FC2の管理画面が最近(ってほどでもないが)変わったんですが、何となく使いづらいので、最近旧管理画面で書いてます…。
そういえば、買った時に「志井和夫×大塚英志」だけ読んで本棚(正確には本棚は溢れているので本棚の前)に放り出してました…ようやく巻頭対談を読んだので感想を二言三言。
「宮台真司×大塚英志 何故、アジア主義を語るのか?」
内容としては「あえて」がキーワードになっている感じがしました。例えば、宮台真司は天皇主義とかアジア主義とか主張するわけですけど、まーフツーの人が見たら「あえて天皇主義を語る」「あえてアジア主義を語る」に見えますよね?で、頭のいい人の考えることはわからん、なんつー話になるわけです。
まー勿論、宮台もそれを認めているわけですけど、それに対して大塚が主張するのは「あえて語る」ことの副作用というかリスクなんですよね。「敢えて語る」というレトリックが今の若い世代には通用しないみたいなことを言っているわけです。それへの宮台の解答は正直、僕には理解できませんでした。
ここでは「動員する側/動員される側」という区分が出てきます。大塚英志は「敢えて戦後民主主義なんかを持ち出して動員しようとしている」わけですが、宮台はそこで「敢えて天皇主義、アジア主義を持ち出して動員している」わけです。大塚はそれがリスキーだと主張するわけですよね、バカ右翼を調子付けするだけではないか、と。逆に宮台は思考停止のバカ左翼を断ち切るために、「敢えて」保守的な言説を語ることが必要なんだ、みたいなことを言っているわけですよね(宮台の方はよくわからなかったのですが)。
個人的に気になるのは、こういう対談そのものの意味なんですよね。それは、僕はさっきの区分で言えば動員される側ですけど、「敢えて」語っている人について行こうと思うかというと絶対NOなわけですよね。それよりかは、ブログで堂々とアスカ萌え宣言して、自ら動物化を演じている(演じているのかは知らないけど)東浩紀の方が好感はもてる*1。
宮台的には、こう言う風に「『敢えて言う』ということを敢えて言う」ことで、多分「崇高とギャグは表裏一体である」(by宮台真司)みたいなことを示したいとは思うんですよね(多分)。
「『敢えて言う』ことを敢えて言う」意味って、僕はそれぐらいしか思いつかない…そうなるとますます真意がわからなくなるわけですよね。正直、僕はこんな人にコミットメントしたいと思わない。
「具体的には、まず大半の人に人間に虚構を現実と認識してもらい、次の少数のエリートに虚構の虚構性を認識してもらう」(by宮台)って、ある意味近代国家のシステムをついたすごい名言かもしれませんけど(笑)、僕的にはすごい抵抗感があるんですね。
残念ながら僕は少数のエリートには入れないのですが(笑)、"フェイク"には常にいらいらしているし、昨日の記事で書いたとおり野球を捨てたのはその無自覚なフェイクさ(特に高校野球!)が耐えられなかったというのはあると思うんですよね。
(逆にフェイクである事にF1の方が自覚的であるように見えたから、F1に嵌ったのはあると思う)。
そういうことで「自意識ゆえに小賢しく相対化に勤しむ大学生や大学院生」(by宮台)の僕はどうすればいいんだ!って話なんですよ(笑)。多分、宮台は僕なんかにはボールを投げて無いんでしょうけど(つまり、騙される側の大半の人間でいなさいってこと)。でも、フェイクにはいらいらしているけど、それを利用するレベルまではいけない人、結構いるような気がしますけどね…。
無自覚な虚構性にいらついてホールデンをやるわけにもいかないし、かといってそれを見て見ぬふりでそのまま流すのも何かが引っかかる。結局宮台は僕にとっては何の答えにもなってないんですよね…。今後、天才宮台がどこにいくのか凡人の僕にはわかりませんが、宮台にコミットメントすることはないだろうなぁ…と、この対談を読みながら思いました…。
*1…今更書くまでもないかもしれませんがが、凡人な僕としては複雑な論理過程なんてよくわからない(実際は、分かっているつもりだけど、本当は(多分)わかってない)。結局、誰か思想家に仮託することになってしまうことになると思うんですよね。
実際何で僕が東理論をそれなりに信頼しているかというと、勿論、頭では論理で考えているつもりですけど、無意識的なところでは「同じアスカ萌えだしー」みたいな心理は多分確実に働いていると思う。そんな感じで宮台さんが考えるより今の若者はナイーヴだと思うけどな…。
逆にこのあたりのことを考えて、若者にナショナリストが多いから、天皇主義を主張しているのかも。
ところで、その思想家なり評論家なりに「コミットメント」するということは、そこに超越性を見出していることになるのかな…。
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そういえば、買った時に「志井和夫×大塚英志」だけ読んで本棚(正確には本棚は溢れているので本棚の前)に放り出してました…ようやく巻頭対談を読んだので感想を二言三言。
「宮台真司×大塚英志 何故、アジア主義を語るのか?」
内容としては「あえて」がキーワードになっている感じがしました。例えば、宮台真司は天皇主義とかアジア主義とか主張するわけですけど、まーフツーの人が見たら「あえて天皇主義を語る」「あえてアジア主義を語る」に見えますよね?で、頭のいい人の考えることはわからん、なんつー話になるわけです。
まー勿論、宮台もそれを認めているわけですけど、それに対して大塚が主張するのは「あえて語る」ことの副作用というかリスクなんですよね。「敢えて語る」というレトリックが今の若い世代には通用しないみたいなことを言っているわけです。それへの宮台の解答は正直、僕には理解できませんでした。
ここでは「動員する側/動員される側」という区分が出てきます。大塚英志は「敢えて戦後民主主義なんかを持ち出して動員しようとしている」わけですが、宮台はそこで「敢えて天皇主義、アジア主義を持ち出して動員している」わけです。大塚はそれがリスキーだと主張するわけですよね、バカ右翼を調子付けするだけではないか、と。逆に宮台は思考停止のバカ左翼を断ち切るために、「敢えて」保守的な言説を語ることが必要なんだ、みたいなことを言っているわけですよね(宮台の方はよくわからなかったのですが)。
個人的に気になるのは、こういう対談そのものの意味なんですよね。それは、僕はさっきの区分で言えば動員される側ですけど、「敢えて」語っている人について行こうと思うかというと絶対NOなわけですよね。それよりかは、ブログで堂々とアスカ萌え宣言して、自ら動物化を演じている(演じているのかは知らないけど)東浩紀の方が好感はもてる*1。
宮台的には、こう言う風に「『敢えて言う』ということを敢えて言う」ことで、多分「崇高とギャグは表裏一体である」(by宮台真司)みたいなことを示したいとは思うんですよね(多分)。
「『敢えて言う』ことを敢えて言う」意味って、僕はそれぐらいしか思いつかない…そうなるとますます真意がわからなくなるわけですよね。正直、僕はこんな人にコミットメントしたいと思わない。
「具体的には、まず大半の人に人間に虚構を現実と認識してもらい、次の少数のエリートに虚構の虚構性を認識してもらう」(by宮台)って、ある意味近代国家のシステムをついたすごい名言かもしれませんけど(笑)、僕的にはすごい抵抗感があるんですね。
残念ながら僕は少数のエリートには入れないのですが(笑)、"フェイク"には常にいらいらしているし、昨日の記事で書いたとおり野球を捨てたのはその無自覚なフェイクさ(特に高校野球!)が耐えられなかったというのはあると思うんですよね。
(逆にフェイクである事にF1の方が自覚的であるように見えたから、F1に嵌ったのはあると思う)。
そういうことで「自意識ゆえに小賢しく相対化に勤しむ大学生や大学院生」(by宮台)の僕はどうすればいいんだ!って話なんですよ(笑)。多分、宮台は僕なんかにはボールを投げて無いんでしょうけど(つまり、騙される側の大半の人間でいなさいってこと)。でも、フェイクにはいらいらしているけど、それを利用するレベルまではいけない人、結構いるような気がしますけどね…。
無自覚な虚構性にいらついてホールデンをやるわけにもいかないし、かといってそれを見て見ぬふりでそのまま流すのも何かが引っかかる。結局宮台は僕にとっては何の答えにもなってないんですよね…。今後、天才宮台がどこにいくのか凡人の僕にはわかりませんが、宮台にコミットメントすることはないだろうなぁ…と、この対談を読みながら思いました…。
*1…今更書くまでもないかもしれませんがが、凡人な僕としては複雑な論理過程なんてよくわからない(実際は、分かっているつもりだけど、本当は(多分)わかってない)。結局、誰か思想家に仮託することになってしまうことになると思うんですよね。
実際何で僕が東理論をそれなりに信頼しているかというと、勿論、頭では論理で考えているつもりですけど、無意識的なところでは「同じアスカ萌えだしー」みたいな心理は多分確実に働いていると思う。そんな感じで宮台さんが考えるより今の若者はナイーヴだと思うけどな…。
逆にこのあたりのことを考えて、若者にナショナリストが多いから、天皇主義を主張しているのかも。
ところで、その思想家なり評論家なりに「コミットメント」するということは、そこに超越性を見出していることになるのかな…。








