どーも、朝から何も食べてないKeiです。でも、朝からこたつから動いてないので、全然おなかが減った気がしません。そこ、ダメ人間とか言わない。
というわけで、カウンタが10000をまわりました!この中でどれくらいが僕で(二重カウント防止とはいえ一日一回はカウントされているっぽい)、どれぐらいが常連さんで、どれぐらいが一見さんなのかはわかりませんが、皆様方ありがとうございます。
よくこんな雑文しか書いて無くて10000もいったなぁ…文章量が多ければ、検索サイトで引っかかる確率も高い!?ということでしょうか。
ところで、「宮台 石原」の検索ワードでグーグルでTOPに来るのは何故なんでしょう…。やたらと、この検索ワードで飛んでくる方が多いのですが…。
『新現実vol.5』の東×大塚対談は読みました。まとめるのは面倒なので(こたつで寝転びながら読んでいたので全然チェックとか入れてない・笑)、勝手な感想書かせてもらいます。
僕個人の感想として大塚の立場はよく理解できるんですよね…。僕自身、もともとリベラルよりの思想を持っている人なので、大塚英志の考えはよく理解できるし、大塚英志の議論がちゃんと議論として機能するフィールドはあると思う(たとえば、宮台×大塚とか)。
ところが、東と話すと相変わらず噛み合わないんだなぁ…これが。東工大でのシンポジウムでも思ったけど、東と議論しようとするとどうも噛み合わない人多すぎ。噛み合っているのって、オタク系クリエイターとの対談だけじゃないか(笑)?
東は最近「工学で公共性を確保できる、というかそういうシステムを作っていかなければならないのではないか」みたいなことを言っているわけだけど、その具体的な中身なんて誰もわかってないし、これでは批判も検討もしようがない(笑)。
結局、のらりくらりとメタゲームをやっているように見えてしまう、ということに大塚は苛立っているわけです。でも…大塚英志の主張もよく理解できるけど、それ以上に東の気持ちもよくわかるんですよ(笑)。
東「メタゲームばかりやっているようにみえるけどどうか、という非難があります。しかし、ぼくの思うに、そんなのたいして理由があることでもなくて、みんなネットとかで叩かれるのが面倒くさいんですよ。(中略)どんなことを言ったって、必ず反論はあるんだからそりゃ疲れますよ」
その通りなんだよね…大塚英志はインターネットから遠ざかっているから、大塚の言っていることは頭では基本的に賛成できるけど、理想論にしか聞こえない。インターネット世代の東の言っていることの方がリアリティがあるんですよね…。もちろん「公共性の工学化」自体も理想論なんですが、何故そういうことを言い出したかは何となく実感できる。
東が何でインターネットでこれだけ支持を集めているかと言えば、やっぱり東はインターネットの現状を認識した上で物事を言っているからなんですよね…多分。
その現状認識が東と大塚では違うからこそ、こんなにも「オタク同士」なのに話が噛み合ってないんだと思う。東だって「個人的には同意見です」って何回も言ってるし、大塚の言うことは届く人には届くんですよ、ちゃんと。
でも、現実的な問題として届かない人も一杯居るわけで、そういう人をどう社会に包摂していくか、という問いになってしまう。「啓蒙」だの「民度」だの言っても限界はあるよね…というのが多分東の現状認識としてあるんじゃないんでしょうかね…。大塚の言葉が届く人なんて限られているんだから。
話は変わりますが、世の中には「話せばわかる。それで世界は救われる」という信念を貫いている方も結構居らっしゃるみたいですけど、僕なんかは「なわけねーじゃん」とか普通に頬杖を突きながらシニカルに思っていたりする人だったりします(笑)。
でも、だからといって「他者を理解する努力をやめろというわけ」じゃなくて、「他人は完全には理解できない」のを前提として「努力する必要はある」という考えです(←なんか、こういう文章を無意識に書いてしまったけど、やっぱエヴァの影響でかいなぁ・笑)。
でも、実際は議論するうえでの現状認識が違うと、すでに議論にならない。そもそも僕なんかはあまり最近、議論する気になれないないんですよ…何ていうのかなぁ、僕は言葉にも論理にも元々信頼を置いてないんですよ(笑)。もちろん、それでも敢えて「言葉」や「論理」を使う必要は重々わかってますが(じゃないと、コミュニケーションとれない・笑)。なんかこんなこと(「論理」なんてくたばれ!みたいに)言うと、結構反発くらうんですけど、何でなんだろうなぁ…。
さっきの話に戻すと、東は近代の枠組みなんて限界に来ているというスタンスで(だから抽象論から考え直す必要がある)、大塚は近代というものにある程度信頼を置いていて、近代化を徹底すべき、というスタンスなんでしょうけど(そういえば、知り合いの左翼も同じこと言ってたなぁ…)、このスタンスの違いを生んでいるのは論理とかそういうこと以前に経験の差による現状認識の違いなわけですよ(結局、世代論に還元されてしまう)。
優れた評論家二人でさえ、こんな差があるのに、僕たちの偏った経験から導き出される現状認識なんてほとんど普遍性を持たないものだし、そんな状態で議論してもね…というのがあったりなかったり。
なんていうのかなぁ…、国文のセンセイに東浩紀のラノベ論をぶつけたって、すごく面白いし考えるべき問題のはずだ(と僕は思うのに)、空ぶるだけだし。国文なんて古臭いとこに言ったのは間違えだったかなぁ…、大人しく表象文化論にしておけば良かった(とかいいつつ、進路選択の時点では"表象文化論"の意味がわかってなかった・笑)。
うわっ、完全に愚痴愚痴トークだ(笑)。
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コメント返信
>majihamaさん
>僕の場合は逆に、実感はなるべく抑えるようにして、映像・台詞・設定といったデータを基点に考えてしまいますね。
僕なんかは出来ないですね…映像とか台詞とか分析するというのがまず出来ないです(笑)。
リアリティから出発して、「何でこのように自分が感じたか」を分析した方が(個人的に)面白いかなぁ…と思って、『電脳コイル』の感想は書いてました。
でも、あんまりどう感想を書いているか、とか考えたことも無いですね…結構テキトー人間なので(笑)。
コメントありがとうございました。
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というわけで、カウンタが10000をまわりました!この中でどれくらいが僕で(二重カウント防止とはいえ一日一回はカウントされているっぽい)、どれぐらいが常連さんで、どれぐらいが一見さんなのかはわかりませんが、皆様方ありがとうございます。
よくこんな雑文しか書いて無くて10000もいったなぁ…文章量が多ければ、検索サイトで引っかかる確率も高い!?ということでしょうか。
ところで、「宮台 石原」の検索ワードでグーグルでTOPに来るのは何故なんでしょう…。やたらと、この検索ワードで飛んでくる方が多いのですが…。
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僕個人の感想として大塚の立場はよく理解できるんですよね…。僕自身、もともとリベラルよりの思想を持っている人なので、大塚英志の考えはよく理解できるし、大塚英志の議論がちゃんと議論として機能するフィールドはあると思う(たとえば、宮台×大塚とか)。
ところが、東と話すと相変わらず噛み合わないんだなぁ…これが。東工大でのシンポジウムでも思ったけど、東と議論しようとするとどうも噛み合わない人多すぎ。噛み合っているのって、オタク系クリエイターとの対談だけじゃないか(笑)?
東は最近「工学で公共性を確保できる、というかそういうシステムを作っていかなければならないのではないか」みたいなことを言っているわけだけど、その具体的な中身なんて誰もわかってないし、これでは批判も検討もしようがない(笑)。
結局、のらりくらりとメタゲームをやっているように見えてしまう、ということに大塚は苛立っているわけです。でも…大塚英志の主張もよく理解できるけど、それ以上に東の気持ちもよくわかるんですよ(笑)。
東「メタゲームばかりやっているようにみえるけどどうか、という非難があります。しかし、ぼくの思うに、そんなのたいして理由があることでもなくて、みんなネットとかで叩かれるのが面倒くさいんですよ。(中略)どんなことを言ったって、必ず反論はあるんだからそりゃ疲れますよ」
その通りなんだよね…大塚英志はインターネットから遠ざかっているから、大塚の言っていることは頭では基本的に賛成できるけど、理想論にしか聞こえない。インターネット世代の東の言っていることの方がリアリティがあるんですよね…。もちろん「公共性の工学化」自体も理想論なんですが、何故そういうことを言い出したかは何となく実感できる。
東が何でインターネットでこれだけ支持を集めているかと言えば、やっぱり東はインターネットの現状を認識した上で物事を言っているからなんですよね…多分。
その現状認識が東と大塚では違うからこそ、こんなにも「オタク同士」なのに話が噛み合ってないんだと思う。東だって「個人的には同意見です」って何回も言ってるし、大塚の言うことは届く人には届くんですよ、ちゃんと。
でも、現実的な問題として届かない人も一杯居るわけで、そういう人をどう社会に包摂していくか、という問いになってしまう。「啓蒙」だの「民度」だの言っても限界はあるよね…というのが多分東の現状認識としてあるんじゃないんでしょうかね…。大塚の言葉が届く人なんて限られているんだから。
話は変わりますが、世の中には「話せばわかる。それで世界は救われる」という信念を貫いている方も結構居らっしゃるみたいですけど、僕なんかは「なわけねーじゃん」とか普通に頬杖を突きながらシニカルに思っていたりする人だったりします(笑)。
でも、だからといって「他者を理解する努力をやめろというわけ」じゃなくて、「他人は完全には理解できない」のを前提として「努力する必要はある」という考えです(←なんか、こういう文章を無意識に書いてしまったけど、やっぱエヴァの影響でかいなぁ・笑)。
でも、実際は議論するうえでの現状認識が違うと、すでに議論にならない。そもそも僕なんかはあまり最近、議論する気になれないないんですよ…何ていうのかなぁ、僕は言葉にも論理にも元々信頼を置いてないんですよ(笑)。もちろん、それでも敢えて「言葉」や「論理」を使う必要は重々わかってますが(じゃないと、コミュニケーションとれない・笑)。なんかこんなこと(「論理」なんてくたばれ!みたいに)言うと、結構反発くらうんですけど、何でなんだろうなぁ…。
さっきの話に戻すと、東は近代の枠組みなんて限界に来ているというスタンスで(だから抽象論から考え直す必要がある)、大塚は近代というものにある程度信頼を置いていて、近代化を徹底すべき、というスタンスなんでしょうけど(そういえば、知り合いの左翼も同じこと言ってたなぁ…)、このスタンスの違いを生んでいるのは論理とかそういうこと以前に経験の差による現状認識の違いなわけですよ(結局、世代論に還元されてしまう)。
優れた評論家二人でさえ、こんな差があるのに、僕たちの偏った経験から導き出される現状認識なんてほとんど普遍性を持たないものだし、そんな状態で議論してもね…というのがあったりなかったり。
なんていうのかなぁ…、国文のセンセイに東浩紀のラノベ論をぶつけたって、すごく面白いし考えるべき問題のはずだ(と僕は思うのに)、空ぶるだけだし。国文なんて古臭いとこに言ったのは間違えだったかなぁ…、大人しく表象文化論にしておけば良かった(とかいいつつ、進路選択の時点では"表象文化論"の意味がわかってなかった・笑)。
うわっ、完全に愚痴愚痴トークだ(笑)。
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コメント返信
>majihamaさん
>僕の場合は逆に、実感はなるべく抑えるようにして、映像・台詞・設定といったデータを基点に考えてしまいますね。
僕なんかは出来ないですね…映像とか台詞とか分析するというのがまず出来ないです(笑)。
リアリティから出発して、「何でこのように自分が感じたか」を分析した方が(個人的に)面白いかなぁ…と思って、『電脳コイル』の感想は書いてました。
でも、あんまりどう感想を書いているか、とか考えたことも無いですね…結構テキトー人間なので(笑)。
コメントありがとうございました。
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