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遍在する私――ウェブ社会を行きぬく

2007-12-04(Tue)
どーも、ついに二ワンゴの陰謀に載せられてニコニコプレミアム会員になりました(プレミアム専用動画とかできちゃーねー)。
ブラックとか使って「俺プレミアムなんだZE!」ということを500円分ぐらいは自慢したいと思います。

ウェブ社会の思想―〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス 1084)ウェブ社会の思想―〈遍在する私〉をどう生きるか (NHKブックス 1084)
(2007/05)
鈴木 謙介

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(2005/09/22)
清水香里、大林隆之介 他

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どーも、昨日徹夜して「serial experiments lain」を見て、今日は半日かけて鈴木謙介『ウェブ社会の思想』を読んでました。
ニコニコであまりのOPの格好良さに見始めた「lain」でしたが、その中で出てきた「遍在化する私」というキーワードに引っかかって、今日は鈴木謙介を読んでました。

あっ、レビューの前に一言。
「鈴木謙介絶対『lain』見てるだろ!というか、好きだろ!」
とだけは言っておきたいと思います(笑)。

以下のレビュー「serial experiments lain」(アニメ版)のネタバレを含んでいるような含んで無いような微妙な感じです(笑)。本当に肝心な部分に関しては反転してありますが、反転部以外でも人によってはネタバレと感じてしまう可能性があります。「lain」を未見の方は自己責任でご覧下さい。

・「遍在する私」とは?
「『情報としてのわたし』があらゆる場所に、私を先回りして立ち現れるようになる」
つまり、Amazonのおすすめ商品ですね。Amazonのデータベースには「情報としての私」が蓄積されている。
「システムによって自分に与えられた可能性以外の未来を選択できなくなること」
またまたAmazonを例に出すとAmazonのデータベースに何らかの恣意性が入り何らかの本が排除された場合、他のネット書店や実際の書店を使わない人には、その排除された本ははじめから「無かった」ことにされる。
チャットと言うシステムでは「『わたし』という存在の本質的(=virtualになる。詳しくは本書参照)な部分だけが、言語として送られ送り返されている」「テキスト化されたことによって失われた身体性が、(顔文字と言う)記号表現として復活している」
「私達の自己同一性を担保するのに、『自伝的記憶』と呼ばれている記憶が非常に重要な役割を果たしている。『自伝的記憶』とは『これまでの生活で自分が経験した出来事に関する記憶の総体』」
近年、心理学の成果により記憶の曖昧さが言われ始めている(まー当たり前ですが)。「自己物語」なんて言われるらしいですね(アダルトチルドレンとか)。その結果、「記録の優越化」(つまりデータこそが、揺るぎのない事実を構成していると見なされる)。

ここでは二つの問題があると。
1.「未来が閉ざされているにも関わらず、それに気づく事すらできない」
「気づかれる事のないまま、対象をコントロールできる」

ここで「lain」の話を持ってくると、「lain」では次世代プロトコルを開発した男がこっそり仕込んだコードが云々…という話があるんですね。つまり、プロトコルを開発できたなれば、ユーザーを恣意的に操作できる。つまり、ワイヤードの「神」に等しき存在だと。
実際は、プロトコルは(一応ながらも)RFCという民主的な決定方式になっているわけですが。ただ、プロトコルではないですがMicrosoftを筆頭に(笑)ウェブスタンダードを守らない企業があり、かつそれがメジャーになりウェブスタンダードにとって変わる可能性もあるわけで…。activeXのせいでどんだけのユーザーが苦労したと思ってんだ、ばーか、とか言ってみても、Windowsがメインで使われている限り、多くの一般ユーザーにとってはInternetExplorer以外のブラウザの選択肢を知らされてない。最初からある意味、(意識していないにも関わらず)選択肢が狭められているわけです。


2.「わたしという存在の本質が、virtualな世界のデータとなり、それがあらゆる場所に現れるようになったとき、『わたし』は『わたし』でいられるのか?」(=「わたしを表現するデータ」がユビキタスな環境の中であらゆる所に立ち現れ、わたしより先に代弁していしまうという事態」)

「lain」は岩倉玲音という女子中学生が主人公。その玲音(れいん)がワイヤードと呼ばれる仮想世界(ようはインターネット)にハマっていく、という話なんですね。
リアルワールド(と作中で呼ばれる)の玲音とワイヤードのレイン、lainという形で多重人格的に描かれるんですけど、実際はそういうことじゃないですよね。
ここで言われているとおり、ワイヤードのレインって情報の集合体なわけですよ。他のワイヤードユーザーが見ているレインというのは情報集合体なわけですよ。
リアルワールドの玲音からすれば「レインなんて私じゃない!」はず。なのに、その情報集合体は「私は私(=玲音)」だと主張する。
リアルワールドの玲音を玲音としてしているものは何か、というと「記憶」=「情報」なんですよね。つまり、玲音もレインも情報集合体ということには変わりない。
「私は私なの?」という問いになるわけです(レイン解釈に関しては一回見ただけなのでかなり曖昧かもしれません…すみません)。

・ネット右翼について
「集合的記憶…「私たちは自分が覚えていると思っている事柄であっても、往々にして他者の影響を強く受けている」
それを思い出させるのが、メモリアル(原爆ドームとか)。

ネットの右翼についてのまとめが感動的に素晴らしかったので、愛をこめて(笑)引用しておきます。
(ネット右翼は)「ある時期まで自分はマスメディアで言われていることは正しい、日本は戦争で悪いことをしてきたのだと信じていた。しかし、インターネットが普及したことによって、必ずしも日本画悪いわけではないという主張が存在すること、そして、日本が悪かったと報道しているマスメディアは事実ではなくイデオロギーに基づいた、中立的でない報道を行っていることを知った。もはやマスメディアは信頼ならない『反日勢力の手先』だ。インターネットにこそ、ほんとうのことが書いてあるのだ、と」
これ読んだ時、あまりのまとめのうまさに感動しましたよ(笑)。本当にネット見ていたら一杯いるもんなぁ…こう言う人。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1113560666

正直、僕はこういう人たちにあった時に対抗するためには、徹底した相対主義か、宮台式(「我こそが本当の保守」と主張する)しかないんだろうなぁ…と思いますね。ちなみに、僕は前者の方式をとってますが、相対主義は論理的な矛盾を抱え込む…なんてことはわかってますよ、ええ。それに、僕はアイロニカルなポジションを取り続けることは嫌いなので、いつかコミットすると思うなぁ…(←この辺完全に余談)。
一応、鈴木謙介の模範解答は「ある事実が『偏向していない』と見なされる根拠は実は批判する側によって選び取られた<現実>の中にしか存在しない可能性があるからだ」「私自身は選び取られた事実によって構成される<現実>が、イデオロギー的なもの、メモリアルなものを排除してくことは問題だと考えているし、それを回避するために(中略)事実と記憶とのバランスをとった情報伝達が行われる必要があると言う実際的な立場をとりたい」

・セカイ系と絶望系 by仲正
「"コミュニケーションを通しての普遍的な合意"に到達するのはもはや無意味」という前提を共有しながら、昨今若手思想家に広がっている考え方。
「公共的な社会について考えようとすれば、絶望的な結論に至るしかなくなり、それを避けようとすれば、『セカイ系』のように、各人が得意なテーマの内側に引きこもってしまうしかない」
おっしゃる通りです。

・大きな物語について
「『小さな物語』という物言いでは、かつての『大きな物語』が存在したと言う記憶がなければ、『小ささ』を感じることができない」
そうなんですよねー。全く同感。これは世代論ですが1971年生まれの東浩紀の限界という気すらします、このあたり。東が一生懸命「大きな物語が崩壊した。ポストモダンだ」言っても、いまひとつ実感がわかない。さすが、1976年生まれ、わかってらっしゃる。
「わたしの生きている物語=価値観は、決して小さくなどない『大きな物語』と呼ばれるべきものであり、わたしはそのことを確信している」(→宇野さんあたりの主張に繋がるのでは?)

・ラスト(とりあえずの解決策)
「人はセカイの外側を生きる人々と共生出来る存在へと『成長』できる。」

「自分が宿命的に特別な存在などではない、どうしようもなく『普通』な存在であったとしても、『ナンバーワン』ではないオルタナティブな特別さを手に入れることは、いかにして可能になるか」
「本書におけるその答えは『関係への<宿命>』を受け入れることによる、他者からの承認を元手にして、セカイの外を生きることによって」
以下「serial experimets lain」(アニメ版)ネタバレ感想

「人はアプリケーションでしかないの」
そういった玲音はアリス(繋いでいなくても友達)に諭されるわけじゃないですか。人は情報の集合体、プログラムの集合体だとしたら、他人からの承認なんて必要ではない(はず)。
なのに、玲音は友達の脳内から自分の情報を消してしったら悲しむ。何でか?答えは「他人からの承認」を必要としていたから。

といわけで、鈴木謙介に突っ込ませてもらいます(笑)。
結論まで一緒かよ!!

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おまけに北田アキヒロの『嗤う日本の「ナショナリズム」』について自分のレビューよりもはるかに素晴らしいまとめがしてあったので引用しておきます。
90年代のシニシズム→ロマン主義の転向について
ポストモダンにおいて、「国家なんて幻想だと分かっているけど、あえて信じているんだよ」としか成り立たないのにも関わらず、「国家は大事だから大事に決まっているじゃないか」というロマン主義に転向したと。
つまり今までシニカルに「嗤って」いた物事に、「本気で」信じられてしまう特徴をもっていると。
なんかよーやく、『嗤う日本の「ナショナリズム」』が分かった気がする(笑)。

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さらに余談…

「serial experimets lain」の声優、どっかで見たことあると思ったら、『らき☆すた』のひよりんか…。
って、ええええ。全然イメージ違う(笑)。
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