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チョココロネは太い方からしか食べません

2007-04-19(Thu)
そろそろ大学生活ネタも終わって、書評でも書いていこうかと…。

というか、この本凄いですよ、ええ、結構前に紹介した本ですけど読んでみたら、実に秀逸なライトノベル論です。

ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2 ゲーム的リアリズムの誕生~動物化するポストモダン2
東 浩紀 (2007/03/16)
講談社

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ようやくライトノベルの立ち位置がつかめた気がする。秀逸なオタク文化論

東浩紀と言えば、前作『動物化するポストモダン』なわけですが、それの続編です。
東は従来の小説を「自然主義リアリズム」と呼び、そしてそれに対して「マンガ・アニメ的リアリズム」という概念を提唱しています(正確には大塚がもと)。つまり、文学は現実の写生してきた、それに対し、ライトノベルは虚構を写生する、と述べています。

その際たる例が、『涼宮ハルヒの憂鬱』で長門有希の紹介の説明の最後に「早い話が神秘的な無表情系って奴」という描写の説明が入るんですね。これをデータベースを共有している人ならもうキャラがわかってしまう(逆にデータベースを共有していない人には意味不明)。

それに基づいて、東浩紀はZ軸という考え方を提唱しています。まあ、説明しずらいのですが、例えばある座標軸(ジャンルとか)で作品を平面上にマッピングした場合、空間的に上に来るのが"従来の文学"、下に来るのがライトノベルという考え方です。だから、ラノベというのはジャンル小説ではない、ということなんです。ちょっとわかりにくいですが、いわば東はラノベを"従来の文学"の劣化コピーとしてではなく、まったく"従来の文学"と対等な作品群として捉えようとしているわけです。そして、これをひっくるめて文学として研究すべきだということになるわけです。

東浩紀はライトノベルを「キャラクターのデータベースを環境として書かれる小説」と定義しています。実に秀逸な定義だと思います。これに基づいて、東は環境分析という名前で第二章で作品分析を行っています。

ライトノベル(というかオタク作品)の一つの特徴として、キャラクターの自律化というのがあります。物語の中からキャラクターは抜けられないはずなのに、キャラクターだけが飛び出して別の物語に出てくる。この際たる例が、同人誌や「学園エヴァ」なわけです。
そういったところから、東はメタ物語化というのを提唱しています。純文学においては視点人物というのがいたわけです。でも、それがゲームの誕生(それも視点からの映像が出る美少女ゲーム)によって視点人物にプレイヤーがなった、と東は述べているんですね。
例えば、『エヴァ』においてはシンジという人物がいて、彼に感情移入する読み方があるわけです。これは、一般の文学的な読み方です(まあ、そういう読み方しない人もいますが、こういう人が後にオタクになっていくわけです)。
ところが、『ハルヒ』においてはキョンという視点人物がいますが、彼に感情移入して読む人はほとんどいない。『らき☆すた』に至っては視点人物すらいない(笑)。つまり、視点人物はプレイヤー、メタ物語的な構造になっているわけです。

以上抜き出したのは、本書の一部の理論です。つまり、オタクたちは「現実」よりも「虚構」に「リアルさ」を感じている、というのが一つの傾向としてあげられるわけです。ある意味、文学の大きな変革期になる、と言っても過言では無いと思いますし、そうなったときにこの本はターニングポイントになると思います。
柄谷コウジンは近代以前の文学を「不透明」、近代以降の文学を「透明」と称しています。それに倣って、東が提唱したのは「半透明」。だからといって、彼らの「虚構」が現実を描いてないわけではない、半透明になっただけだ、ということなんです。それを現実との接点を見つけるために、環境分析的な読解が必要だ、と東は提唱しているわけです。

こんなところが主に書いてあることなんですが、これ凄いと思いますよ。こんなに納得したライトノベル論は初めてでした。『涼宮ハルヒの憂鬱』を読んで何で自分が怒ったか、もよく理解できる。確かに、従来の文学の文脈で見たら『ハルヒ』はダメダメですからね。
ただなあ、僕なんかはキャラクターを自律的に見る、なんていうことにはまだまだ抵抗があります。物語があってのキャラクターじゃないか、って僕なんかは思うんですが…あっ、ひょっとして僕は古い人間ですか、そうですか。

『動物化するポストモダン』を読んだ後に『涼宮ハルヒの憂鬱』を見ると「データベース」化などがよく理解出来ましたが、『ゲーム的リアリズムの誕生』を読んだ後に、ニコニコ動画で『らき☆すた』を見ると、「メタ物語」というのがよく理解出来ます(というか、誰か環境分析やりそう・笑)。
「ケロロ軍曹」をUFOキャッチャーで吊り上げるって…、さすがにどうよ…しかもそういう小ネタにしっかりくいついてくるオタクたち(byニコニコ動画のコメント)を見て「しっかりデータベース共有しているなぁ」と思ったり。
つーか、メタ物語的すぎだよ、『らき☆すた』。つーか、キャラクターが自律して動いていて、物語らしきものへ何処へ?って感じだし。
東浩紀は本当にこんなものに日本文学の未来を託そうとしているのか…?東浩紀は少女マンガ*1でも読んで頭冷やしたほうがいいと思う…。

*1…小林信彦は「かつて文学の切り札だった「物語性」は今や少女マンガに逃避してしまったようだ」という名言を残してます。「のだめ」と柳美里を比べたら、たしかにそうだな、と思います。
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ラノベ文学論、賛成に一票

ああ。生意気を言うようですが、なんだか、また先を越された感がありますねぇ。
そういう類のこと、書きたかったんですけどねぇ。
まぁ、(読んでませんけど)その本みたいに上手く書く自信はありませんけどね。
しかし、ライトノベルをちゃんとした文学として捉える考え方というのは、これからも考えていきたいと思っているので、是非購入して参考にしたいと思います!
いつもKeiさんの良質なレビューに感謝ですm(_ _)m

コメントありがとうございます。

>そういう類のこと、書きたかったんですけどねぇ。

是非とも書いてください。結構、ラノベ論ってあまりないですよね~、そういったことを本格的に論じる人は欲しいですよね。


>いつもKeiさんの良質なレビューに感謝ですm(_ _)m

ありがとうございます。結構、毎回テキトーに書いているのですが(笑)

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