ニコニコ動画がすさまじい事になってますね〜。

おい、著作権やばすぎだろ!とか前にブログで書いた気もしますが、ハルヒに「らき☆すた」の大量削除きましたね〜。犯人は京アニか角川か(笑)。

正直、MADまで消されているとは思わなかったなぁ…。YouTubeとMADムービーのおかげでどんだけハルヒの売り上げが増えたと思っているのか、と小一時間問い詰めたいです(笑)。

というわけで、本日のネタは著作権について。

いや、そりゃ法律的には著作権は守らなくちゃいけないし、ここでいくら反抗したところで法律が変わんなきゃ、特に意味もないんだけど(笑)。

まぁ、ここは人文科学的に"著作権"という概念に反抗してみようというコーナーです。要するに己のためにアンチ著作権を展開しようと(笑)。

著作物は著作者のもの。
という近代の前提があります。こういう考えがあるから、著作権というものが出来てきたわけですが。まぁ、マルクス君曰く「モノは作った途端、モノから疎外されるらしい」ですけど。でも、いいたい事自体はマルクスと変わらないかも。
でも、「著作物は著作者のもの」というのは違うよね?というのがここでのお話。例えば、平家物語を琵琶法師が歌ったりすることで、平家物語の著者(なんか正確にはわかってないんでしたっけ?)が使用料を要求する、なんていうシュールなシーンが考えられるか?という話です。本当にあったらなかなか笑える話です。
多分、当時の人はそもそも「著作物」が誰か(現代なら法人も含む)が作ったものという意識すらなかったのだと思います。「竹取物語」なんかだと、取材しているのは共同幻想ですしね。そもそも、近代以前において「著作物」が「著作者」のもの、という考え方がなかったと思います。「著作物」は文化の中から生み出されたものだし、その「著作物」は文化の中でフィードバックされていく。あえて近代風に「所有権」を主張するなら、みんなもの、というとこですかね。

それを如実に現したのは、2ch近辺では有名な「のまネコ」問題でしょう。あれを法律的に「パブリック・ドメイン」とかそんな言葉を使って、解釈しようとした人がいましたが、人文的に言わせて貰えば、そういう「著作権」という概念自体が西洋的な特殊な環境のもとで生まれた概念であって(ようするに普遍的な概念ではない)、そういう問題が起きるのは必然とも言えるわけです。

続いて、別のアプローチをしてみましょう。「著作物は著作者のもの」という前提があるとして、その「著作者」とは誰か?という話です。
そんなもの、「作者」に決まっているじゃん、とか突っ込んだあなた、ニコニコ動画を体験されることをオススメします。つまり何が言いたいのか。
「作り手/受け手」という二項対立の図式は成り立たないということです。マルクス君的に言うと「モノからは疎外される」という話です。
つまり、"ニコニコ動画"というのはまず動画の作り手がいます。でも、コメントを書き込む人は受け手でしょうか?

ニコニコ動画ではよくコメントも含めて"作品"になっていることがよくあります(コメントがないと全然つまんない"作品"なんて一杯ありますしね)。となると、コメントを書き込む側は"作り手"になりうるし、動画の"作り手"はそのコメントをみて"受け手"になりうる。
つまり、要約すると「作り手/受け手」が固定化されたような二項対立図式なんて成り立たない、という話です。「らき☆すた」に何で「白石みのる」が出て「WAWAWA」だの「にょろーん」だの言っていたか、というと「ハルヒ」で脇役の谷口を一部のネットユーザーが散々ネタに使ったから、あるいはちゅるやさんとかいう同人誌が出たからなわけです。

つまり、「作り手/受け手」の二項対立図式は成り立たない。「読者」や「視聴者」も「作り手」なのだ!という話です。どうでもいいですけど、web2.0なんかもこういう思想から生まれてきたものと思います(「ドコモに移転ゼロ」も「アキバ2.0」も関係ないよ?)。

上と関連する話ですが、またまた別のアプローチ。
僕たちはどう「作品」を「消費」するか?という話です。
そう言えば、この話経済学の先輩にしたら、僕が動画共有サイトとかばっかり使って全然金を使ってないから「消費してないじゃん!」とか突っ込まれましたが、勿論経済学的な狭義の「消費」じゃなくて、広義の「消費」の意味ですよ(笑)。
例えば、ある作品を読むor見るor聞く。動詞いくつも付けるのが面倒なので、あるアニメ作品としましょう。アニメ作品を見る、「そしてああ面白かったな」と思う。これが従来考えられてきた「消費」の仕方です。
でも、まぁ本当に好きな作品ならこれだけではすみませんよね?「物語」が全く余韻を残さずに終わる事は考えられませんから、「シンジくんはどっちが好きなんだろう」とか(いきなりエヴァ!?)、「ハルヒかわいいよハルヒ、もっとキョンも素直になれよ」とかまぁそんな感じの何らかの感想があるはずです(たまにホントに読み終わっても何の感慨も浮かばない小説もあったりもしますけどね・笑)。
その妄想が膨らむと、同人誌だのMADムービーだの二次創作小説とか作り出すわけですけど、こういった「創作」も一つのその作品の「消費」の形式ではないか?という話です。
ある意味、「作り手」が「受け手」の"消費の形"を縛ること自体、相当窮屈な感じすらします。というか、どんだけ偉いんだ「作り手」は!っていう話です。"消費の形式"は多様な形があっていい。
エヴァを見て、二次創作を作るのも「エヴァ」を"消費"している、という風に言えるわけです。

結論。
MAD削除するな!

↑わかりやすい自己中的結論(笑)。

さすがに本編削除するな、とは言わないけどさ…。というか、ニコニコは頑張っても所詮FLVだし、コメントをつけるor見るという形で新たな"消費の形式"を作っているわけだし、本当は本編も削除するのもビミョーだと思うんですけど…。
Stage6とかVeohとかそういうところを先に叩き潰してください。とても、お世話になっているので非常に言いづらいんですけど(笑)。

法律的には全然著作者が正しいんですけど、"著作権"という概念自体からもう少し考えて欲しいなぁ…と。正直、『らき☆すた』なんかニコニコ動画のおかげで、かなりCDの売り上げ上がったと思うのに…。

そう言えば、著作権死後70年に延ばすとか・・・・本当にやめて欲しいですよね。青空文庫が使えなくなるのはつらいですよ…、あれだけ貴重な価値のある資料があるのに。もっと、文化的にフィードバックする、とかそういう考えに至らないのかなぁ…。
  
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