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この「文学」論争はどこまで続いていくのだろう…&コメント返信

2008-06-18(Wed)
さて、いきなりですがこっそりはてなでブログやることにしました。→こちら
まぁ、就活に向けて、個人的な勉強を兼ねててきとーに「ニュース」とかを中心に取り上げようと思ってます。とはいえ、こちら(FC2)がメインでありますし、今までどおり更新していきます。「はてな」の方はスクラップブックぐらいに思っていてください(笑)。
あっ、あと「はてな」であることに深い意味はないですよ!?アカウントを前から持っていたぐらいの意味しか…。

僕のメインで使っているブラウザはFirefoxなのですが、最近やたらと遅いのでアドオンのsage(RSSのアドオン)を外してみた。RSS機能ははてなRSSに移行。これでちょっとは軽くなった…ような気がする。OperaもFirefoxも一長一短なんだよなぁ…。
今日、メディア論の発表で担当が「PC、ネット」関係の章だったので、勝手にNetscapeの話とか入れてました(笑)。

追記:とか言ってたら、Firefox3正式版リリースされたし!

コメント返信

ウェブ拍手でどなたからか「大阪の西成区の暴動で一言」と言われましたが、今回の事件は大手メディアが取り上げておらず、大阪に縁もゆかりもない人間としては何がなんだかという感じです。なので、一言も何も言えません…すみません。

>tamakiさん

>ひぐらしは原作のシナリオそのまま提示されてもなあ、あれも音楽や演出や文章の出し方(一定時間のタメ?みたいなもの)が相当大きいでしょうし

ですよね…紙媒体で読むのと、ゲームでやるのでは全然受ける印象は違うでしょうし。でも、ラノベとか考えると境界線は曖昧でもいいような気もしますが。

>では失礼します。毎度のことながらはかばかしいコメント残せずすみません・・・

いえいえ。毎回コメントありがとうございます。

>双城さん

>そもそもエヴァは「文学」じゃなくて「アニメ」なわけで、Fateも「文学」じゃなくて「ビジュアルノベル」と既に定められているわけで、その上でそれらに「文学論」を導入するときにこそ「文学的」という言葉を使うべきなんじゃないでしょうか?

いやー、ツッコミ来ましたねー。「文学的」と「小説」という用語。これを言い出すと話が長くなるから、あまり言いたくなかったのですが(え?。
「文学的」という用語は存在します。あと文学、というのは学問の名称であるというのも確かですね。
ただ、僕は一般的には「文学」はジャンル的に使われることが多いように思います。「文学研究」「文学作品」という表現がありますが、「文学」が学問の名称であるならばこういう用語の説明が出来ないと思うのですが…。「哲学研究」ならば「哲学についての研究」――いわば学問史となると思うのですが、「文学研究」だと「文学についての研究」は学問史にはならないと思うのですが。「文学史」という用語でも文学理論史ではないですし。

僕はあまり「文学的」という用語は使いたくないのですが、「文学的」という用語は「純文学」と呼ばれているジャンルが表現し続けた「何か」がある。その「何か」が描いてある作品を僕達は「文学的」と呼んでいるのだと思います。「Fateは文学」というのも、「的」とは書いていませんが、そういう用法だと思います。
僕が何故この言葉を使いたくないかというと、「文学的」という用語は抽象的すぎて、意味が無いと思うんですよね…。ものすごく、用語の使用者の主観で決まっている印象を受けるんです。もちろん、これは個人的な意見ですが。
とりあえず、前のコメントで考えられるのは有沢さんがおっしゃられた「人間を描く」ということですが、これもまた非常に抽象的ですし、昨今のラノベ事情を鑑みると「どうかな?」と思わざるを得ないと思います。

僕の中ではそう考えているのですが、どうでしょうか…。

>死刑前最期の言葉さん

すごいHNですね…ありがとうございます。

>沙希さん

ありがとうございます。
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>いやー、ツッコミ来ましたねー。

そういえば、この手の議論にコメントを付けたのは久しぶりかもしれませんね。双城です。

>「文学研究」「文学作品」という表現がありますが、「文学」が学問の名称であるならばこういう用語の説明が出来ないと思うのですが…。

私が以前付けたコメントで言いたかったのは、そもそもの「文学」という用語の使用方法が全体的に間違っている、ということであり、すなわち、「文学研究」「文学作品」という用語の説明ができない、のではなく、そういった用語は存在してはいけない、ということです。
ですから、私に言わせれば「文学研究」は正しくは「小説研究」もしくは「文芸作品研究」に、「文学作品」は「小説作品」もしくは「文芸作品」などに、変更すべきだと思うんです。そうすれば問題はないはず・・・。ただ、そうすることの難しさという問題がありますが(一般常識として植えつけられた「文学」という用語の意味を刷新することの難しさ)。

>「文学的」という用語は「純文学」と呼ばれているジャンルが表現し続けた「何か」がある。その「何か」が描いてある作品を僕達は「文学的」と呼んでいるのだと思います。

これには賛成です。私の以前のコメントでは順序が逆のような感じになってしまいましたが、言われてみるとこちらのほうが良さそう。

>僕が何故この言葉を使いたくないかというと、「文学的」という用語は抽象的すぎて、意味が無いと思うんですよね…。

先に挙げられた「純文学」が表現し続けた「何か」、というものが「何か」という漠然とした状態であるため主観的にならざるをえない、ということですよね?
たしかにそうでしょうが、文学とはそういうもの、だと私は思うんですが。
主観的じゃない文学なんて文学じゃないと思うんですよね。だから主観的で抽象的なものだからこそ、それは「文学」であり、あらゆるものが「文学的」と評価しうる・・・。
文学作品(=文芸作品)には文章が必須だと思いますが、文章に表されたものには文脈というものが不可避に付随する。
しかしその文脈を結ぶものは、かならずしも数学的論理とは限らない。時には不条理的電波とでも言えそうな突飛なストーリー展開もありうる。
ちょうどエヴァを例に出しますと、単純に物理攻撃を防御するためのシールドという意味しか考えていなかったA.T.フィールドを、或る人は、それは人と人との心の隔たりのメタファーである、と解釈する。そしてそういった様々な曲解を足がかりに、エヴァ全体のストーリーを「文学的」なものへと変化せしめてしまい、そして最終結論、「エヴァは文学だ」発言へと至る。
でも本当にその通りなのかどうかなんてわかりません。例え作者が「それは違う。A.T.フィールドはただのシールドだ」と言いはったとしても、視聴者は視聴者で「しかしこういう解釈もできる。ならやはりA.T.フィールドは心の壁なんだ」と言い張るでしょう。
「娯楽ロボットアニメとしてのエヴァ」と、「文学としてのエヴァ」と。主観者によって文学はその姿を浮沈させる。
そもそも、生物学や物理学のように、既存の物体や現象を用いる学問とは違い、文学は、人間がその都度新たに創造した文章というものを用いているため、画一された姿というものがない。それは、まさにこれから画一を目指して考察される対象であり、客観的正解のない主観的解釈によってそれぞれの答えを見つけ出す学問なわけです。
しかし、これが学問である限り、目指されるは画一された唯一無二の答え。主観によった複数の答えがでてきて当たり前の文学において、唯一無二を求めるのは無理難題。こうした壁に直面するが故に、Keiさんは「文学的」という表現を嫌われるのではないでしょうか?
しかし、先に述べておきましたように、私はそれで良いと思うんです。
「文学的」かどうかは主観で決まる、というのは、「文学」の性質上当然の成り行きであり、それこそが正しい「文学」のありかただと思うので。
しかしそれでは学問としての議題に挙げることがとても難しい、ということになってしまうので、この定義は否定されてしまうのでしょうけど。
私の疑問は、なぜ答えが画一的でなければならないのか? です。
画一的か画一的でないか。これがもしかすると理系と文系の違いなのかな、とか思ったり。
そして世の中は科学至上主義にして民主主義(多数決主義)。
人によって答えの分かれる文学では、民衆の意思の統一が役立つ民主主義には適いませんし、唯一無二の真理を探る科学(理系)にも適わない。故に現代人に文学は嫌われる、と。
あらら、なんだか話が逸れましたね。
長くなったので、とりあえずこの辺で筆を置きます。
それでは、長文失礼しました。

>いきなりですがこっそりはてなでブログやることにしました。
就活始まりましたね!いまの学生さんはほんと大変だと思います。
がんばってください。

誕生日コメントありがとうございます、tamakiです。ようやく人に祝われるとこっぱずかしいと気付いたこの頃です。だけど嬉しかったです。21ですねえ
はてなブログ開設おめでとうございます。私もkeiさんのに便乗してニュースに追い付いていこうと思うのでどしどし更新してください、と勝手におんぶにだっこ

文学論争激しいですねえ。この前授業で文学論争っていうのは結構頻繁に起こってて……という話を聞いたばかり(ただし余談で)なので小さなところですがこういうのに参加できてうれしいというか恐縮というか。青二才が口出しして肩身が狭い。

今回keiさんがおっしゃった
>「文学的」という用語は「純文学」と呼ばれているジャンルが表現し続けた「何か」がある。その「何か」が描いてある作品を僕達は「文学的」と呼んでいるのだと思います
というのに全面賛成したいです。
……あ、こいつ考えること放棄してるな(笑)
私のスタンスとしては、文学(および文学的か)どうかはやはり個人に依るもの、というのが強いようです。
あと、謡曲とかも授業でやってるので一概に「文学は言語芸術のみ」とも言えなかったりとかします

ということで逃げ。

本ブログはXP+IE7、Firefox3、Safariで一応確認しています。
リンクについては貼るなり外すなりお好きにどうぞ。

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Author:Kei
文学部卒業して、冴えない仕事を冴えない顔でやってる。スバル持って北海道に移住したい。

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