![]() | 電脳コイル 4 (4) (TOKUMA NOVELS Edge) (2008/01) 宮村 優子、磯 光雄 他 商品詳細を見る |
というわけで、某知り合いから薦められた『電脳コイル』を見てました。
世界観的には「serial experimets lain」系のシミュレーテッドリアリティ、それに演出はエヴァ風味って感じなんですけど…そんなこと以前に
ノスタルジーが先行して、どうしようもない(笑)。
どこかの日記で恩田陸の話が出ていたので恩田陸の話をすると、僕は中学から高校にかけて恩田陸をかなり読んでいた時期があるんです。で、文庫版だとまぁ間違いなく解説がついているわけですよ。
で、その解説で恩田陸を語られる上で使われるタームが「ノスタルジア」とか「郷愁」だったわけですけど、登場人物と同世代の僕にとっては「はぁ?」みたいな話だったわけです。
実際、ネットの印象とか見るに、その当時の恩田陸の読者は恩田陸と同世代(ノスタルジアで楽しんでいる層)とティーンエージャー(ベタに登場人物にコミットしてファンタジーとして読んでいた層)の二つだったと思う(まぁ、今はその当時よりも有名になってしまったので、もっと世代は広がっているかもしれませんが・笑)。
でも、解説を書く人は大人はそんなことすらわからないで「郷愁」だの「ノスタルジー」だのを堂々と書いていたわけですよ。これだから大人は…。
とか思っていたら、まさか自分が大人側にまわるとは…『電脳コイル』はNHKで18:30〜放送されていたアニメなので、登場人物と同世代の子供もかなり多く見ていたと思います。でも、もうストーリーとか世界観とか以前に個人的にはノスタルジアの印象が強くて強くてどうしようもない(特に中だるみする中盤はもろ)。さっきの例で言えば、子供に「はぁ?」とかいわれる立場にまわってしまったわけですよ、ついに(笑)。小学六年生とか最高に面白かったし…自分個人の話だけど。
*未見の方への注意*
あー、以下でネタばれしているようなしていないような感じです。ネタばれしているといっても、ストーリーの直接言及するというよりは、ストーリーの一部分にちょっと言及している程度なので、細かいことを気にしない方はどうぞ。
作品自体はすごいよく出来ていると思います。過去に引きずられる僕たちというものを作品内でメタ的に表現しているとも言えるだろうし。あながち公式HPのTOPの絵が夕方なのは偶然ではないと思う。
ミステリ的な仕立てといい、小学生たちの友情、恋の描き方といい、まぁこんないい小学生たちがどこにいるんだ(笑)って話だけど、ノスタルジアというのは基本的に過去が美化されて投影されるものだし。恩田陸の小説の登場人物もそうだし。
最終話がエヴァエヴァで「小学生が理解できるのか?」とか思ったりして、やっぱり大人の物語という気がした。大人(製作者)が作り出して、子供の頃の体験を媒介として、大人(視聴者)に届く物語。もっとも、島宇宙化した現代において島宇宙を越えようとしたら、子供の頃の体験を媒介とするしかないのかもしれませんが。
まぁ、もちろんこれがかなり大人的な見方であることは百も承知だけど(笑)、子供の目には全然違って見えると思う。
なにせ、そもそも僕の年では主人公のヤサコには全然感情移入できない(笑)。何か、上から見守っている感じ。そういえば小学生の頃読んでいた「ズッコケ」シリーズの解説の人みたいなこと言ってるなぁ…。
って、今頃気づいた。「ジブリ」が大人に受ける原因はこれか(笑)。気づくのおせええ…テーマ性とかもっともらしいことを大人たちが言うけど、結局はノスタルジアか!初めて合点が言った…、何でこんな単純なことに気づかなかったんだろう。
大塚英志が80年代ジブリはロリコン的魅力が武器だったが、トトロ以降は違うみたいなことを言っていたけど、なるほどこういうことね…「トトロ」以降はノスタルジアが武器だったわけだ。
まぁ、言い訳するならば百万都市の埋立地育ち(自然とは作られた自然(ex.公園)だった)の僕にはジブリは空想物語にしか見えなかったわけで…なんか自分がジブリが嫌いな理由がわかった気がする(勿論天邪鬼であることも一因なんですが)。
ジブリの描く"自然"が「自然に見えなかった」んだろうなぁ、僕には。僕の"自然"とは"作られた自然"で、綺麗に整備された公園でいかに想定されている遊びと違う遊びをするかが(滑り台逆走!)、僕の小学生時代の"遊び"だったわけで、ある意味「人工物」というのが僕の中で前提としてあったんだと思う(そして、これは多くの若い人は同じではないでしょうか?)。
『電脳コイル』は、「電脳世界」という人工物があって、その人工物が想定している使い方と違う使い方をすることが遊びになっているわけですよね。それが自分と見事に被っているんだと思います。だからこそ、「ジブリ」よりも『電脳コイル』に強いノスタルジアを感じた気がする。
この論理だとジブリでも『耳すま』あたりは、今見るとやばいのかもしれない(笑)。
いわば、"未来"的なシミュレーテッドリアリティの作品に"過去"的なノスタルジアを感じるというその矛盾こそが、『電脳コイル』の最大の魅力なんだと思います。
今の若い世代の過去は山の中や畑の中にあるわけじゃない、そこの作られた公園や道路、そしてテレビ画面(ゲームね)にあるというのを示したのが『電脳コイル』だったのではないでしょうか?(そんなものドラえもんが数十年前から示していたわけですが)。
…こんな文章を見るとおじんどもが「最近の若い子は、自然も触れてない。本当のものに触れてなくて、仮想世界ばかり生きているから、こんなこと言う」とか言いそうだけど、"本当"はどこにあるのだろう?って考えたら、本当/嘘=現実世界/電脳世界という単純な二項対立ではなくて、やっぱり"リアリティ"の問題だと思う。作中でヤサコが胸の痛みの方向が"本当"だと気づいたように。
だから、ヤサコは一度親に取り上げられたメガネをちゃんと取り戻している。何でもかんでも携帯のせいにするオジサマ方にはわからないかもしれませんが(笑)。
でも、いくつもの世界が並行しどれが"本当"かわからない状態に陥ったときに(迷子に陥ったとき)、その道を示すのは"他者"ということにいきつくような気がする。「lain」の玲音も、『電脳コイル』のイサコといい。
といわうけで、余計な話を随分と書いてしまいました…こんな長く書くつもり無かったのに。そろそろ、『空の境界』の続きを読みたいと思います。というか、積読本がやばいことになっているので、読書祭りといきたいと思います。とか、言ってたら『電脳コイル』の小説版が欲しくなった(笑)。上に貼り付けた表紙絵のイサコが格好良すぎです(はい、そこロリコン言うな)。
MADどうしよう…作るの面倒だなぁ…。
追記
「ノスタルジア」は英語、「ノスタルジー」はフランス語らしいです…特に意味も無く混ぜて使ってた…。








