですけど…)。
えっ?感想?一言傑作です。これ以上言うことはありません。
正直、最新作の「S.S.S.」はな…タチコマの復活とかファンを喜ばせるためのご都合主義な感もあってどうかな…と思ったのですが。でも、最後の真犯人の意味がわからなくて、何度も繰り返して見る。それでも釈然としないのでネットを漁る(グーグル万歳!)…おーっ、こういうことだったのか!とようやく納得すると同時に、自分の読解力の無さに愕然とする。やはり真相は、これも「Stand Alone Comlex」だったのですね。
「S.S.S.」と押井版『GHOST IN THE SHELL』の比較論は各地のブログで出尽くしてるようなので、ちょっとタチコマ君のゴーストの問題について若干書こうかな、と。
以下『攻殻機動隊Stand Alone Complex』『攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG』の結末に触れています。未見の方はご覧にならないでください。本来なら「未見でもネタバレの気にならない方は自己責任でどうぞ」と書くところなのですが、今回は「未見の方は見ろ!」と書かせていだたきます(笑)。
タチコマに本当にゴーストは生まれたのか?
全体的にシリアスな「攻殻機動隊」だが、その中で泣かせ笑わせてくれるのが「タチコマ」だ。「攻殻S.A.C.」シリーズはある意味「タチコマ」クン(?)の「成長物語」という意味合いもある(かくいう僕もタチコマくんは大好きである)。
では、タチコマは本当に2ndの最終話でプロトが言うとおりゴーストを得たのか。結論から言うと押井版「GHOST IN THE SHELL」で「人形遣い」が言うとおり、「科学は生命の定義が未だに出来ていない」から厳密に判断するのは無理である。では、逆にロボットの定義はどうか?ここでかの有名なアシオフの「ロボット三原則」を引っ張り出してくることにする。
* 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
* 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
* 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
(日本語訳は アイザック・アシモフ 小尾芙佐訳 昭和58年「われはロボット」早川書房 P5 より引用)←wikipediaからコピペです。すみません。
これを見ると第1期や第2期でのタチコマの自己犠牲の精神とか呼んでいたものは実はロボット三原則のそのまんまなんですね…。
2ndで少佐の命令を無視したのも「あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。」という補足条項を忠実に守っただけなんです。つまりロボットにとって自己保存とは第3番目に位置付けられるものであり、第1条、第2条を守るためならタチコマの自己犠牲はロボットとして当然の行動である、という結論が出てしまうわけです。
が、それでは面白くない!(←面白い、とかそういう問題か!?)無理やり、理論誘導はしてみよう(おいおい)。
タチコマは作中で幾度となく呼ばれている通り思考戦車である。本編中ではタチコマは少佐やバトーの命令に従い人間に危害を加えている。つまり、タチコマはロボット三原則の第一条がプログラムされているかがまず怪しいのだ。参った、参った。
では、こう考えてみてはどうだろう。三原則の「人間」を「仲間」と書き換えられてプログラムされているとしたら?そしたら、犯人に対する発砲も、1stや2ndの自己犠牲もうまくいくではないか!
そうなると、ロボットは「仲間」という認識、もっと言えば「愛」という認識を持てるのか?よくバトーは「これは機械への愛」なのだ、と言っている。その結果、1stや2ndのラストでバトーは「機械からの愛」で命拾いしている。つまり、タチコマは「愛」を受ける事によって、「愛」という概念を認識した、という推論が成り立つ(かも)。これを持ってタチコマは「ゴースト」を得たと言ってもいいのではないだろうか?*1
タチコマの後継のウチコマにゴーストが芽生えないのは、バトーの「機械への愛」が足らないんだよ!ウチコマを見るときにタチコマと比べているバトーがいる(恋人と一緒にいるのに初恋のあの子の事を考えてたらきっと振られます)。これではウチコマは成長しまい。
まあ、強引な理論誘導の塊ですがこれもタチコマへの愛の深さ故です。お許しを
*1…ある動物が人間に近い行為をとったから、この動物は"高等"だ、という考え方は人間の傲慢である、という話はよくある話だ。なので、タチコマが「人間」の「愛」に近い行動を取ったところで、「ゴースト」を得たと判断するのは滅茶苦茶だ。
でも「攻殻」を見ていると「ゴースト」の定義は「人間だけ」に備わるものなのか、「すべての生命」に備わるものなのかはよくわからない(『イノセンス』を見る限り押井は後者だと考えられるが)。従って、ここで呼ばれている「ゴースト」は「人間だけ」に備わるもの、と定義づければ、タチコマはゴーストを得たという結論は成り立つかと…。
えっ?感想?一言傑作です。これ以上言うことはありません。
正直、最新作の「S.S.S.」はな…タチコマの復活とかファンを喜ばせるためのご都合主義な感もあってどうかな…と思ったのですが。でも、最後の真犯人の意味がわからなくて、何度も繰り返して見る。それでも釈然としないのでネットを漁る(グーグル万歳!)…おーっ、こういうことだったのか!とようやく納得すると同時に、自分の読解力の無さに愕然とする。やはり真相は、これも「Stand Alone Comlex」だったのですね。
「S.S.S.」と押井版『GHOST IN THE SHELL』の比較論は各地のブログで出尽くしてるようなので、ちょっとタチコマ君のゴーストの問題について若干書こうかな、と。
以下『攻殻機動隊Stand Alone Complex』『攻殻機動隊S.A.C. 2nd GIG』の結末に触れています。未見の方はご覧にならないでください。本来なら「未見でもネタバレの気にならない方は自己責任でどうぞ」と書くところなのですが、今回は「未見の方は見ろ!」と書かせていだたきます(笑)。
タチコマに本当にゴーストは生まれたのか?
全体的にシリアスな「攻殻機動隊」だが、その中で泣かせ笑わせてくれるのが「タチコマ」だ。「攻殻S.A.C.」シリーズはある意味「タチコマ」クン(?)の「成長物語」という意味合いもある(かくいう僕もタチコマくんは大好きである)。
では、タチコマは本当に2ndの最終話でプロトが言うとおりゴーストを得たのか。結論から言うと押井版「GHOST IN THE SHELL」で「人形遣い」が言うとおり、「科学は生命の定義が未だに出来ていない」から厳密に判断するのは無理である。では、逆にロボットの定義はどうか?ここでかの有名なアシオフの「ロボット三原則」を引っ張り出してくることにする。
* 第一条 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
* 第二条 ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。
* 第三条 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。
(日本語訳は アイザック・アシモフ 小尾芙佐訳 昭和58年「われはロボット」早川書房 P5 より引用)←wikipediaからコピペです。すみません。
これを見ると第1期や第2期でのタチコマの自己犠牲の精神とか呼んでいたものは実はロボット三原則のそのまんまなんですね…。
2ndで少佐の命令を無視したのも「あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。」という補足条項を忠実に守っただけなんです。つまりロボットにとって自己保存とは第3番目に位置付けられるものであり、第1条、第2条を守るためならタチコマの自己犠牲はロボットとして当然の行動である、という結論が出てしまうわけです。
が、それでは面白くない!(←面白い、とかそういう問題か!?)無理やり、理論誘導はしてみよう(おいおい)。
タチコマは作中で幾度となく呼ばれている通り思考戦車である。本編中ではタチコマは少佐やバトーの命令に従い人間に危害を加えている。つまり、タチコマはロボット三原則の第一条がプログラムされているかがまず怪しいのだ。参った、参った。
では、こう考えてみてはどうだろう。三原則の「人間」を「仲間」と書き換えられてプログラムされているとしたら?そしたら、犯人に対する発砲も、1stや2ndの自己犠牲もうまくいくではないか!
そうなると、ロボットは「仲間」という認識、もっと言えば「愛」という認識を持てるのか?よくバトーは「これは機械への愛」なのだ、と言っている。その結果、1stや2ndのラストでバトーは「機械からの愛」で命拾いしている。つまり、タチコマは「愛」を受ける事によって、「愛」という概念を認識した、という推論が成り立つ(かも)。これを持ってタチコマは「ゴースト」を得たと言ってもいいのではないだろうか?*1
タチコマの後継のウチコマにゴーストが芽生えないのは、バトーの「機械への愛」が足らないんだよ!ウチコマを見るときにタチコマと比べているバトーがいる(恋人と一緒にいるのに初恋のあの子の事を考えてたらきっと振られます)。これではウチコマは成長しまい。
まあ、強引な理論誘導の塊ですがこれもタチコマへの愛の深さ故です。お許しを
*1…ある動物が人間に近い行為をとったから、この動物は"高等"だ、という考え方は人間の傲慢である、という話はよくある話だ。なので、タチコマが「人間」の「愛」に近い行動を取ったところで、「ゴースト」を得たと判断するのは滅茶苦茶だ。
でも「攻殻」を見ていると「ゴースト」の定義は「人間だけ」に備わるものなのか、「すべての生命」に備わるものなのかはよくわからない(『イノセンス』を見る限り押井は後者だと考えられるが)。従って、ここで呼ばれている「ゴースト」は「人間だけ」に備わるもの、と定義づければ、タチコマはゴーストを得たという結論は成り立つかと…。







