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消える飛行機雲? 僕たちは見送った?

2007-06-17(Sun)
いやー、土日に何もしませんでした…。今週はホントだるかったし、まぁ休息ということで。本当は土曜日に水道橋に行くどうでもいい用事があったのですが、「五月病ならぬ六月病で欠席します」というメールを送って本当にさぼって(これで夏風邪ひいても欠席できなくなった)、本当に何もしませんでしたよ?。バイトもないし。こんな楽な土日も久々感が…って、一週間前まで毎日日曜日でした。反省。

六月末までに某勉強系サークルの原稿を書かなければならなかったのを思い出す。なんかだるいなぁ…。仮タイトルは『文学と現代社会をめぐる一考察』とかいうものです。もともとは全然関係ない事を書く予定だったのですが、笠井・東の往復書簡『動物化する世界の中で』がいろんな意味で衝撃的だったので、急遽変更して文学ネタで書くことにしました。
いやー、でもこの本紹介の時にも書きましたけど、この本の中でかわされている議論は「単なるゴミ」(笠井潔)だけど、この決裂の仕方は実に衝撃的でしたからねぇ…。結構、議論を始める肴にはもってこいだと思います。気が向いたら、こっちにアップもするかもしれませんが、ミス研と違ってレベルを下げて書くものではないので、ある程度前提知識がないときついかもしれません。

でも、『動物化する世界の中で』の中で一番衝撃的だったのは笠井潔が「AIR」をやっていたことだったりもするんですが(笑)。いやー、このおじさん『マリ見て』を読んでいたり、誰も頼んでないのに『GUNSLINGER GIRL』について批評していたりと、びっくりな事をやってのける人です。
東浩紀曰く1960年代生まれのオタクが「第一世代」(ヤマト世代)、1970年代生まれのオタクが「第二世代」(ガンダム世代)、1970年代終盤から1980年代生まれのオタクを「第三世代」(エヴァ世代)と呼ぶらしいです。この分類に1950年代生まれのオタクが反発したとか、何とかで…、結局「第ゼロ世代」と呼んでいるとかいないとか。

で、当の笠井潔は1948年生まれですからね…。50代後半になって美少女ゲームとは、なかなか変なおじさんです。いくら、最近のミステリ業界の動向をふまえたとしてもなぁ…。そういえば、鈴木謙介もギャルゲーをやっているとかいないとか。

追記:
そういえば、佐藤友哉がテレビ出演したとかいう話。
ブログ検索で「佐藤友哉」と入れて、一般人の反応見てみたいなぁ、と思ったら反応しているのは「佐藤友哉がテレビ出てたよ?」的な文学系のブログばっかりだった(笑)。一般人にはやっぱり無縁の人のようです。

というわけで、コメント返信。コメント返信というよりも、議論と化してますが(笑)。毎度、毎度お付き合いありがとうございます。

>双城さん


>また、先述したように、”孤島”であるが故に「絶対脱出不可能」を読者に思い込ませ、実は犯人だけは別の島ないし大陸との往復を繰り返しており、それによって犯行を可能ならしめていた、などという、これもまた「展開」への利用がなければ、”孤島”に娯楽性は生まれない。

それでは、「孤島」は雰囲気作りと呼ばずに、双城さんの言う論理のアクロバットに必要な材料ということになると思います。ミスリードなどに必要な"雰囲気づくり"という意味なのかもしれませんが…。
もちろん、「密室」や「孤島」はそれ自体は勿論双城さんの言う論理のアクロバットに使われるものですが、何故「現実性がない」と言われながら、「孤島」「密室」などのタームが「新本格」では使われたのか?
ある意味「孤島」「密室」が双城さんの言う「データベース」的に利用された側面もあると考えます。「単体」で機能する、ということへの考察は以下で↓

>ミステリ好きな人間なら、現実において”孤島”に行くことがあったとしたら興奮するでしょうが、それは孤島で繰り広げられる事件という「展開」を無条件に含めて考えているが故の興奮であって、孤島それ自体に対する興奮ではないわけです。

それを言い出すと「データベース」との違いがわからなくなると思うんですよね…。それ「単体」でエンターテインメントになるものを双城さんは「データベース」と定義していますが、データベースからの抽出であるからこそ、そのデータベースに内蔵されているキャラが持っているコンテクストをある程度ひきづると思います。
本文中でも引用しましたが長門有希の紹介文での「いわゆる無口無表情系キャラという奴」という文章から、過去のデータベースに蓄積されているキャラ、そしてそのキャラが見せた「展開」を想起するのでは?と思います。
つまり、僕は「長門有希」も「孤島」もそういった点では変わらないのでは?と考えています。
従って、たしかにその本のコンテクストにおいては「単体」で機能する"かも"しれませんが、それ以前のコンテクストも含めれば「単体」では機能しないと思います(要するに綾波と「エヴァ」、ホシノ・ルリと「ナデシコ」などの先行作品なしで、長門は、受容されたか?という話です←酷い簡略化・笑)。

>う?ん。どうにも私は、やっぱり基本的な知識不足みたいで、情けない限りでKeiさんには申し訳ないです。

いえいえ、知識量はこっちが圧倒されまくりです…。手持ちのカードをフルに使っている感じです(笑)。ただ、二人の間の齟齬はやはりパースペクティブ(←何となく横文字にしてみた)の違いに終始しそう、というのが今の所の僕の印象です。
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>毎度、毎度お付き合いありがとうございます。

いえ、それはこちらの台詞というものでしょう。
勝手にふっかけておきながら、未だKeiさんの論旨を把握しきれず、更なる説明を受けているという恥ずべき事態を、厚顔無恥の如く、恥じる様子を見せずに続けていっている私の方こそ、お付き合いいただいてありがとうございますですよ、ほんとに。

と、いうわけで、まだ懲りずに反論を企てる双城でございます(ぉ

>>また、先述したように、”孤島”であるが故に「絶対脱出不可能」を読者に思い込ませ、実は犯人だけは別の島ないし大陸との往復を繰り返しており、それによって犯行を可能ならしめていた、などという、これもまた「展開」への利用がなければ、”孤島”に娯楽性は生まれない。

>それでは、「孤島」は雰囲気作りと呼ばずに、双城さんの言う論理のアクロバットに必要な材料ということになると思います。ミスリードなどに必要な"雰囲気づくり"という意味なのかもしれませんが…。

ああ、はい。それはその通りです。
しかし、私はこの例を”雰囲気作り”の実例として挙げてはいないはずなんですが……。
この例は、「孤島」というコードがどのような「展開」によって娯楽性を創出しているか、というものの実例として挙げたものです。
そして私の定義では、コードとは、≪(娯楽を目的とした)雰囲気作りの材料且つ伏線(論理のアクロバットの材料)にも成り得る素材群≫であると、前掲コメントにて定義しています。
つまり、上記の実例は、コードの定義の一部である、「伏線にも成り得る」という部分に対応した例なのです。
そして、その例を挙げることによって、伏線として利用されているということだけでなく、コードは「展開」によって初めて活かされるものなのだということを示そうと思ったわけです。

>それを言い出すと「データベース」との違いがわからなくなると思うんですよね…。それ「単体」でエンターテインメントになるものを双城さんは「データベース」と定義していますが、データベースからの抽出であるからこそ、そのデータベースに内蔵されているキャラが持っているコンテクストをある程度ひきづると思います。
本文中でも引用しましたが長門有希の紹介文での「いわゆる無口無表情系キャラという奴」という文章から、過去のデータベースに蓄積されているキャラ、そしてそのキャラが見せた「展開」を想起するのでは?と思います。

いえ、これにはちゃんとした違いが表れていると思います。
「コード」がみせる「展開」とは、いわゆる「”未来”の展開」のことで、「データベース」のみせる「展開」とは、いわゆる「”過去”の展開」に相当するのではないでしょうか。

●例1:コードの展開(未来の展開)
ここに『或る孤島の殺人』と題された本格ミステリ小説があったとします。
(架空の書物に対してこのような過程は無意味ではありますが)仮に私がこの本をまだ読んでいなかったとします。そして今読み始めました。作品の舞台が”孤島”であることが、読んでいくうちに分かってきました。そこで殺人が発生しました。しかし、現場は”孤島”であり、そこから読者たる私は、「犯人はこの島からでていけない。でていければ犯行は容易だが、でていけないのだからこの犯罪は不可能犯罪なのではないか。犯人が誰かなんてさっぱりわからない」という考えをもつにいたる(重要なのは、”孤島”というコードが登場してからここまで、未だ”孤島”の「展開」は果たされていない、ということ)。私はさらに読み進める。とうとう最後まで自力で犯人を推理することはかなわなかった。探偵役の説明の段を読む。すると、なんと犯人は孤島から脱出することができたというのだ。これはたまげた!(ここで初めて”孤島”の「展開」が果たされる。言い換えるなら、これは”未来”の「展開」であるがゆえに、ここまでこなければ「展開」を完了することが出来ない、ということである)

●例2:データベースの展開(過去の展開)
ここに一人の少女がいたとする。彼女はたいへん無口で、誰にも気を許さないような無感情な少女である。(この時点で、一人の登場人物である少女のディテールが明かされた。すなわちデータベースが登場した。そしてさらに、この時点で読者は、これまでの過去に、既に自らの脳内に蓄えてあったデータベースの中から、「いわゆる無口無表情系キャラという奴」を検出する。(これは”過去”の展開であるがゆえに、データベースが登場した瞬間に、同時に「展開」を完了することが出来る、ということである)

しかし、データベースの展開は、コードの展開ほど単純ではないでしょうね。
「データベースの展開」には、「コードの展開」には無い、”期待”というものがかけられる。
その例を、上記●例2の文章の続きを用いて示してみましょう。

●例3:データベースの展開にかける期待(擬似展開、もしくは模擬展開とでも言うべきか?)
そんな無口無表情な彼女だったが、或る出来事がきっかけで、私(この物語の主人公)とだけは、なんとなく仲良くなることができた。私に対してのみ、彼女は、ごくわずかではあるが感情を表出するようになったのだ。
(この展開は、データベースの中に含まれている。しかし、必ずしも「無口無表情系キャラ」が主人公に対しこのような展開をみせてくれるとは限らない。しかし、読者はこの「無口無表情系キャラ」が登場した時点で、つまり●例2の時点で、実は既に「主人公とだけは仲良くなる」という展開を想起していた。ならばこれは”未来”の展開であり、コードの展開の定義と被り、定義分けが成立しないのかというとそうはならない。この「展開」は、上述したように、裏切られる可能性を秘めている。この「展開」を想起した時点では、この「展開」はまだ完結していないのだ。すなわちこれは、データベース参照による読者の勝手な「模擬展開」であり、コードの展開の定義とは被らない。コードの展開においても、実は「模擬展開」はありうる。むしろ、コードを展開させる本格ミステリにおいてこそ、「模擬展開」は駆使される。「模擬展開」の本来の出生地は、本格ミステリであるとさえ言えるかも知れない。というのは、本格ミステリにおける「模擬展開」とは、すなわち「推理」のことであり、その「推理」を喚起させることこそが本格ミステリの狙いと言えるからだ。しかし、その読者が「模擬展開(推理)」した結末とは違う結末を狙うことこそ(つまり「論理のアクロバット」)が本格ミステリであり、その点が、読者の「模擬展開」に応えようと――合致させようと――データベースの参照に尽力するライトノベルとの違いと言えよう。)

いつもながら長くなりましたが、ちゃんと読めるかどうかが不安です。
なんだが改行全然してない気がしますし、長文ですからねぇ。
言いたいことが伝われば良いのですが……。

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Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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