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「ありがとう」のリアリティ

2008-02-25(Mon)

店員に「ありがとう」と言う人が大嫌い。おかしいのでしょうか。。。
(中略)
見ててイラッとします。会釈ならいいんです。私もするし、感じいいです。でもなんで声に出す?
知り合いでも何でもないのに、馴れ馴れしくない?と思います。

Yahoo!知恵袋より引用

いいねぇー、Yahoo知恵袋ってこういう質問があるからやめられない(笑)。まぁ僕も「やじうまwatch」で見て気づいたぐらいだから、頻繁に見ているわけじゃないですが。

そんなこと細かいこと気にするなよ、って気はするけど、僕もなんとな?くその感覚はわかる。なんでそう感じるかは自分でもわからないんだけど。そんな微妙なところだから多分この感覚が分からない人もいるんだろうなぁ…とも思う。
なんていうか、この質問って全然「道徳的」ではないんですよ、子供の頃から「挨拶はちゃんとしましょう」「感謝ははっきり伝えましょう」とか散々言われてきたわけだし。

誰にでも「ありがとう」と言える人、素敵だと思います。
「ありがとう」という言葉は友達に対してだけに言う言葉ではないと思いますが。


なんか僕的にはこういう「道徳的」な回答のほうが若干「イラっと」きてしまう。「ありがとう」の安売りなんてするな!みたいな(笑)。

月並みなことだけど、本当に相手に感謝の意とか、謝罪の意とか、賞賛の意を示すのは難しいと思う。

僕なりの解釈で申し訳ないんですが、「会釈」とかは「してもらって」思わず出た、という印象があってリアリティがあるけど、声に出して言う「ありがとう」は"わざとしく"感じてしまうんじゃないですかね…。

その微妙な違いは、多分育ってきた環境とか地域とかにもよるんだろうし、そこで本当に微妙なディスコミュニケーションが起きるんじゃないですかね(別に「ありがとう」って声を出して言う人がお世辞を言っているというニュアンスではなくて、それに"嘘っぽさ"を感じる人がいるということです)。

なんていうか子供が感謝を示すときに、頭下げて「ありがとうございました」というのに「嘘っぽさ」を感じて、はにかむ様に笑う方がリアリティが有る人はこの質問は何となく理解できるんじゃないかなぁ…(笑)。なんていうか、「道徳」への信頼度の違い?

僕なんかは「道徳」とか胡散臭いよねー、とか子供の頃から思っていた人なので、何となく礼儀正しさに嘘っぽさを感じてしまったりする…いや、悪い癖だというのはわかっているんだけど。でも、「ありがとう」って言われて、「どういたしまして」って返しましょうって学校で教えるけど、そんな言葉過去に一度も使ったこと無いし!とか考え始めると、学校で教える「道徳」とか「マナー」とか胡散臭いものに思えてきて…っていうの無いですかね…僕だけ?

まぁ、僕的にはそんな細かいことを気にする人ではないけど、この質問者を叩いている人はそれはそれでどうかと思う…。多分普段「ありがとう」って言って、そのように取られることがあるということを全く考えたことない人なんだろうけど…そういうディスコミュニケーションがあるんだよ、ということも考えないと本当に感謝が伝えられる人にはなれない気がする…。

本当にコミュニケーションって難しいよなぁ、月並みだけど…。一つの言葉でもどういうコンテクストを持っているかで、全然捉え方違ったりするし…これが最たる例でしょうね。

それが言語の面白いとこだし、人間の面白いとこなんでしょうけど、それでディスコミュニケーションが起きちゃったりすると、そんなにポジティブに考えられなくなったりするし…。
でも、何ていうか素人レベルで他人が作ったものを評価するときに、僕は自分のことは棚に上げるので(笑)「これは微妙じゃね…」とか思ったりするけど、本人を目の前にするとどうしてもいい所探して褒めたくなるし、実際そうしている。
けど、問題は「本当に凄い」と思ったときに、その「本当」部分が伝わらなくて物凄く苦労する。

まぁ、基本的にひねくれ者というかシニシストっぽいとこがあったりするので(これでも大分この癖直そうと努力したんですよ?)、あんまり当てにならない意見ですが。
ただ、こういう「道徳」的じゃないんだけど、一部の人が「何となく」感じている感触みたいなものがこういうYahoo知恵袋なんかに出てきて、人気Q&Aになったりするからインターネットはすごいというか、やめられないというか…。

長年の付き合いである有瀬さん曰く、僕はリアリストらしいんですけど、リアリストってある意味「リアル」を求めて彷徨うロマンチストじゃね?とか思う今日この頃(笑)。
だって、「現実」なんて僕たち認識できないですよ(笑)、多分。哲学的に言うなら、カントの「物自体」とかラカンの「現実界」とかなんだろうけど、そんなもの認識できねーよ!ってなわけで、結局「現実」を求めるために、「現実感」「リアリティ」を欲しているのではないか、と思うんですよね…。
ロマンチスト側から言うと、「ロマン」(夢)の対義語は「リアル」(現実)なんだろうけど、リアリスト側から言うと「リアル」(本物)の対義語は「フェイク」(偽者)になるような気がする…。だから、ロマンチストは「ロマン」がいいって言うし、リアリストは「リアル」がいいって言う気が…って、言っている自分はやっぱりリアリストなんだろうか…。

なんか似非哲学っぽいなぁ…まぁ、いいや。
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>けど、問題は「本当に凄い」と思ったときに、その「本当」部分が伝わらなくて物凄く苦労する

にものすごく共感です。
どんな言葉を並べてもどうしても嘘っぽくなりますよね。
好きという気持ちを伝えるために苦労するのと同じです。けど愛情表現だったら体で訴えることができますが「感謝」や「感動」はそうもいきませんからね

ちなみに道徳の時間、「なんでこんな話が教科書に……」と思って読んでたタイプです、私は。でも本=お話を読むのが好きだったので道徳の時間は好きだった覚えがあります。私がいい子かどうかは別として。


あとこの前のコメント返信で
>文学的解釈って何なんでしょう
ってあったんで自分的に考えてみたんですけど(すごく短い時間でですが……)文学的解釈なんて本当はなくて実はすべて社会学的解釈でしたというズコーとするオチが出てきました
私の中では社会学的ってなんぞー?なんで(馬鹿…)

「文学的解釈?ちょっと昔の文学者の名前出して適当にそれっぽいこととか単語とかカタカナとか並べとけばいいよ」って言われたらショックです

そもそも文学という概念自体言語化できないような……

煮え切らないコメント失礼しました

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