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嗤う日本のナショナリズム

2007-06-07(Thu)
最近、僕が興味ある現象はネットのナショナリズム化なんですよね…。
それで割合そのあたりの定評があるかな…ということで読んでみました。

嗤う日本の「ナショナリズム」 嗤う日本の「ナショナリズム」
北田 暁大 (2005/02)
日本放送出版協会

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読んでみると、意外なほどつまらない(笑)。というより、リアリティがないんですよね…。問題提起は2chで起きている現象なのですが、作品中で延々と続く1980年代のサブカルの話がついていけない(笑)。
東浩紀がこの本についてブログで「この本は1980年代文化論だ」と主張していましたが、僕達の世代から見ると全くその通り…。いや、今の2chに巣食うアイロニカル性にたどり着くための歴史的経緯を示したいというのは分かるんですけどね…少しは大学生の年代の読者の事を考えてくれよ…。
宮台とかも同様の印象を受けるんですが、「歴史的経緯が大事だ」とか言う根拠はわかるんですが、自分達の若い頃のサブカルをみんなも知っているものとしてバンバン出して平気な顔をしているのはやめていただきたい(笑)。
って、北田って意外と若いんですね…。1971年生まれは学者としてはかなり若いですよね。というか、あとがきに書いてあった「アニメイト」に笑ってしまった。北田アキヒロって意外にオタクじゃない(宮台も大澤マサチもオタク作品に詳しいような…、社会学者恐るべし・笑)?

それはともかく内容。
曰く、80年代にテレビはアイロニカルな「嗤い」というものを確立した。アイロニーの対概念は糸井重里的なユーモア。つまり、「8時だよ!全員集合」的なプロがお客さんに見せる番組ではなく、素人などを出してテレビに視聴者が突っ込む、つまりアイロニカルな"嗤い"が確立した。それは自らをアイロニカルな位置に置くことになる。ある意味、ベタへのコミットから逃れる事の出来るメタ的位置を獲得することになったわけです。
かれらはアイロニカルであるがゆえに、「テレビの映ったものはすべて番組になる」という命題を信じて疑わない。テレビのフレームワークに収まる事をよしとしない存在(千葉すず)を異端視し、感動の全体主義を貫徹しようとする。と述べています。メディアの演出に対する高度なリテラシーを持つが故に、お約束名形式を嘲笑するような態度、これを北田は「純粋テレビ的アイロニー」と呼んでいます。

これが2chのアイロニーのベースにある、と北田はいいます。当然、テレビから生まれたこういったアイロニカルな文化で育った人たちが今の2chねらーですから、こういうった資質を持っているわけですね。それはニコニコ動画なんかは非常に象徴的だと思います。動画にツッコミをいれるという形式は、コメントを投稿する僕たちはメタ的な立場にいるわけです。
その結果、どういう事が起こったか。このアイロニカルはマスメディア一般へも向けられることになったという北田は言っています。今の2chの朝日、TBSバッシングの元はここに由来する、と。
今の若者を、何かが伝えたい聞きたいからコミュニケーションしているのではない。コミュニケーションのためにコミュニケーションをしている、と北田はいいます。これは多くの人が指摘していることだとは思いますが…。例をあげるとするなら、ニコニコ動画で弾幕と呼ばれるものでしょうか。まさに複数同じ事を書きこむという無意味な!文字列なわけですから(笑)。
一万年と二千年前から愛してるううううううううううううう

北田は「ねらーにとってマスコミはコミュニケーションのためのツールに過ぎない」と言っています。例えば、朝日がまともなことを言っていたとしても、おそらく2chでは「朝日必死だなww」というコミュニケーションがされる。純化された形式主義者という言葉を北田は使っています。例えば、「きしめええええええええええええええええええええん」と書き込むことも所詮は形式主義に則った無意味な行為というわけです(ま、「僕たちは終わりなき日常」を生き続けなければらないので、そのコミュニケーションを必要としているわけですが・笑)。
その結果、「反思想としての思想」としてナショナリズムに辿り着く、と北田は述べていますが、正直これには個人的には納得できない。おそらく戦後民主主義へのアイロニカル的な立場として、ナショナリズムを選択したが、ナショナリズムへも(家族会へのバッシングなど)アイロニカル的立場をとる、と北田は主張していますが、僕はどうかな…と思います。だって、ナショナリズムにコミットしているだろ、っていう奴僕の回りにも何人かいますからね…。本当にナショナリズムへもアイロニカル的立場を持ちえてないと思います。ただ、いわゆるノンポリ(?)はナショナリズムへのアイロニカル立場を持ちえている…とも思えないしな…彼らはおそらく「嗤わないですからね」産経も朝日も(笑)。
それなら、北田が援用している宮台の「『終わりなき日常を生き』ていたはずの若者の少なくない数が、その無意味性に耐え切らず、日常を超越する過剰な「意味」へのショートサーキットをおこすようになったのではないか」という分析の方が説得力ありますね。まさにセカイ系ですから(笑)。

というのが、本書の2ch関連で語られていたことをまとめたものです。先ほどもいいましが、本書は1980年代文化論なので(笑)、ほとんど終盤部分のみの要約です。
正直、こういう評論関係のレビューは紹介すると言うよりも僕の中で理論を整理するという意味合いの方が強いので(笑)、割りと要約がメインになってしまいます。
しかし、どうなんでしょう…。アイロニカルに関する分析は見事だと思います。実際、僕も結構アイロニカルなポジションをとっていたりしますね(笑)。批判ばかりして、自分がコミットする思想がない、というよりアイロニカルに批判することにコミットしているの方が正しいか。どうも、高校の時の某友人の顔が浮かんできたりもするのですが…。自分のコミットしている!と宣言する思想は誰からも批判されないように小難しいこと(オランダだかフランスだかの哲学者)を言って、実際はアイロニカルにコミットしているという…ああ、名指しで批判したくなってきたからこの辺でやめます(笑)。
ただなぁ、ナショナリズムに関してはいまひとつ…。セカイ系との関係とかもよくわからなかったですね。

しかし、この本で一番面白いのは中のタイトルが書いてあるところにある写真。本当に"嗤"えます(笑)。本屋で見かけたら是非ともお手にとってご覧くださいませ。7ページです。本当は是非とも写真を載せたいところですが、著作権とか肖像権とか色々なものにひっかかりそうなのでやめときます(笑)。

追記
しかし、田中康夫『なんとなく、クリスタル』の再評価って最近の流行り何ですかね…。斉藤美奈子も同じような事を言っていたし、この本でも割合評価する意味合いで使ってあるんですよね…。ようやく、日本の知識人が江藤淳の水準においついたってことなのかな(笑)。
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