さて、休みに突入した事もありまして、久々のレビューいきますか。
ゲーム的リアリズムへのアンチテーゼ!?人生は選択せざる終えないんだ!!(多分)
文庫版はAmazonではまだ書影が出ないので、↑単行本版です。というわけで、新潮文庫で舞城が読める時代になりました。佐藤友哉も三島賞を取ったし、自分のところでは金を使わずにメフィスト勢(←講談社)から新時代文学を作りたい新潮社の思惑が見えます。
それはともかく、舞城『みんな元気。』。文芸誌に書くようになってから、ますます純文学色が強くなっている気はしますが、舞城の凄いところはストレートにメッセージをぶつけてくるところ。
帯びの文句は「人生は愛と選択に満ちている。」ですよ。それで、好きな彼氏とその子供が一つの世界に出てきて、それを殺すことで選択する。どこまであざといんだ、とか思わないでもないですが…。
余りにも露骨なメタファーを文学的に評価するかしないかは微妙ですが、少なくとも僕はいいと思います。
ストレートに物事なんて大人になればなるほど言えませんからね…。そういうストレートに物事を言う、ということも大事だと思います。だからこそ、これぐらい露骨なメタファーもありかと…。
この間、「道化師」として生きていけ、とか言っていた奴の科白とは思えませんが(笑)。だから小さなコミュニティで生きていけ、と書いたんですが。
でも、"選択する"ということが"みんな元気。"と繋がるのかはいささか疑問ですが…。
感想はここまでにして、東浩紀のゲーム的リアリズムの話。この作品はゲーム的リアリズムをベースにしていると思います。この作品自体にはマルチエンディングを用意されている。でも、ゲームとは違って実際の人生は選択肢は一つしか選べない。ゲームなら選択肢まで戻ってすべてのエンディングをプレーすることが可能だ。でも、現実はそうではない。
という、"ゲーム的リアリズム"へのアンチテーゼが入っていると思います。まぁ、ゲーム的リアリズムに"リアルさ"を感じているのは舞城本人もでしょうが、だからこそ、こういった作品をものにできる。
多分、ゲーム的リアリズムがわからないオジサマ世代(ex.I原S太郎)あたりは「なんだこの非現実的な作品は!」と怒るのでは無いでしょうか?これが僕らの世代の"現実"感なわけですが(笑)。
追記
昨日、休講になった後に、サークルの先輩とラーメン(博多ラーメン)を食べにいって思った事。店内に貼ってあったポスターに「ますます本場の味に近づいたとんこつらーめん」みたいな記述があって内心「この店はアホか」と思ったのはここだけの話。
だって、「ますます近づいた」という表現は自らコピーです、と宣伝しているようなものですからね…。福岡人的に「そんなキャッチコピーあるかよ」とか思うわけです。福岡じゃ絶対ありえないキャッチコピーですから。
攻殻機動隊で「オリジナルを改編するのはオリジナルだけ、コピーは限りなくオリジナルに近づこうとする」とか言ってましたが、まさにこれですよね。
肝心の本場の方は独自の味を出そうとしようとして、辛くしてみたり(←「一蘭」嫌い)、黒くしてみたりするわけです(テレビでやっていたが「新風」とかいうラーメン屋がスープが黒い博多ラーメンを作ってるらしい)。
つまり、そのコピーが目指そうとするオリジナルは何なのだ、っていう話なわけで…。「オリジナルの不在がコピーを生み出す」という攻殻機動隊の話に無理やりつなげてみたかっただけです。微妙に違う気はしますが…。
要は「オリジナル/コピー」が「主体/客体」の二項対立としては成立しない、というわけですよ、はい。(え?やや牽強付会?まあ気にしない気にしない)。
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ゲーム的リアリズムへのアンチテーゼ!?人生は選択せざる終えないんだ!!(多分)
文庫版はAmazonではまだ書影が出ないので、↑単行本版です。というわけで、新潮文庫で舞城が読める時代になりました。佐藤友哉も三島賞を取ったし、自分のところでは金を使わずにメフィスト勢(←講談社)から新時代文学を作りたい新潮社の思惑が見えます。
それはともかく、舞城『みんな元気。』。文芸誌に書くようになってから、ますます純文学色が強くなっている気はしますが、舞城の凄いところはストレートにメッセージをぶつけてくるところ。
帯びの文句は「人生は愛と選択に満ちている。」ですよ。それで、好きな彼氏とその子供が一つの世界に出てきて、それを殺すことで選択する。どこまであざといんだ、とか思わないでもないですが…。
余りにも露骨なメタファーを文学的に評価するかしないかは微妙ですが、少なくとも僕はいいと思います。
ストレートに物事なんて大人になればなるほど言えませんからね…。そういうストレートに物事を言う、ということも大事だと思います。だからこそ、これぐらい露骨なメタファーもありかと…。
この間、「道化師」として生きていけ、とか言っていた奴の科白とは思えませんが(笑)。だから小さなコミュニティで生きていけ、と書いたんですが。
でも、"選択する"ということが"みんな元気。"と繋がるのかはいささか疑問ですが…。
感想はここまでにして、東浩紀のゲーム的リアリズムの話。この作品はゲーム的リアリズムをベースにしていると思います。この作品自体にはマルチエンディングを用意されている。でも、ゲームとは違って実際の人生は選択肢は一つしか選べない。ゲームなら選択肢まで戻ってすべてのエンディングをプレーすることが可能だ。でも、現実はそうではない。
という、"ゲーム的リアリズム"へのアンチテーゼが入っていると思います。まぁ、ゲーム的リアリズムに"リアルさ"を感じているのは舞城本人もでしょうが、だからこそ、こういった作品をものにできる。
多分、ゲーム的リアリズムがわからないオジサマ世代(ex.I原S太郎)あたりは「なんだこの非現実的な作品は!」と怒るのでは無いでしょうか?これが僕らの世代の"現実"感なわけですが(笑)。
追記
昨日、休講になった後に、サークルの先輩とラーメン(博多ラーメン)を食べにいって思った事。店内に貼ってあったポスターに「ますます本場の味に近づいたとんこつらーめん」みたいな記述があって内心「この店はアホか」と思ったのはここだけの話。
だって、「ますます近づいた」という表現は自らコピーです、と宣伝しているようなものですからね…。福岡人的に「そんなキャッチコピーあるかよ」とか思うわけです。福岡じゃ絶対ありえないキャッチコピーですから。
攻殻機動隊で「オリジナルを改編するのはオリジナルだけ、コピーは限りなくオリジナルに近づこうとする」とか言ってましたが、まさにこれですよね。
肝心の本場の方は独自の味を出そうとしようとして、辛くしてみたり(←「一蘭」嫌い)、黒くしてみたりするわけです(テレビでやっていたが「新風」とかいうラーメン屋がスープが黒い博多ラーメンを作ってるらしい)。
つまり、そのコピーが目指そうとするオリジナルは何なのだ、っていう話なわけで…。「オリジナルの不在がコピーを生み出す」という攻殻機動隊の話に無理やりつなげてみたかっただけです。微妙に違う気はしますが…。
要は「オリジナル/コピー」が「主体/客体」の二項対立としては成立しない、というわけですよ、はい。(え?やや牽強付会?まあ気にしない気にしない)。








