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ミステリ評論?

2007-06-06(Wed)
ようやくミステリ研の原稿が完成する。あーあ、疲れた。

「『新本格』はライトノベル的だ!」
http://ikeda10.hp.infoseek.co.jp/report/shinhonkaku.pdf

かなりケンカを売ったタイトルですが気にしない気にしない。要旨は東の言うデータベース理論が新本格にも適用できるのないか?というところから、佐藤友哉や西尾維新のところまで導くと言う無茶なのか当たり前なのかどっちかよくわからないけど、やってみたというところです。

このタイトル自体は全然正確な表現ではなくて、作中にも書いた通り「『新本格』はポストモダン的だ」とでもすべきなんでしょうが、ちょっと人目をひくためにこんなタイトルにしてみました。

というか、自分のホームページにpdfファイルをアップしようとしたらfc2の仕様で出来なかった(笑)。fc2規制厳しすぎ…。そう言えば、fc2って音楽もアップできなかったんだよね…。
仕方ないので昔のホームページのスペースに上げました。infoseek万歳!インフォシークも広告がもう少し小さかったら結構使えるんですけどね…。
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どうも、双城です。
「『新本格』はライトノベル的だ!」、読ませていただきました。
掲示板に書こうかこちらのブログにしようか、それともメールにした方が良いのか考えましたが、結局、一番気軽なブログにさせていただきました。心配なのは、すでに最新の記事じゃなくなってるこの記事につけたコメントに気づいていただけるのかどうかということ。
ではまぁ、心配はひとまず措いて、私の意見です。

この評論の内容については、とりたてて反対意見は浮かびませんでした。
ただ、東浩紀の『動物化するポストモダン』(以下Keiさんに倣って『動ポ』と省略)と、『ゲーム的リアリズムの誕生――動物化するポストモダン2』を読んでいて、常々疑問に思い続けていたことが、本評論においてもそのまま使われていたので、その観点からなら、異議が無いわけではありません。
すなわち、無駄に感じる造語。
Keiさんの評論内で引き継いで使われていたのは、「データベース」だけだったと思いますが、他にもうひとつ、「環境分析的読解」という用語も、わざわざ改めて造語する必要を感じません。
これらの概念は、既にそれぞれ、「コード」という用語、「インターテクステュアリティ」という用語として、使用されたことのある既存概念であると、言えると思うからです。
東は、たしか『動ポ』内で「データベース」と「コード」を区別して使っていたと思うので、これは私の思い違いというか考え足らずのための誤読かもしれませんが、しかし納得がいかない。
特に、Keiさんの本評論において、この区別は結構重要なのではないかと思います。
もし、「データベース」と「コード」が同じ意味で、どちらの語を使っても問題ないのだとしたら、本評論は、「『新本格』は新本格的だ!」とでも改題せねばならなくなるのではないかとさえ思われます。
つまり新本格というのは、Keiさんも本評論で述べられているように、Keiさん曰くの「ミステリデータベース」を参照して書かれた作品群である、わけですよね。
これを私風に言い換えるなら、「新本格とはミステリコードを参照して書かれた作品群である」となり、この認識は、今までの新本格に対する認識と、なんら代わるところのない認識なのではないかと思います。
実際、2003年に、島田荘司によって「コード多用」の本格があることや、綾辻、有栖川などの「新世代コード前提主義者」たちの存在が指摘されたり、「データベースの共有」とよく似てはいるが違う意味の「コード了解を通過」など、さまざまな別の用語による示唆がなされています(「新世紀の新本格」『21世紀本格宣言』(島田荘司、講談社))。
「新世代コード前提主義者」というのは、Keiさん曰くの「『ミステリデータベース』を共有」している作家のことを指します。
他にも、「ゲームとしての本格探偵小説」や「ポスト・コード」など、『動ポ』で示されたものと類似した、示唆的な言葉がいくつも見受けられます。
つまり、結局何が言いたいのかと言いますと、少なくとも「『新本格』はライトノベル的ではない」のではないか、ということです。
この場合の「新本格」とは、綾辻、有栖川、法月などの新本格第一世代の手になる作品群のことを意味します。
Keiさん曰くの「ファウスト組」はこの範疇に含まれません。
ですから、本評論のタイトルは、「『ファウスト組』はライトノベル的である!」とすべきだと思うんですね。
つまり「新本格」は、従来の「コード」を用いているのであって、それは「データベース」ではないのではないか、ということを言いたいのです。
その違いと言うのは、「コード」とは絶対にそこから参照し、遵守しなければならないものではないと思います。「コード」というのは、飽く迄、それを参考にすることによって、新本格特有の「論理のアクロバット」を強化する、いわば外的な伏線としての機能を有している。
では、「データベース」には、そのような性質があるでしょうか。
ない、と言うべきなのではないかと私は思います。
「データベース」とは、それを用いているというその事実だけでエンターテインメント性を発揮し、そしてその「エンターテインメント性」のみで完結してしまうものなのではないでしょうか。
つまり――これは島田荘司も上記のエッセイで指摘していることですが――論理性が無い。
「データベース」の参照によって作られるモノでは、「論理のアクロバット」をなすことができない。
Keiさんは、「新本格」と「ファウスト組」の断絶を、参照する「データベース」の変化(「ミステリデータベース」から「オタクデータベース」へ)で説明していましたが、私はこれを、「コード」から「データベース」への変化として修正すべきではないかと考えます。
ただ、私に分からないのは、「ファウスト組」が参照しているデータベースの種類です。Keiさんは、本評論内では、そのことについて詳しくかかれていなかったと思いますが、Keiさんがつまずきなくファウスト組の参照しているデータベースを「オタクデータベース」である、と言っている点が、私には理解できませんでした。
私の考えでは、ファウスト組は「ミステリコード」から「ミステリデータベース」へと変化した、という見方でも通るような気がするのですが……。
いい加減長くなりましたし、この点は今の私が考えても分かりそうに無いので、今回はこの辺で失礼するとします。
長文を失礼しましたm(_ _)m

新スレ(笑)で回答を書かせていただきました。
そちらを参照ください。

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Kei

Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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