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夢だっちゃ、現実に帰るだっちゃ

2007-09-24(Mon)
ハイカルチャー(文学etc.)/サブカルチャー(アニメとかJ-POPとか)に、未だに境界線があると仮定した場合、その境界線を歴史性で見るのは一つの手かも…と思うんですよね。

例えば、文学においては「文学史」という項目があるように、歴史性というのは重要視されます。クラシックは言わずもがな。いわゆるハイカルチャーには、先行作品と言うのは重要な意味を持つわけですし、製作者側のみならず、読者側にもその歴史が共有されている。それが「文学」がハイカルチャーで(とりあえず)居られている理由だと思います(勿論、近年については別の考察が必要でしょうが)。

それに対して、所謂サブカルチャーと呼ばれるものは歴史が軽視される傾向があると思うんですよね。「長門は俺の嫁」とか言ってるネットのアニオタ諸君がいますが、多分中高生(というか大学生の世代でも)「エヴァンゲリオン」すら見た事ない人たちが多い(ように見える)。エヴァオタ的には綾波も知らずに長門を語らないでくれ、とか言いたくなります(笑)。でも、東浩紀世代に言わせれば僕なんか『マクロス』も見てない奴が『エヴァ』語るな!って感じなんでしょう(笑)。
その他、J-POPなんて五年前に流行って、その後消えていったアーティストなんて大半が忘れられている(僕のPCのHDの中にKiroroがあって、それを聞いた友達が思いっきり懐かしがってたけど、流行ってから十年もたってないぞ!?)。
そういうジェネレーションギャップを感じるのはやっぱりサブカルチャーだし、逆にハイカルチャーというのは歴史性を意識してないと付いていけないけど、ジェネレーションギャップは小さい(国文の授業であがる作家なんて三十年間変わってねーじゃんねーの?とか突っ込みたくなるし)。

で、何が言いたいかと言うと、アニメは日本の文化だ!とか偉そうに語っているオタク諸君。本当にハイカルチャーにしたければ、歴史を大事にしよう!という話です(笑)。

うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマーうる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー
(2002/09/21)
平野文、古川登志夫 他

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というわけで、日本アニメ映画史上傑作の一つに上げられる「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」です。ちなみに自慢げにいいますけど、今まで「うる星やつら」に触れたことは全くありませんでした。登場人物等は事前知識はウィキペディア頼みです。ウィキペディアやっぱ凄い、使える!

以下本作および『涼宮ハルヒの消失』『エヴァンゲリオン劇場版』のネタバレが含まれています…初見の楽しみを奪われたくない方は見ないで下さい。
えーと、先ほどの前口上と違って、思いっきり歴史性を無視したことを言ってしまうのですが、簡単に言ってしまうと

これ「THE END OF EVANGELION」じゃね?

ふつーに先に作ったのは押井守なので、「『EOE』は『ビューティフル・ドリーマー』じゃね」って言った方が正しいんですけどね(笑)。
正直、別に収集したわけでもないですか、名作だけに色々と事前知識あったし、「EOE」みたいにこの作品に影響された作品も何個も見ているので、大体オチが読めてしまって多分当時の人が受けた衝撃とは較べモノはならないと思いますが、やっぱり色々と考えさせられますね…。

実はこの作品見ながら、「エヴァ」のことも考えていたんですけど、それと同時に考えていたのは『涼宮ハルヒの消失』なんですよね。
「ハルヒ」の世界観っていうのは宇宙人がいたり、ハルヒが望めばなんか変なことが起きたりする。「うる星」も角の生えた宇宙人はいるし、なんか鬼ごっこしてるらしい(←ウィキペディア情報)。その『涼宮ハルヒの消失』もキョンがパラレルワールドに行ってしまう話なわけですが、キョンが「何で俺は脱出用のエンターキー押してしまったんだ」的に悩むシーンがあるんですよね。そのキョンがこれを見たらどう思うだろうな…と思うんですよね。

勿論、夢とパラレルワールドは違うでしょうけど(笑)、「消失」もある意味長門の夢の世界なわけですよね。でも、キョンはそこで暮らすことも一瞬考えるんですよ。単なるわがまま女子高生のハルヒに、単なる文学少女の長門に、未来人じゃないみくるちゃんと一緒に平和に暮らす…長門の夢ですよね。「ビューティフル・ドリーマー」におけるラムちゃんの夢とフェードしてくる。

谷川流がどれぐらいこの作品を意識して「消失」を作ったのか知りませんが、フィクションに関わる人間(製作者、視聴者、読者)というのは、多分「このまま夢の世界にいていいのだろうか?」って悩むと思うんですよね。それが「ビューティフル・ドリーマー」に繋がるし、「エヴァ」になるし、「消失」になる。

実際、『らき☆すた』の最終回に「学園祭って前夜が一番楽しいのよね」とかいうセリフがあったような気がしますが、あれは『らき☆すた』(フィクション)の終了を暗示していたのかもしれませんね(考えすぎか・笑)。

でも、確かにこういう「祭り」って何が怖いかって、「祭り」の終焉ですからね…ラムちゃんの夢も理解できますし、そういう点であのシーンできっちり区切りをつけた『らき☆すた』は素晴らしかったのかもしれない(笑)。

結局、「消失」も「ビューティフル・ドリーマー」も現実に戻る。「ビューティフル・ドリーマー」の現実に帰還するシーンって凄いですよね…これは「消失」も「エヴァ」もかなわない(笑)。でも、やっぱりその現実に戻るキーワードは「消失」にせよ「EOE」にせよ「ビューティフル・ドリーマー」でも愛なんですよね…。

でもそう考えると、現実に戻ったあと首を締める「エヴァ」は一歩先を行っているような気がします。「これが現実なんだ!」的なものをまざまざと見せ付ける点で(笑)。

「ビューティフル・ドリーマー」は結局「荘子の蝶」で終わっちゃっているんですよねー。哲学的にはそれでいいのかもしれないけど、でも僕たちは形而上学で生きているわけではないんですよ。哲学とか言っている間に、"現実"(←哲学的にはそんなものあるの?って感じなんですけど僕たちがそう感じているモノはある。それが現実)は迫っている。そういう点で「EOE」の方が一歩先に行っているような気はしました。勿論、「ビューティフル・ドリーマー」あった上での「EOE」なんでしょうけど。

「消失」?やっぱり「エヴァ」とか「ビューティフルドリーマー」とかと較べると力不足だなー、という感じが…。

勿論いずれの作品も傑作だとは思いますけど、傑作の比較論みたいな感じでしょうかね。「消失」も「ビューティフル・ドリーマー」も傑作だと思いますけど、やっぱり僕の中の「エヴァ」の地位は変わらないないなぁという感は強くなりました(笑)。
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こんにちは、シンジの○○○の意味を最近になって理解したオレが来ましたよw

ある文化が歴史の自己語りを始めたら、それは権威(権力)が出来たってことなんだと僕は思います。偶然を蓋然にしてしまう。それ自体いい面と悪い面があるので、僕自身は賛成なのか反対なのか自分でもよく分からんですが。
ただ、そういった歴史理解を作品に還元するのは、手法としてかなり有効な感じですよね。
(バックグラウンドを知ってりゃ、売れる作品も作りやすい…かな?)

…双城さんのコメントで気づいたんですが、僕のブログもリンクに入れていただいてるんですね、ありがとうございます!m(_ _)m
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