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大川カンタービレ&エヴァ&双城さんへの返信

2007-06-30(Sat)
というわけで、昨日はアニメ版「のだめカンタービレ」最終話でした?。ドラマ版と同じく国内編で終わりです。
まぁね、正直アニメ版色々と酷かったけど、原作の力に支えられて全体としては良かったというところじゃないですかね。本当にアニメ版「のだめ」は動かなかったよなぁ…。最終回も作画酷けりゃ、エンディングロールで事後譚をマンガ調で流すと言うせこわざで物語を終わらせるし、まぁアニメ版はビミョー…。

というわけで福岡人的ツッコミ。
博多駅から大川までタクシーでいくか!?

相当遠いぞ(笑)。ちなみに、大川の宣伝をしておくと、県境越えたらすぐに佐賀県という相当田舎にあります。「のだめ」では新幹線で行ってましたが、飛行機利用だと福岡空港の行くより、佐賀空港の方が絶対近い(笑)。

で、売って変わってエヴァ。というか、最近何だかんだ言ってよくエヴァをネタに出しているような…。
それはともかく、ヤフーのニュース欄に「ヱヴァ」の文字を見た時の違和感は何とも言えません。
というわけで、新劇場版主題歌が宇多田ヒカル。

そうかそうか、宇多田ヒカルもアニソン歌わないと食えなくなったのか、
と見るか、
エヴァも落ちぶれたなぁ、J-POPとタイアップしないといけなくなったのか。
と見るか(笑)。
どっちもイヤミな見方だなぁ(笑)。

どうやらネットの噂ではカヲル君が冒頭から出て来るらしいです。
あー、完全に池袋の方狙いですね?カヲルなんていらないからアスカ出せ…。

>双城さんへの返信

正直、双城さんとの間ですごい空回りしている感があるんですよね…。東、笠井往復書簡みたいな(笑)。双城さんの言いたい事はよくわかるんですけど、拙稿のコンテクストに当てはまらない、といいますか…。なので、かなり曖昧な返事に毎回なっているとは思います。
その空回り感を先に一応書いておこうと思います。
拙稿では大塚英志の「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」という二項対立図式を前提に用いています。その上で新本格ミステリはマンガ・アニメ的リアリズムと同じ図式に立っている、ということを述べているんですよね…。
従来の文学を「自然主義文学的リアリズム」とまとめる事の乱暴さは双城さんならよくよく理解されていると思います。「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」の"乱暴な"二項対立図式で見たとき、"社会派"と"新本格"はどういうカテゴライズになるか?と考えた時に、"社会派"は前者、"新本格"は後者というカテゴライズになるのではないか?、というのが本稿の出発点です(従って拙稿では勝手にミステリ的リアリズムという呼び名をつけています)。
「孤島」や「名探偵」が双城さんの言うとおり「コード」として利用されているのは今回の論争を通して重々承知しているつもりです。その点は考慮するべきでしたし、機会があればもう一度そのあたりも含めて書き直したいと思っています。
ただ、ここで問題としたいのは、「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」「ツリーモデル/データベースモデル」の二項対立で考えたときに、それまでの60年代から87年まで一世を風靡した"社会派"と比較した時に、突如として「名探偵」「孤島」「密室」というある意味"非現実的"な「・・・」*1が使われ始めた。何故だろう?というのがここでの問いです。
それを双城さんは「(娯楽を目的とした)雰囲気作りの材料且つ伏線(論理のアクロバットの材料)」のためと言いますが、それではここでは特に答えになっていないと思います。
そのあたりが非常に空回りしている印象がありまして、毎回毎回曖昧な返事になっていたわけですが…。
何度も言っていますが、やはり観点の違いがあるように思います。
東浩紀の考えは表象文化論的とか社会学的の考え方に載っていて、一応拙稿もそれにのっかています。それに対して、双城さんの意見は文学的に捉えている。
それがどうもすれ違っているような気がしてならないんですよね…。勿論、合わせる努力はしてきたつもりですが。

*1…ええと覚えてますか?随分前にこういったものを表すものとして「・・・」を使ったのですが(笑)。ガジェットとかそんな感じに捉えてください。

今回の文章で双城さんの言う「コード」と「データベース」の違いはよくわかりました(と思います)。

そのあたり考慮に入れて、もう一度拙稿を書きなおす、ということで一つの解答としてみたいと思います。まぁ、7月は試験期間ですので、いつになるかは不明ですが(笑)。
あ、勿論協力者のところでクレジットを入れさせてもらいますよ(笑)。
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おお、論点のズレによる空回りは濃厚に感じてはいましたが、改めて説明していただくまで、これほどとは思いませんでした(爆)
ええっと、つまり……私ははじめ、以下のようなつもりで始めたのでしたが……。

>拙稿では大塚英志の「自然主義文学的リアリズム/マンガ・アニメ的リアリズム」という二項対立図式を前提に用いています。その上で新本格ミステリはマンガ・アニメ的リアリズムと同じ図式に立っている、ということを述べているんですよね…。

私が企てた反論は、これについての「新本格」という部分に対する反論に始まったと思います。すなわち、「新本格」と「ファウスト組」の区別によって「新本格」を「マンガ・アニメ的リアリズムと同じ図式」から引き剥がす目論見だったわけです。そのためには、「新本格」と「ファウスト組」を区別するために、それぞれの特徴である「コード」と「データベース」を区別する必要があった、というわけで、これまでの延々たる説明があったわけです。


>60年代から87年まで一世を風靡した"社会派"と比較した時に、突如として「名探偵」「孤島」「密室」というある意味"非現実的"な「・・・」*1が使われ始めた。何故だろう?というのがここでの問いです。

嗚呼、この点が問題の主眼であったことをすっかり忘れておりました(ぉぃぉぃ
「コード」と「データベース」の区別に熱中するあまり、どうも本論から脱線しまくっていたようですね。いやはやお恥ずかしい限りで^^;
たしかに、この問題に対する答えとして、私のこれまでの説明の中に充分なものを見つけることはできないでしょうね。
今改めて考えてみますと、全然違うことを考えなければならないということがよくわかります(気づくの遅すぎ)。
ただ、ここで最後に申し添えさせていただきますならば、
島田荘司の『21世紀本格宣言』は、Keiさんの考える問題の参考になるのではないかと思います。特に、同書所収の「新世紀の新本格」では、コードからデータベースへの移行を示唆するようなものを読み取ることが出来るのではないかと思います。
ちなみに、Keiさんの仰る「"非現実的"な『・・・』」のことは、私は「コード」のことだと解釈しているのですが、そうだとすれば、「新世紀の新本格」内では、それが使用される理由として、日本人の「総量規制遺伝子」というものを挙げています。が、ほとんどそれだけ、たった一言で断定しているようなものなので、その点ではあまり参考にはならないかもしれません。

では、これ以上私に何か言えることは無いと思いますので、今回で反論も終了とさせていただきたいと思います。
長らく無知文盲なるわたくしめなんぞにお付き合いいただきありがとうございました、そして、お時間とお手数おかけしましてすみませんでした。

>そのあたり考慮に入れて、もう一度拙稿を書きなおす、ということで一つの解答としてみたいと思います。

それはまた、反論するのがたのs(ry
ゴッホゴッホ、ふぃんせんと・ふぁん・こっほ
いやいや、私なんぞが一言も口出しできないような完璧な評論を期待してますよ!
それでは、これにて。

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Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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