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日常生活&双城さんへの返信2

2007-06-14(Thu)
うへぇ…、どうしてこうも休み明けの授業ってだるいのかな…。十日間の休みって、大学生的には明けた後がつらい。

しかも、先月から携帯のプランを変えたら、携帯料金が8000円なんて出てて、あちゃーと思って確かに一時間ぐらいヨーカドーの前でどっかの誰かと喋っていたなぁ、と思ったりもしたけど、よく見ると携帯代があがった原因の一つはパケ代が2000円ぐらいあがっていて、ソフトバンクぬっ殺してやる!とか思ったり(以前はボーダフォンのパケット定額プラン、先月からはソフトバンクのパケット定額プラン)。
ボーダフォン時代から地味にパケット定額代があがっている、のがどう考えても、納得いかねぇ!

って、地味に関東甲信越地方梅雨入りですか。
あぁ、憂鬱な季節が来ましたね…。どっかのアニメの主人公のオタクではないので、深夜アニメの予約録画なんて全く関係ない生活を送っているために、非常に雨は憂鬱です。洗濯物をどうしろと…、誰か乾燥機と食器洗い機を僕に買ってください。こうやって、ますますひきこもりが増えるんだよな…

>双城さん
そんなわけで、返事が遅くなって申し訳ありません。なんか、今週は想定外にいろいろとやる事が舞い込みまして…。まぁ、実生活の関係で単にだるかったというのもあるんですが(笑)。

ええと、先に笠井&東対談の記事で触れましたが、思いっきり空回りした返答になりそうです。基本的に、双城さんの反論を読んでも前回の返信と特に意見が変わりませんでした。つまり、別次元の別概念(ただし、結果的に同一の現象をしめしてしまうかもしれない)ということです。前回、曖昧な書き方をしてしまいましたが、まったくの同一概念だとは考えていません。ただし、結果的に同じ現象をさしてしまうことはありえるとは思います。

○コードについて
>つまり「コード(ミステリコード)」とは、≪雰囲気作りの材料且つ伏線にも成り得る素材群≫のことを意味する。

その点に異議があるわけではありません。しかし、それは作品の中でどのようにコードが機能しているか、という分析だと思います。
しかし、拙稿で一つの問題にしたのは(と言っても明文化はしていませんが、拙稿が何となく社会学的なポジションに位置している事を理解した上で、という滅茶苦茶な前提に立ちますが)、「何故、非現実的な『・・・』を導入したのか?そして、社会派リアリズムにのっとった社会派が隆盛だった当時において読者たちは何故それを受容したか?」というところです。「・・・」とは例を上げるなら「名探偵」であり「孤島」であり、拙稿が言う「データベースからの抽出されたもの」です(本当は「コード」と言っても差し支えないと思ったのですが、双城さんが「コード」の使用法を限定しているので使わないことにします)。
おそらく、双城さんに言わせたら「『・・・』が論理の展開上、必要だから」ということになると思いますが、それはあくまでも作品において"必要"であったから、であって「何故、この時期に新本格が書かれ、受容されていったか?」という問いの答えにならないと思います。

その解答として、「近代/ポストモダン」と「『大きな物語』の凋落」による「データベース化」なりを拙稿においても前回においても書いたので繰り返しません。

作品分析という点でみれば双城さんの意見は正しいと思います。
しかし、僕たちがどのようにミステリを受容したか、を傍証としてあげておきます。双城さんは数年前(?)ぐらいでミステリのコミュニティで交わされていた「キャラ萌え」がどのように言われていたか覚えていますか?
「推理部分よりも登場人物に熱を上げること」に対して、ネガティブな意味で使われていた思います。これはライトノベル的な受容のされ方である事は薄々推測されます。しかし、それを批判している人たちも「密室」「孤島」などという非現実的な「・・・」を何の違和感もなく受け入れ、逆にそういった「・・・」が出てくる事さえ楽しんでいなかったか、と問いたいわけです。

まぁ、さすがに↑は極論ですが(笑)。「新本格」ムーブメントにそういう一面があったのは否定できないと思います(最も本格原理主義者は否定し続けるでしょうが…)。

あと一つ疑問ですが、双城さんも「コード」の利用の一つの目的を"雰囲気づくり"と言っていますが、これは双城さんの定義における「データベース」と重なるのではないでしょうか?
"密室"という「・・・」を使うことによって、エンターテインメントと直結しないのか?ということです。
例えば、双城さんがあげていました清涼院流水の作品における「密室」「殺人」は「エンターテインメント」に直結してないのでしょうか?清涼院流水作品において、論理のアクロバット(ここでいうコンテクストでいう論理のアクロバットはないですが、清涼院作品においては論理はとんでもない意味でアクロバットに展開します・笑)は存在しない、といった時点で双城さんの定義する「コード」は双城さんの定義する「コード」でなくなる、つまり単なる「・・・」になるのではないでしょうか?
従って、清涼院作品における"双城さんの言う"「コード」の"双城さんの言う"「データベース的利用」は矛盾ではないでしょうか?

○データベースについて
>では「データベース(オタクデータベース)」の特徴とは何か。
>それを参照して作るものというのは、「萌え」などの、その引用単体で作動する「エンターテインメント」なのではないかと思います。

それは大塚英志のいう「萌え」の定義では…?
東浩紀は大塚を援用して、"動物化"というのをあげたのだと思いますが…、そのあたりは色々と洞察が必要だと考えています(色々とこのあたりは考えがまとまっていないので、すみません)。
ただ、データベース化がエンターテインメントと直結するかは否定的です。東浩紀は「萌え」のようにエンターテインメントと直結することもありうるというニュアンスで使っていると思います(これも僕は個人的に否定的なのですが・笑)。
何故なら、「大きな物語」の崩壊後、「データベース・モデル」は考えられるモデル図式だからです。つまり、「物語」を作ろうとするとどうしても、「データベース」を参照せざるおえない(「大きな物語」が崩壊しているから)。そこに"エンターテインメント"という要素がどうして入るのかが、よくわかないのですが…。(このあたりはまだまだ考えていくつもりですが…)

○結論
実は今回はまだまだ書きたい事があったのですが、「東・笠井」往復書簡になるのをさけるため(お互い言いたい事を言って、議論が噛みあわない)、議論を噛みあわせる事を優先させました。

個人的に言わせて貰えば、「コード」と「データベース化」は並立しえるとは思います。双城さんの「コード」に関する分析は正しいとは思います。しかし、僕は「・・・」をデータベースからの抽出と見ますから(それがエンターテインメントと直結しているかは保留とします)、当然並立しえます。実際、双城さんの定義「≪雰囲気作りの材料且つ伏線にも成り得る素材群≫のことを意味する。」の「且つ」以前の前者が「データベース」からの抽出によるミステリ的リアリズムの確保(いわゆるデータベース化)、「且つ」以後の後者が双城さんの言う論理のアクロバットのための「コード」と僕は解釈します。

従って、並存していることが同次元の別概念でなる、という証拠にはならないと思います。"ミステリ的リアリズム"というのは、いわば読者がどれにリアリティを感じるかという、言わば社会学的な話になります。作品分析的である「コード」とはまったく同次元で語ることは不可能だと思います。

…正直、色々このあたりの事もまとめたいので、また論文を書きなおすかもしれません。有沢さんからも「精密版つくって欲しい」とつつかれましたし(笑)。
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なんとなくKeiさんの区別はわかったような気がします。
確かにこれでは噛み合ってませんね。私の定義の仕方に問題があるのでしょう。
ただ、「コード」の定義について、もう一口ばかり言い添えたいことが……。

>あと一つ疑問ですが、双城さんも「コード」の利用の一つの目的を"雰囲気づくり"と言っていますが、これは双城さんの定義における「データベース」と重なるのではないでしょうか?

確かによく似てはいますが、これは違うと考えています。
コードは”(娯楽を目的とした)雰囲気作り”であって、データベースは”娯楽そのもの”だという定義です。
この考えで行くと、”密室”はコードにはなりますが、データベースにはならないことになります。
何故データベースにならないか。
はたして”密室”が”娯楽そのもの”と言えるでしょうか?
密室があるだけで、それで「娯楽が完結」するでしょうか?
”娯楽そのもの”――言い換えるなら”その引用単体で作動する娯楽”――とはつまり、それだけで、それによって発生する娯楽が完結していなければならない。
ところで”密室”が、その引用単体で、その娯楽が完結しているか?
たとえば、小説内で密室殺人が発生したとします。では、その時点で”密室”の娯楽は終了しているかと言うと、そうではありませんよね?
”密室”とは、その密室がどうやってできたか、誰が作ったか、なんのために作ったか、などの隠された謎が解き明かされるというミステリ特有の過程を経て初めて、その娯楽は完了する。
すなわち、”密室”の引用は、それ単体では完結しておらず、よってそれはデータベースとは言えない。
それは”孤島”にしても、”名探偵”にしても同じでしょう。
”孤島”はそこで事件が展開されなければ意味がない。
また、先述したように、”孤島”であるが故に「絶対脱出不可能」を読者に思い込ませ、実は犯人だけは別の島ないし大陸との往復を繰り返しており、それによって犯行を可能ならしめていた、などという、これもまた「展開」への利用がなければ、”孤島”に娯楽性は生まれない。
ミステリ好きな人間なら、現実において”孤島”に行くことがあったとしたら興奮するでしょうが、それは孤島で繰り広げられる事件という「展開」を無条件に含めて考えているが故の興奮であって、孤島それ自体に対する興奮ではないわけです。
と、ここまで長々書きましたが、そもそも私の「データベース」の定義に問題があるんですが(ぉ
まぁ、ひとまず続けます(何)
「コードのデータベース的利用」というのは、上記で不可能とした”密室”の、または”孤島”の”名探偵”の、その引用単体での娯楽使用のことを意味しています。
本来そんなことは不可能なんですが、そういった感性をもった輩が現れてきた。それが清涼院流水というわけでしょうね。
”密室”の濫用、”名探偵”の濫用。
まぁ、簡単に言うなら、”名探偵”を萌え属性の一種にしてしまった。
”密室”にしても、本来それらによって提示される謎(謎が提示されることすらない場合も考えなければなりませんが)は、論理的な「推理」によって解明されなければならない。しかしそれが、予言やら何やら、非論理的な説明で解決してしまっている(まぁ、これがどんな実例からの引用かはKeiさんならお解かりでしょう)。これもまた”密室”という、本来「コード」であったものを「データベース」のごとく、それ単体で完結させている。
ですから、Keiさんの仰られたように、流水作品の中で使われているのは、「既にデータベース化されたコード」だった、というのが私の解釈です。

まぁ、こんなところでしょうか。これでもまだ私の理解が足りてませんかね?
う~ん。どうにも私は、やっぱり基本的な知識不足みたいで、情けない限りでKeiさんには申し訳ないです。

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