
ポニョ見てきた。写真は劇場に売ってた、あまり可愛くないポニョ。ってか、ポニョより一緒に上映しているピカチュウの方が絶対かわいいって!
で、見てきた感想。
これなんてエヴァンゲリオン?
まあ、それはさすがに冗談ですが、「エヴァかよ」と全力で突っ込みたかったのは本当。
たけくまメモを読んで、見に行こうと思った人…多分、裏切られます。
竹熊メモを読んで見に行こうと思うような、変な人は多分シュールレアリスムとか、アヴァンギャルドさ、を期待すると思います。はっきり言って、それは違う。ただ、見てきた後に改めてたけくまメモを見て、竹熊さんはただしいと思った。
…でも、たけくまメモは間違いなく変な大きなお友達には販促になったよな…。
この物語を見て、エンディングに流れる「ポーニョポニョ」を聞きながら思うことは、竹熊さんのおっしゃるとおり「違和感」です。徹底的な違和感です。それを表現しようとすると、アヴァンギャルドとかシュールレアリスムとかいう言葉にならざるを得なかった。それがあのたけくまメモの正しい読み方だと思います(正しい読み方とか文学専攻の人間が言っていいのかはともかく)。重要なのはアヴァンギャルドでもなくシュールレアリスムでもなく、「違和感」の方です、間違いなく。
その違和感を表現すると、僕なら「これ、なんてエヴァンゲリオン?」になったというところでしょうか。竹熊さんが言うとおり、ディティールディティールは宮崎アニメなんです。冒頭に、海の中でゴミが溢れていて、ポニョがその中を泳いでいたら、地引網の網に引っかかって、そのせいでコップに頭がはまって…というシーンがありますが、これは典型的な宮崎アニメでしょう。
また、舞台設定も漁村ということろは新しいですが、ちょっと昔ながらの町だけどいい人が一杯いる町という設定は、宮崎アニメではおなじみのものでしょう。まあ、今まで山村がメインで、海がメインというのはあまり無かったと思いますが…『未来少年コナン』以来?
僕は宮崎アニメの魅力は冒険活劇だと思っていて、まあ『ポニョ』でもそういう要素はあると思う。が、今までの宮崎アニメと何かが違う…これがわからなくてみんな困っているわけですが…。
ディティールにはそれほど違和感あるシーンはありません…確かに圧倒されるシーンはありますが、それは今までの宮崎アニメでも度々あったわけですし。
見てて思ったことは、『ポニョ』は前半と後半に分かれるんですが、前半と後半、それぞれ独立してあれば、多分そんなに違和感無かったと思うんですよね。僕も前半見ながら、「それなりに面白いし、ここまではふつーの宮崎アニメっぽいし、突っ込みたいところは多々あるけど、何でみんなあんなわけわからないことを言っているんだろう」とか思っていたら、後半にシーン変わって唖然…「はあ?」みたいな感じだったんですよ。
でも、後半部分が単独であり、かつそれが宮崎アニメで無かったならば、それはそれいう世界のファンタジー冒険活劇で楽しめるんだと思う…が、両方合わさると「何、いみふなんですが」状態。
前半部分は典型的な宮崎アニメなんですが、とにかく後半が謎、というか唖然とする。
似非評論家ぶって、えらそうに言うなら、後半部分は宮崎アニメをベースにしながら、オタク的モチーフをデータベースから抽出し、配置したようにも見えます。というか、トトロ以降の宮崎アニメの中では、最もオタク的な想像力に近い、と思います。
なにせ、これセカイ系なんですよ?これなんてエヴァンゲリオン?とか、これなんてグレンラガン?みたいな感じで、見ているこっちが悪寒してくるぐらいオタク的想像力と近くて、僕が驚きました(宮崎駿が意識していかはわかりませんが…)。実際、エヴァンゲリオンという作品と、セカイ系と決断主義、というタームを使ってある程度『ポニョ』を語ることは可能だと思います。が、それをやることに意味あるのかすら分かりません(ネタバレ感想参照)。
あと竹熊さんが「ポニョってなにものなんですか?」というところで指摘していましたが、トキさんといういじわるお婆さん。この人が非常に重要な役割を握っています。というか、この人が最も一般人の感性に近いです。逆に言えば、この人以外、変な世界に順応性の高い人ばっかりです(笑)。
はっきりって、宮崎監督はリアリティとか全然意識してない気すらします。
そーすけ(主人公の男の子)がポニョをみつけて「あ、金魚だ」
Keiの心の声「いや、どうみても金魚じゃなくて人魚じゃん!」
順応性の高い子供はともかく、みんなあっさりとポニョを受け入れていきます。宮崎アニメを振り返っても、まわりの大人はその不思議ワールドを受け入れてなかったと思うんですが、ここが違う点でしょうか。
そういえば、主人公のお母さん(ソースケからなぜか「りさ」さんって呼ばれています)の山口智子は好演でした!!
…って山口智子はともかく、なんか宮崎アニメで初めて「家族」ってものを見たような気がします。宮崎アニメにおいては、お父さんとお母さんというものは最初と最後に出てきて、その子供の不思議ワールドを受け入れられない人、っていうイメージですが、今回は前半部分はバッチリお母さん元気です。後半はちょっと『千と千尋』っぽいかな?
…ここでも、前半と後半がつながらないんですよね…。
まあ、でも意外に「愛と冒険の物語」というディズニー的なフレーズが最もしっくりくるのかもしれません…というか、あの話からどうしてもテーマを引きずり出したいならそうなるしかないでしょう。ただ、「愛と冒険の物語」という言葉から想像されるような物語とは全然違いますのであしからず。
エヴァンゲリオンとセカイ系というタームで似非評論家っぽくネタバレ感想(前述の意味はあるかすらわからない奴)
この物語は間違いなくセカイ系、というタームでくくることは可能だと思う。
これまで考えても、宮崎アニメでセカイ系チックだったのは、せいぜいナウシカぐらいで、別に主人公の冒険が成功しようが失敗しようがが、世界が滅びるわけではない。
ところが、今回はフジモトかトキさん、という二者択一を選択させられます。フジモトを取ればポニョがとられる、トキさんをとれば世界がなくなる、といった感じでしょうか。
しかし、ソースケはトキさんを選択します。そこで、フジモトは奥の手を使って、ソースケを捕らえてしまう。
が、結局ソースケもトキさんもポニョも無事人間になり、世界もなくなっていません。すべてはまるくハッピーエンドで終わっています。
…結局、あの選択はなんだったんでしょう。フジモトから(本当にポニョすきなのかという)ソースケへのテストでしょうか。
ここにセカイ系作品への相対化を見るのはあまりにもエヴァファン的な視点なのでしょうか?しかし、海に沈没する町、を見てエヴァを思い出し、天井の月や変な動物たちを見てグレンラガンを思い出した僕からしれてみれば、そう見えてしまうんですよね…。まあ、オタクの自意識過剰ということで片付けときましょうか。
多分、エヴァもグレンラガンもパロディアニメといわれるので、それ以前に似たようなオタク的想像力(SF的な?)が前提としてあるのかもしれません。その頃は宮崎駿も庵野秀明も押井守も出自的にはそれほど違っているわけでもないし。
(ネタバレ終了)
あと見てて思ったどうでもいいこと
・チキンラーメンうまそー
・地味にエンディングのクレジットの方法が斬新だった。本田雄さんがいた気がします。見間違いだったらすみません。
・実際見てみたら、AAとか主題歌とか本当にどうでもよくなったw
・モールス信号で伝え合う家族愛…というか「バカ」とか恋愛かよw子供がお母さんのこと名前で呼んでいるところを見ると、新婚気分継続中…?
・終わったあと、子供をかるーくチェックしてみた(←変質者)。それなりには楽しそうにしていたような気がする。ただ、途中で隣に座っていた子供がグズってた。
コメント返信
>tamakiさん
>しかし時勢を考えるとデジキャラではなくポニョ?
…あー、その発想は無かった…。けど、別にポニョはニョとか言ったりしないですけどね…。
>全文同意です。うちんとこは電力オーバーするとクーラーが強制ストップします。いじめです。
うちも同じです。授業に館内放送入って「電力供給量が云々〜」って…、授業中に館内放送とか…。
>今年の夏は宮崎VS押井になるんですね。映画雑誌の表紙で知った。
キネマ旬報の表紙がそうなってましたね(←映画館で知った)。
>一般人だったら宮崎、オタだったら押井っていう構図…?とふと思ってしまった。
まあ、事前のイメージではそうだったのでしょうが、実際公開してみると…押井の方が一般の人に受けたりして。
>とか書いておきながら、今日友達と見に行く約束が出来てしまいました……
楽しんできてください!って単純に言いづらい…始まる前から「楽しみだなー」って言いづらかったですし(笑)。
まあ、ネットで色々言われていることは特に気にせず見たら、楽しめる…………のかなぁ…。







