いやぁ、昨日の記事今見ても正直「きもい」から、そのまま職業ニートさんに「風子は僕も好きですよー」というコメントを返してあとは全力で黒歴史にしようと思っていたら…

そうしたら、なんか某所から全力で反論を食らったんですけど…しかも結構意外なところで(「萌え」について論じていた話じゃないのに・笑)。

http://so-guy.net/diary/archives/273.html


「萌え」は「年下に向かうベクトルの可愛さ」である。アニメファンはそれを求める。だから、ロリキャラや子供っぽいキャラデザが受ける。そういう意味で「萌え」は「ロリコン」と深い関わりがある。しかしここに「性衝動」の関連性は必ずしも深くない。


話すと長くなるし、正直きもいし、あんまり長い反論はしたくないんですけど…。

結局、この話はフロイトvsアンチフロイトと同じ論争に行き着くんですよ…。要するに僕の話の前提としてあるのはsexual/non-sexualは1/0じゃないよって話なんですよ。
なんでフロイトがあんなに反論を食らったかというと、リビドーを僕たちが考えるsexualなものに限定されると多くの人が考えたからなんですよ。実際はフロイトが使うリビドーっていうのは最も広い意味で使ってあるわけですよ。何が"性的"で何が"性的でない"かの境界線なんて社会的文化的に規定されるわけで、そこの有意な差はないと思うんですよ。

日本において(海外でも?)リビドー=性欲と解されてしまう。だから、この言葉を使いたくなかったんですよ…。その結果、性衝動とかわけのわからない言葉を使ってしまうことにより、余計混乱を招いたわけですが。正確にはリビドー⊃性欲であって、しかもsexual/non-sexualの境界は曖昧だっていう話なんですよね…。

もし混乱を招くというなら、性衝動という言葉を全て"本能に基づく欲望"という言葉に言い換えてもいいと思います。ただ、源泉としてリビドーというエネルギーがあって(最もこの説明はかなり力動的なので無理はある)、例えば一見正反対に見えるタナトスだって、あるいは無関係そうに見えるフェティシズムだって(ヴィトゲンシュタインが数学解きながらマスターベーションしてたとか)、そういったことまで含めて、リビドーの表出として考えることが出来るよねーって話。

正直、萌え論争なんて巻き込まれたくなかったので、「精神分析的に」という但し書きを着けたつもりだったのですが、まぁ誰も見てないよなぁ…(笑)。あくまでも、Kei的理解に基づく精神分析的解釈(つまり、あくまでも一つの見方に過ぎない)であるということはここで付け加えさせてください。
精神分析なんて、数ある視点の一つに過ぎないわけで、それで人が全部わかるとかそういう付け上がったことを思っているわけじゃない。

そういった観点で見た場合、二次元ロリと三次元ロリ(所謂児童ポルノ)に有意な差はないと思うんですよ(勿論社会的という観点で見たら大きな差はありますよ?)。
児童ポルノだって要するに二次元だし、児童ポルノという性質上実行犯はほとんどいないわけで、ほとんどの人が写真とか動画にフェティシュな感情を抱いているだけだと思うんですよ。多分、実際の児童を前にしたら首絞めるんじゃないかなぁ…宮崎勤みたいに(←勿論、これは想像ですが)。
つまり、二次元ロリだろうが、三次元ロリだろうがフェティシズムの対象が違うだけじゃない?という話です。別に三次元ロリが好きな人と二次元ロリが好きな人が被っているということを言いたいわけじゃない(まぁ、ある程度は被っているでしょうが)。ただ、対象が違うだけで本質的にはかわらないんじゃない?という話です

別にプラトニックラブとか「年下に向かうベクトルの可愛さ」とか、そういう全く"性的"でない欲望が存在しない、ということを言いたいわけじゃないんですよ。何故なら、何が"性的"かというものは後付けで規定されるものだから。
ただ、それが"本能に基づく欲望"という観点で見た場合、所謂"性的な欲望"と"性的でない欲望"の境界線なんて曖昧だって話なんですよ。
近代は"性的"なものを抑圧してきた社会だから、"sexual/non-sexual"にきっちりと区別をつけ、"sexual"なものを抑圧したがる。でも、実際はそんなにきっちり区別できるものじゃない。
"ほしのあき"の写真集を買う人は性的な欲望に基づいていて、"浅尾美和"を見る人は違う、とかそんな単純な二元論で解決できる問題じゃないと思うんですよ。
あるいは『ローゼンメイデン』で主人公のジュンが、ドールたちの着替えを覗いて顔を赤らめるシーンなんて最もそのことを表してると思います。今まで、ドールたちを表向きは性的な欲望の対象として考えていなかったけど、それを意識させられたのがその着替えシーンだったと。

だから、アニメやギャルゲーとエロゲーの間にそれほど有意な差があるとは思えないし(それこそギャルゲー原作アニメは?という話にもなるし)、そこに有意な差を見つけようとする行為自体が、"sexual/non-sexual"をきっちり区別して、前者を抑圧しようとする近代人的行為ではないでしょうか?と反論はしておきたいと思います。

まぁ、別に僕はその近代社会がダメと言っているわけでもなく、それはそれで必要なんだけれども、元々が無理の多い社会構造だし、その無理が表出してくるのがこの児童ポルノ問題であり、浅尾美和の撮影禁止問題ではないかと、思うわけですよ。だから、根本的な問題から考えないと問題は解決しないのではないでしょうか?というのが昨日の記事だったわけです。

そもそも昨日の記事を書いた動機として昨日最初に貼った動画の



最後に"幼いものを守りたいと思うのは人間としての本能。"とかいうフレーズがあって、そういうレベルで推移してたらダメだろと思ったので昨日の記事書いたんですよね…"sexual/non-sexual"で後者が優位という二項対立図式から一歩も進化していない。それなら、"sexual"なものは規制していいのか?という論理になってしまう。つまり、その論理で行けば、二次元規制OKになってしまう。

だから、"sexual"なものは規制するどうこうじゃなくて、児童ポルノ法の本質であり、目的である"児童を守る"という目的のみを遂行すべきだ、というのが僕の言いたかったことなんですよ。
東浩紀言うとおり、僕らは"欲望"は裁けない。でも、このまま推移するとそういう話になりかねない(だって、規制賛成派も結局は"論理"より"欲望"なんだもん)。でも、それは防ぎたいよね、というのが僕の意見です。

あぁ、気持ち悪い…。吐きそう…。

コメント返信
>職業ニートさん

本当にこんな記事の下ですみません…。

>僕にその気はないんですが、なんか最近風子に洗脳されかかってます。

本当、僕も最初東を笑ってたんですよ…「神がかっている」とか何言っているんだと(笑)。
そうしたら本当に風子は神がかってた(笑)。
基本的に僕はあの系のキャラは好きじゃないのになぁ…、何でだ。
  
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